シリーズ La vie avec iMac (Mid 2007)

iMacのスクリーン

 iMacが到着して、はや三週間が経とうとしています。当初の興奮や違和感もすっかり薄れ、ずいぶんこの機械に馴染んだなと自分ながら思います。当初はあまりに大きすぎると思われたスクリーンにしても、ずいぶん慣れたと思います。

 というわけで、今回はスクリーンについて。

反射について

 iMacのスクリーンははやりのグレアタイプといいますか、あまりにてかっとしているものだから映り込みが激しいのではないかという心配が購入前にはありました。そして実際到着してみて、最初、電源を投入する前のこと、想像以上じゃないかと思ったものでした。

 しかして、使用してみての感触はどうであるかといいますと、意外や気になりません。これは私がテキスト編集をメインに作業するタイプだからなのかも知れませんが、というのもスクリーンには所狭しと真っ白な背景に字の浮いたウィンドウがちりばめられているから、こちら側が映り混む余地なんてものはないのです。けれど確かに動画であるとか見ようとするときに、読み込み中の黒画面、間抜け面が映ることはあります。気にならないといえば嘘になりますが、けれどそれはなにも他に見るものがないから気になるだけで、直に動画が始まれば気にならなくなります。私が無頓着なだけかも知れませんが、そこにある情報を見ようとするときには、脳だかなんだかが適当にフィルタリングをしてくれている模様です。あるいは、焦点が反射面にあっていないからかも知れない。いずれにせよ、あまり気にならないというのが実際です。

明るさについて

Sunglasses 画面の明るさについては参りました。めちゃくちゃ明るい。もしかしたら、上にいう映り込みを防止するためにわざと明るすぎるくらいにしてるんじゃないかと邪推するくらい明るくて、基本スクリーンの輝度は最大にするのが常の私が、輝度を最低にして使っています。

 けれど、輝度を最低にするというのは、さすがにやり過ぎかも知れません。外から帰ってきたとき、あるいは日中においては、ちょっと暗いかなと思いますから。けれどそれも作業を始めれば気にならなくなって、ちょうどよいというか、けれど実際にはまだちょっと明るいというか。でも、初期にはかけていたサングラス、今ではもうかけていませんから。それくらいには慣れたのだと思います。けれど、夜、ちょっとへたった蛍光灯下で作業しているときに壁の時計を見ようとしたら、目がくらんで文字盤とっさに読み取れないくらいには明るいです。年末だから、蛍光灯を新しくしたほうがいいのかも知れません。

色むらについて

 iMacの液晶には色むらがある、っていう人もいますが、私は特段気にしていません。気付かないかといわれたら、よく見ると確かに若干グラデがかってるようにも思えるけれど、ですが私は基本的にテキスト作業の人間ですから、あんまり気にならないですね。

 実際このへんは個人差が大きい部分だと思います。こういうのが耐えられないって人は、ちゃんとしたディスプレイを使うべき人なんだと思います。

大きさについて

 スクリーンの大きさは作業スペースの広さに直結するわけで、これは実際ありがたいですよ。資料にWebページ開いて、エディタのウィンドウに並べておけるから、いちいちアプリケーションやらウィンドウやらの切り替えをする手間が減って、だからこれからノートなんかに戻るとすれば、その狭さに耐えられなくなるんじゃないかと、そんな心配するほどに快適です。

 ただ、画面が大きいというのにはデメリットもあって、それはメニューバーなんですが、画面最上部に取り付いているメニューバーにポインタを合わせるのが大変なんです。私はキーボードメインで操作するタイプのユーザーですから、そこまで致命的ではないのですが、けれど時にはマウス操作もするわけで、そんなときにポインタを送るのが大変。あんまりに難儀だったものだから、ポインタの移動速度を二段ほど上げました。あ、マウス操作って書いてたけど、それ嘘。私はトラックボールユーザーです。

 トラックボールのよいところは、ボールを勢い付けてまわすことで、長距離を一瞬で詰めることができるところなんですが、iMac買って初日、マウスでなくトラックボールを選んでよかったと心の底から思いました。ポインタを最下部から最上部に一気にはね上げることができる。最初こそiBookの癖が抜けず、真上に向かってはじいていたボールですが、今ではずいぶんなれて左に弾き次いで上に向かうという、合理的運動を身に付けつつあります(親指トラックボールのせいか、右上方向は楽だけど、左上には飛ばしにくい)。

 コンピュータのスクリーンは、これからますます大画面化が進むかと思われますが、そうなればマウスよりもトラックボールの方がよいのではないかと思います。無理が少ない、長距離の移動も楽、これからはトラックボールの時代と私は疑わないのですが、けれど人は慣れたものを手放さないようにできています。一度、ちょっと馴染むくらいまで、トラックボールを試していただきたいものだと思います。

そして液晶といえば……

 そして液晶といえば、付き物のドット抜けですよ。あったのかといわれると、ありました。画面の中央付近右下方向に、小さく水色に光っています。これ、探して見付けたんじゃないんです。テキスト作業をしているときに、ふと目に留まって、いやあ、これがちょうど私が作業スペースにするような場所なんです。参りましたよ。意識してなかったのに見付けたくらいだから、正直ちょっと致命的。とはいえ、液晶のドット抜け、一二点くらいは不良とはみなしませんよね。というわけで、この点に関してはちょっと残念な結果に終わりました。

 以前、iBookでは軽くパネルを押してやると消えたりしたもんですが、今度のiMacはガラスがはまってるから、どうにもこうにも手が出ませんやね。というわけで、もう液晶っていうものはそんなもんだと割り切るのがいいんでしょう。けど、やっぱりいやなもんはいやだなあ。

 以上、スクリーンについて。最後はちょっと愚痴でした。


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公開日:2007.11.22
最終更新日:2007.11.22
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