カルドセプトDS

だれでも対戦してみて軽く雑感

勝ち負けではない楽しさ

 『カルドセプトDS』はWi-Fiを用いたオンライン対戦が売りですが、それには二種類のモードがあって、不特定の参加者とマッチングするだれでも対戦、そしてともだちコードを交換しあった相手とのともだち対戦。今日はそのうちの、だれでも対戦の感想を簡単に書こうと思います。

勝つ時には勝つし負ける時には負ける

 当たり前のことですが、勝つ時には勝つ、負ける時には負ける、勝負というのはえてしてなんでもそんなものですが、だから負けることをむやみに怖れることはないというのが、だれでも対戦を数戦してみた感触です。

 勝つ時というのは、初期ブックで挑んでも数千の差をつけて独走、逃げ切ることができるものですし、負ける時というのは、どんな好カードを引いていたとしても、ちょっとしたことで転落してしまう、そんなもんなんです。どう見てもこりゃ初心者だなという相手の高額領地、普通なら当然落とせるような土地を目の前にして、クリーチャー呼び出し不可の呪いを受けることがあります、しかも他人が踏んだほこらで。あるいは、万全の守りを築いた、アイテムだってそろってる、いつ踏んでくれてもオッケーだというときに、手持ちのカードが一掃されてしまうことだってある、自分の踏んだほこら効果で。大宮ソフトいわく、DS版のほこらは旧作に比べると圧倒的に「止まった人に悪いこと」が減ったとかいいますが、正直予期できない効果という点で、踏みたくない、踏んで欲しくないというのが本音です。実際、手持ち一掃されたせいで、逆転の一手を失ってしまったこともあったし、あるいは追い上げられるきっかけになることもあって、ほこらを踏むということはやばいことが起こるということだ、そう思ってかまわないと、私は思います。

 とまあ、不確定要素もあるゲームです。手札が破壊された次のターンで、相手の高額地に踏み込む。ああ、あるある。普通にある。私は三回枯渇しましたよ。一回の対戦中に! そんなものなので、とりあえず勝ち負けは気にせず、仮に追いつけないくらい引き離されたとしても、ラストラウンドまで、せめて最下位は避けるべく、つまり敵の領地を攻め落とすチャンスを窺い続ける。そういうのもまた楽しいゲームなのだと思うのですね。

 私は現在、だれでも対戦では勝ち越し中ですが、おそらくはそれも最初のうちだけで、今はビギナーである人が慣れて、様々な戦略、戦術を学べば、そう簡単には勝てなくなるでしょう。だから、いかに楽しくプレイして、勝っても負けても、その過程を楽しめるか。それが重要なのだと思うのですね。

 なお、私がこれまで対戦した人は、皆とても紳士的な人でした。アイコンチャットもちょこちょこ交えながら、妙手が出たら讃え、相手に痛撃を加えたと思った時には申し訳ないと意思表示して、そして終了すれば勝者を讃える。たとえ自分が枯渇の最下位だったとしてもですよ。そういう対戦ができた時には、お互いによかったと思えるんじゃないかと思います。そして私はこれまで、少なくとも不快に感じた対戦はありませんでした。いや、一度どう見ても回線不調と思われる切断があったのですが、CPU化した相手に人間ふたりが蹂躙されたのは情けなかったかな。でもそれもまた経験です。負けて戦略を学ぶ。相手の妙手を見れば、真似してもいいし、対策をしてもいい。そうしたコミュニケーションをはかれる場、それが対戦ってやつなのだと思います。特に、どんな人と当たるかわからないだれでも対戦においては、なおさら新文化と出会う可能性が高いと、そのように感じています。

ちょっと困った点

 ちょっと困った点もひとつ。

 だれでも対戦は、一応狙いのマップを選んで参加するのですが、マッチングの状況によっては、全然違ったマップで始まることもあります。この仕様があるせいで、パーミッションなど、マップを選ぶカードは入れにくくなってるように思います。例えば、スネフを希望してても、ロカで始まることがあるってことです。こうなると、パーミッションはまったくの無駄カードになりますね。

 人が少なくなってもマッチングするように、こういう仕様になってるのだと思いますが、基本汎用ブックでしか戦えないというのは、ちょっとつまらないなと思うんですね。結局つきつめて楽しみたい人は、ともだち対戦をせよってことなのだと思います。


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公開日:2008.10.18
最終更新日:2008.10.18
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