詩歌論Aレポート
宮澤賢治は一般的に作家、詩人として知られており、歌曲を残していることは以外に知られていない。宮澤賢治による歌曲は、賢治自身による作詞作曲、賢治の詩に曲が付されたもの、既存の曲に賢治が作詞したもの、の三種に大別することができる。このレポートでは、賢治がイッポリトフ・イワーノフ作曲の「酋長の行列」に付した詩を取り上げる。
(風ぬるみ鳥なけど)「牧馬地方の春の歌」
風ぬるみ 鳥なけど うまやのなかのうすあかり かれくさと雪の映え 野を恋ふる声聞けよ 白樺も日に燃えて たのしくめぐるい春が来た わかものよ 息熱い アングロアラヴに水色の 羅紗を着せ にぎやかなみなかみにつれて行け 雪融の流れに飼ひ 風よ吹き軋れ青空に 鳥よ飛び歌へ雲もながれ 水いろの羅紗をきせ 馬をみなかみに連れ行けよ
この曲は、タイトルが示すように、牧場に訪れる春の光景を歌ったものである。タイトルにある「牧馬地方」を限定することはできなかったが、これは漠然と牧場をあらわしているのかもしれない。
詩の第一行、「風ぬるみ 鳥なけど」は春が近づいてきている様をあらわしている。賢治が育った地が岩手県花巻であり、詩が放牧を行っている高地をうたっていることからも、かなり遅い春の訪れ、または厳しい冬が過ぎ去ろうというさまが読み取れる。「鳥なけ」に付されている「ど」は逆接の既定条件を示しており、第二行「うまやのなかのうすあかり」により、まだ冬が完全には去っていないことを導いている。「うまや」は明らかに「厩」であり、「うすあかり」は日の出が近いことをあらわすとともに、春の近づきを暗示する。即ち、第一行で「春の訪れ」をいいながら、まだ冬が去っていないということを示し、第二行で冬が明け春が近いことをあらわしている。
第三行「かれくさと雪の映え」は、まだ草が芽を吹いておらず、雪が残っているさまである。「かれくさ」には文字どおりの枯れ草の他に、秣(まぐさ)をあらわす意味もあり、これにより、馬の飼料に積もった雪を思い描くことができる。もし後者のイメージによるのならば、地面に降り積もった雪は解け消えているとするのが妥当であろう。第四行「野を恋ふる声聞けよ」は、長い間雪に閉ざされていた馬や人の大地を恋うる想いをあらわしているとみてよいだろう。この場合の「野」は、自然や外の世界をあらわすが、具体的には放牧地をあらわす。
第五行「白樺も日に燃えて」。「白樺」はカバノキ科の落葉高木。亜高山の陽地に自生する。白樺は春、新葉に先立って穂を生ずるため、「日に燃えて」から、春の日の降りそそぐ中で、穂を生じているさまをみて取れる。また白樺は亜高山に生えることから、標高千七百〜二千五百メートル前後に、この牧場があることがわかる。
第六行「たのしくめぐるい春が来た」によって、春の訪れが明確にされる。この「たのしく」は一般的に用いられる愉快なさまをあらわす「たのし」よりもむしろ、豊穣なさまをあらわしているととる方がようだろう。「めぐる」は季節が変わり、再び春が訪れること、「い」は体言や活用語の連体形の下に付いてその語を強くきわだたせるための間投助詞であり、これにより再び春が訪れたさまを強く印象づける。
第七行から第十一行「わかものよ/息熱い/アングロアラヴに水色の/羅紗を着せ/にぎやかなみなかみにつれて行け」。「わかもの」は牧場の若い衆、「よ」は呼びかけに用いる助詞である。「息熱い」は次行「アングロアラヴ」にかかるものである。この場合の息はアングロアラブ種の馬が発する、呼吸気であり、それが熱いということは馬の活気、勢いをあらわす。アングロアラブとは、フランス原産のウマの一品種である。アラブ種とサラブレッド種を交配したもので、姿が美しく、乗用馬として優れている。「羅紗」は羊毛の毛織物であるが、現在では毛織物全般を指しており、この詩における羅紗がどちらであるかはわからない。だが、水色の毛織物を馬に着せるのは、馬を川に連れていく際に、馬の体を冷やさないようにと配慮したからであり、まだ屋外が寒いことを暗示する。「にぎやか」は「みなかみ」即ち川上が雪解けによる増水のために騒がしく水音をたてるさまをあらわすのであろう。
第十二行、第十三行「雪融の流れに飼ひ/風よ吹き軋れ青空に」は、第五行、第六行に相当する、繰り返し部分である。「雪融の流れ」は春になり解け出した雪によって増水する川であり、そこに馬を飼うということは、川のそばで馬を飼育する意味ではなく、その雪解け水を馬に飲ませるということである。「風よ吹き軋れ青空に」は、ぬるみ始めた風が春空に強く吹く様をあらわすのであるが、「軋れ」という命令表現により、強くそうあってほしいという願望がみて取れる。
第十四行「鳥よ飛び歌へ雲もながれ」は、第十三行につながっている。ここで用いられる「鳥」は、第十三行の風吹き軋る青空に飛んでいるのであり、その鳥に対して「飛び歌へ」という命令表現を用いることにより、春に対する強い期待、願望をあらわしている。また「雲もながれ」はその青空に浮かぶものであり、それが流れているということは、風があることをあらわしている。しかしここでの雲は、青空を強く印象づけるためのものであろう。
第十五行、第十六行「水いろの羅紗をきせ/馬をみなかみに連れ行けよ」は、第九行からだい十一行までを別の形であらわしたものである。先の「アングロアラヴに水色の/羅紗を着せ/にぎやかなみなかみにつれて行け」と異なる点として、「アングロアラヴに」が削除されていること、そのかわり「馬を」が挿入されていること、「にぎやかな」が削除されていること、「つれて行け」が「連れ行けよ」となっていること、をあげることができる。アングロアラヴが削除された理由としては、馬種を示す必要がないこと、また「息熱い」がないため、この位置に馬をおく必要がないことであろう。そのため、馬は最終行に移され、このことにより、より馬をみなかみに連れ行くという行為を際立たしている。「にぎやかな」が削除されたのは、同一の形容を避けるためだけでなく、客語「馬」と補語「みなかみに」を近づけ文意を明確にさせ、命令表現を強めるための「よ」付した動詞「連れ行け」の、強い願望を現すという効果をさらに補強している。