第11回 芸術祭典・京

「アルレッキーノと太郎冠者」

演劇ワークショップ一日目



あらまし

 昨日の仁和寺での公演は、このワークショップへの導入でもありました。少なくとも自分にとっては、今日から始まる狂言とコンメディア・デラルテのワークショップこそがメインイベント。この日の来るのを待って待って待ちわびました。

 しかし、いってみて驚くのは、そこに集まる人が実に堂に入った人ばかりだったということ。悠々と柔軟体操をして見せる女性の可動範囲の大きさに恐れ入り、いかにも舞踊、舞踏、バレエなんかやってますよといったような人に恐れおののくばかり。

 大丈夫だろうか。普段、身体的生活をしていない自分に、六日間つとまるのだろうか。不安になって、縮こまってしまいました。

ワークショップ一日目

自己紹介

 自己紹介を終えて少々安心することが出来ました。趣味で舞踊をしているという人、仕舞をしている人、さらには役者を目指す人などとそれはそれは気合いのはいった人ばかりではあったのですが、不安なのは自分だけではないということが伝わってきたのです。馴れた感じの人もいますが、それでもコンメディア・デラルテについては不明の人の方が多い。皆が皆ドキドキしていたようです。

コンメディア・デラルテ説明、意識と身体

 ワークショップの出始めは、コンメディア・デラルテについての説明から始まりました。内容は、昨日の公演のものと似ていましたが、公演ではマスクとその役柄についてが中心だったのに対し、今日は歴史と所作や表現の基本的な部分が語られました。説明にさいしておこなわれたのが、アルレッキーノが持つ棒を投げ、受けるということ。全員がこれをおこない、マルケッティ氏のようには棒を扱えないことに四苦八苦しながら、氏の説明する意識と身体の関係を、明確に意識したのでした。

 頭で考えては駄目なのです。身体の動作でもって、身体で考え、意識のコントロールを離れたところで棒を投げるのでしょう。また、向かい合う相手に棒を投げ渡すとき、棒を投げる主体は棒に移り、また投げ渡される相手でもあるという少々形而上的な話題も出ました。まさか、この説明の際にオイゲン・へリゲルの『日本の弓術』が引き合いに出されるとは露とも思わず、二度驚きました。

身体を動かす

 ひとしきり棒を扱った後は、身体を動かします。輪になって歩くのですが、その歩き方にたびたび注文が出ます。音を立てて、音を立てずに、普通に。前をゆく人との距離を一定にして、足は足で動かす。意識と身体を別々にして、動かすということのようです。

 次は音楽に合わせて、注文されたやり方で、同様に輪になって歩きます。その注文というのが、ちょっとしたステップみたいになっていて、結構ややこしくなってくるものばかり。考えないと出来ないのですが、考えると身体が動かなくなります。きっと、身体で考えられるようにならないと出来ないのでしょう。

 音楽(パーカッション・リズム)も最初はゆっくりで始まるのでなんとかついていけようものですが、だんだんテンポが速くなっていってついていくのも必死。足はふらつくし、なにも考えられないようになってくる。けれど、この頭を空っぽにして身体動作でもって動いていくことが重要なのだろうなと、汗だくになりながら思いながら、実際のところはついていけてないんですよ。

 最後に、腹式での深い呼吸をやって一日目は終わり。充実した時間で、二時間が経つのもあっという間。明日はどういう展開が待っているのか楽しみに思いながら、今日を後にしました。


演劇ワークショップ二日目

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公開日:2001.05.22
最終更新日:2001.09.02
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