Lの季節2をはじめる前に

 『Lの季節2』が出ると聞いて、それは本当に嬉しいこと。けれど、やり残したことがあるんだ。以前、文書「さようなら私の恋」にも書いたことだ。私は、星原の場合「なぜ彼女は彼女の名を呼んだのか」の続きを書かなければならない。しかし、2004年8月を最後として、更新はストップしている。

 文書星原の場合「なぜ彼女は彼女の名を呼んだのか」において、私は星原百合が天羽碧を、天羽さんとではなく、碧ちゃんと呼んだことを問題としていた。それは天羽碧と直接的な友人関係を持たなかった現在の星原百合にとっては不自然で、一見矛盾である。しかし、私はそこに納得のいく理由を見付けていた。星原が天羽を名で呼ぶその理由を、星原百合の内面に求め、そしてその証拠となるテキストを見付けていた。文章のおおまかな骨子はすでにできあがっており、残すは最終の章を書き上げるのみというところでストップしたのは、特に理由があるわけでない。ただ、書けずにいただけの話だ。

 残された最終章においては、星原と身体に残された百合の記憶についてが語られる。要点はすでに拾い上げられており、クリアファイルにひとまとめにされている。だから、本当に、後は書くだけなのだ。しかしそれができなかったのは、自分の思うものを充分に表現できないかも知れないという怖れのためであり、そしてその怖れは文書を最初の年にまとめきることができなかったために生じた。

 私は毎年夏になると、これらの文書を読むことにしている。そして、常にかばんに入れて持ち歩いていた星原資料を見る。それは2005年の夏まで続けられた。そう、「さようなら私の恋」が書かれた年だ。文書の更新は2004年に止まったが、その翌年にももちろん書き続けられる予定だった。しかしそれがなされなかったのは、『Lの季節』に触れる時間が持てなかったことが大きい。生々しい実感を持って彼女らの出来事を想起できなくなった。それが踏み込むことへの怖れを生み出してしまったのだ。

 それでも文書は読まれ続けた。それは私の期待をかき立てる行為そのものであった。しかし私は自分の期待に応えられない可能性を思い、その応えられないかも知れないという考えが私をことさらに怯えさせた。

 そして、今、私は、2008年の夏を目前としている。8月には十度目の夏が訪れる。そして、その一ヶ月前、7月3日には『Lの季節2 -invisible memories-』がはじまろうとして……。

 私が今考えていること。それは、その日が訪れる前に、「星原の場合」を書き終えることができかどうかだ。「星原の場合」は、『Lの季節2』にて語られることによって、否定される可能性を持っている。ゆえに、この機会を逃せば、この先完成されることはないだろう。新事実が出ても同様。だから、私はこれからの三週間で、この文書を書き上げなければならない。

 できるかできないか、それは問題ではない。問題は、やるかやらないかである。そして私は今そのどちらに傾いているというのか。それは、いずれ明らかにされることだろう。


夏それは「Lの季節」或いは天羽の場合に戻る

公開日:2008.06.13
最終更新日:2008.06.13
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