まさに巨星落つ、あと続報

まさに巨星落つ!

 カレリン、決勝に敗れる。正直驚きでした。

 やはり歳には勝てないのか、決勝戦において、何度もそのチャンスをもちながらガードナーを持ち上げることがかなわなかったのは、相手の技術の勝っていたからか、それとも体力的に陰りを見せていたのか。

 話に聞くと、カレリンは肩と首を傷め、練習が行き届かなかったという。それが直接に決勝を落とすことにつながったかどうかはわからないが、しかし故障を起こすということも含め、全盛期を過ぎて頑張り続けてきた彼にも、他のあらゆるものと同様に、時の祝福が降り積もっているということなのだろう。

 やはり、霊長類最強と言われ、永遠に陰ることのないかに思われた彼も、人として我々と同じ時間を生きているのだ。

 彼の無敗の記録はここでストップしたが、この記録は長く破られることはないだろう。カレリンの偉大さを改めて噛みしめるとともに、これからはロシアの国内情勢の安定と発展に貢献して欲しいと思う。


ラドゥカンを巡る続報

 ラドゥカンの金メダル剥奪に対する抗議として、繰り上げで一位二位になるルーマニア選手がメダルを返上していたそうだ。

 またそれにともない、スポーツ調停裁判所に、金メダル剥奪に対して異議を申し立てる提訴が行われている。

 また、本日、9月27日付朝日新聞夕刊によると、ラドゥカンが体操をやめるという意向を明らかにしたという。

 これらを見るに、スポーツとはなんと複雑に政治的な世界かと、思わずにはおられない。そもそもは、IOCの、禁止薬物使用に対する態度を明確にし、ドーピング行為の牽制としてこの事件を利用しようという、明らかに政治臭の強い裁定が発端となっている。

 この裁定に対してのルーマニア選手達のメダル返上行為についても、極度に醒めた目で見ると、政治色が感じられないだろうか。確かに、彼女らの行為の、ラドゥカンに対する同情心を疑うことは、人間的暖かさに欠けるといわれても仕方がないかも知れない。しかしそれでも、オリンピックにおけるメダル獲得が国を挙げての至上目的となりうる以上、このメダル返上から引退宣言、提訴につながる一連の行為は、高度に演出された政治的趣向を感じさせる。

 だが、政治的行為について、ただ否定的に批判を展開しようとしているとは考えないでいただきたい。もともとからして、僕自身がこのWebページで、先日の柔道判定疑惑から今回の女子体操メダル剥奪に関しての、度重なる主張をしていること自体、ほかならぬ僕自身の個人という最小単位における政治活動であるのだから。

 ただ、それを前提としても、僕が悲しく思っていることは間違いない事実である。スポーツという、競技内のルールに従って果たされる営為は、その競技外からの干渉なしに、純粋な行為そのものとしての評価がされるべきだと、僕は思っている。それとも、僕のいうこれらは、過剰にスポーツというものを特別視して、ロマン主義的に過ぎるだろうか。

 いや、おそらくはそうだろう。現実というものの、あまりに煩雑な手続きに疲れて、スポーツや音楽などこそ日常を超越する、特別な営為、特殊な出来事 (occasion) であって欲しいと、願いすぎている。

 しかし、僕はあえて今回の政治に捲かれてみようと思う。もちろん、ルーマニア側の政治にである。せんだってはアクセスできなかった、シドニーオリンピックサイトのコンタクト・アス、今回はつながるだろうか。


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公開日:2000.09.27
最終更新日:2001.09.02
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