不便を愉しむ

 著しい進歩を見せる情報技術は、コミュニケーションの質を革命的に変化させて、世の中を一気に合理的に、便利にしてしまった。遠くの人とも即座に声をかわすことを許し、相手の都合をとんちゃくせずに文を送る手段も用意されている。電話も、家庭に一台の昔から、個人に付くものへと進化して、あの娘への用件を無粋な家族にインターセプトされるといった悲劇もなくなった。煩雑な手続きは合理化されてどんどん便利に。けれどそうなればなったで、なんだか昔の面倒を懐かしく思えてしまって、ときにあえて不便をしたくなる。

 仕事の上でちょっと考えるところがあって、その方面に明るい先生を研究室まで訪ねた。直接の面識はないものの、お互いのことは知っていて、メールで済ませてもよかったのだが、あえて訪問するという手段を選んだのだった。

 授業時間を避け、慌ただしい時刻にお邪魔になってはと、昼の休みに訪れた研究室は留守。約束を取り付けたわけでもないので、無駄足を踏むのも別段不思議ではない。

 メールで済む用向きを強いてメールで済ませないのは、面識がなかったためということもあるが、それ以上に、手間と暇をかけることで、その人への尊重の意志を明らかにしたいという思いがその底にあった。キャンセルできる面倒をあえて踏むことにより、その相手に心を砕き、斟酌したいと考えた。

 無用の用という言葉が好きだ。合理的ということの前に切り捨てられる手続きは、無意味に見えて無意味ではない。嫌われ、端折られやすい時候の挨拶も、思いを馳せて書かれたものは美しく、ありきたりの出来合いでは表せない心の機微が見え隠れする。相手の手元に届くだろう頃を思い、心を尽くし、相手を慮った文面は、形象内実ともに決して自動的ではありえない。

 一日一通で、百日書いたことがある。趣を変え綴る手紙は、苦労ながらも面白かった。不便に咲く花もまたある。ときにはこれをゆるりと愉しみたい。


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公開日:2001.05.01
最終更新日:2001.09.02
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