シリーズ 旅行けばイタリア

ローマ

ローマでの日程

一日目(金曜日)
ユーロエクスプレスバス下車
二日目(土曜日)
スペイン広場アウグストゥス帝廟裁判所サンタンジェロ城サン・ピエトロ広場ヴァチカン美術館サン・ピエトロ大聖堂ポポロ広場、双子の教会メトロ経由→コロッセオコンスタンティヌス帝の凱旋門フォロ・ロマーノヴィットリオ・エマヌエーレ二世記念堂トレヴィの泉マルクス・アウレリウスの円柱パンテオンナヴォーナ広場(ムーア人の噴水、四大河の噴水、ネプチューンの噴水)
三日目(日曜日)
ナポリ・ポンペイ日帰りバスツアー
四日目(月曜日)
テルミニ駅レオナルド・ダ・ヴィンチ空港

ローマにて地獄をめぐる

 ローマには、バスではいりました。サン・ジミニャーノとシエナを経由してのバスツアー。終着地がここローマです。でも、ローマ入りの感触は芳しくありませんでした。道は石に敷き詰められてがたがた。容赦なく揺れるバスの運転は、思いのほか乱暴。かてて加えて、イタリアはやたら一方通行が多いときている。がたがた、ぐらぐら、ぐるぐる。気分は最低です。

 ほうほうの体でバスから降りれば、ツアーコンダクターさんが気を利かせて、タクシーを呼んでくれようとしたのでした。お願いだからやめてーっ。なんとか持ちこたえたというのに、ここでタクシーになぞ乗ったら……

 というわけで、がらごろとスーツケースを引き摺りながら、ホテルへと向かうのでした。ありがとう、親切で楽しかったツアーコンダクターさん。たくさん説明をしてくれていたのは知ってたけれど、酔わないようにずっと寝ていたのでほとんど聞いてませんでした。ごめんね……

 ローマは驚くほどに巨大。道も大きい、街も大きい。今まで訪れたどの都市と比べても、まだまだ巨大でした。さすがはイタリアの首都であり、またヨーロッパの文化の発祥の地のひとつであります。あまりに大きすぎて、僕にはちょっと馴染めそうにないと思われたのは、ひとえにバスに酔ったせいだったでしょうか。

 なんでもが大きいローマは、昨日までいたフィレンツェとは違い、ゆったりとした余裕がそこかしこに感じられて、僕には不安を誘うのでした。けれど、ホテルへのみちのりに雰囲気のいい書店を見つけて、少し不安を紛らわせたのでした。この本屋には、いずれ来よう。そう思った道の先に、ホテルが見えてきました。

スペイン広場を皮切りにアウグストゥス帝廟前を通り裁判所を見ながらサンタンジェロ城を横目に見たという話

 ホテルで一息をつき、翌朝。美術館は午前中に攻めるというルールにしたがって、朝の六時に起きるのでした。さっさと身支度をすませると、ホテルで軽い朝食。少し落ち着いたと思ったら、もはや出発という慌ただしさでした。

 この慌ただしさには理由がありました。ローマは三泊を予定していますが、そのうちローマ観光にあてられるのは今日だけ。明日はナポリ・ポンペイへと遠出し、明後日はもう帰国の途につきます。なので、たった一日だけのローマを満喫するために、強行軍を敢行すると決まったのです。

 観光スケジュールは、昨夜のうちに決めてありました。とにかく数多くまわることだけを考え、観光スポット経由経由の大徒歩観光。後に、ローマ地獄めぐりと呼ばれることになる行程です。

出発

朝のスペイン階段 ホテルを後にして、まずはバルベリーニ広場に出ました。ここからシスティナ通りを抜けて、一路スペイン広場へと向かいます。スペイン広場の見どころは、スペイン階段とバルカッチャの噴水。けれど広場というくらいなので、あまり長く滞在したり鑑賞したりするものではありません。ということで、朝一に攻めて、一通り見たら次に移動。むしろ朝早くのほうが、人がいなくてゆっくり見られていい感じです。同じ考えなのか、ツーリストの一群が階段で記念撮影をしていました。その観光客がどいてゆくのを見ながら、さっさと次の場所へと移動。結局、ゆっくり見ている暇はありませんでした。

 スペイン広場を出た後は、一路サン・ピエトロ広場へと向かいます。その途中に位置するのが、アウグストゥス帝廟でした。

アウグストゥス帝廟そばの教会 アウグストゥス帝廟は、ローマの初代皇帝であるオクタウィアヌス(アウグストゥス)が自らのために建立した霊廟です。石造りの墓所は円形をしていて、ところどころは朽ちかけていました。そばには墓所を守るように教会があり、アウグストゥス帝と見られる像が建っています。あまり大きくもなく、こぢんまりしたという印象の強い場所でしたが、その朽ちた砂岩の風合いが朝の光に落ち着いて見えて、意外と記憶に鮮やかです。

 アウグストゥス帝廟を通り抜けるように、目的地に向かいます。カヴール橋を渡りテヴェレ川沿いに歩く右手に現れたのは、裁判所でした。といっても、特に有名な観光地というわけではありません。でも、いつなんどきなにがきっかけになってお世話になるかわからないので、よっくおがんでおきました。

サンタンジェロ城 裁判所のその向こうには、オペラ『トスカ』で有名なサンタンジェロ城が。入場もできる有名スポットですが、今回は見送り。時間がないのが悪いのです。ただ、トスカが飛び降りたという城閣はしっかり見ておきました。

 そしてようやくたどりついたのが、本日最初の目的地。サン・ピエトロ広場でした。

サン・ピエトロ広場

サン・ピエトロ寺院 サン・ピエトロ広場。厳密にいえば、ここはもうイタリアではありません。そう、ここは世界一小さな独立国、ヴァチカン市国。独自の通貨も持つヴァチカン市国ですが、大丈夫、リラが通じます。なんらかわらぬ、イタリア気分です。

 サン・ピエトロ広場には、有名な場所があります。カトリックの総本山であるサン・ピエトロ大聖堂。そして、ミケランジェロの『最後の審判』で有名なシスティナ礼拝堂をうちに持つヴァチカン美術館。まずは、ヴァチカン美術館から入ることとしました。理由はもう、いわずもがなですね。

ヴァチカン美術館

 ヴァチカン美術館に着いたのは朝の九時過ぎ。結構早くついたと思っていたのに、もはやもはやの長蛇の列。もしこれが昼ごろだったら、一体どうなるというのでしょう? イタリアまできて、日がな一日並んで過ごすなんてのはごめんです。少しでも早くついてよかった、とほっと安堵。

 ここは今まで見てきた美術館とは、明らかに規模が違いました。はっきりいって巨大すぎ。可能なかぎりすべてを見るというのがモットーですが、ここでそれをやっていれば、一日が終わってしまいかねません。というわけで、いくつかある見学コースのうちから、少し端折ったCコースを選んで出発しました。

 この美術館のすごいところは、いたるところにビッグネームが、それこそ普通の顔をして置いてあるというところです。古代エジプトやローマの美術品があるかと思えば、ダ・ヴィンチの彫像がありミケランジェロがあり、またラファエロがあり。とにかく、壮大なうえに贅沢。古いものだけかと思いきや、近代宗教美術も充実して非常に驚きでした。意外と、近現代の宗教画を見る機会というのはないものです。それをまとめて、たくさん見たという感じ。本当に充実でした。

 この美術館にいたっては、朝も早かったのに本当に人がいっぱいでびっくりでした。とりわけシスティナ礼拝堂がすごい。さすがはミケランジェロの大天井画と『最後の審判』の威力です。広間を埋め尽くす人人人。金網でしきられている内は、立ち止まっての鑑賞が禁止されていて、とにかく動け動けと声がかかります。

バールの看板 立ち入り禁止区域を抜ければ、次は創世記をモチーフとした天井画が圧巻。これもまた壮大、荘厳ときています。壁際によってほうけたように見ながら、どれがなんの場面か考えるのは、ちょっと楽しいものです。もっと旧約聖書の世界を知っていれば、より以上に楽しめたはず。これからいかれる方には、予習をお勧めしておきます。

 ちょっと急ぎ足気味の鑑賞でしたが、結局ほぼすべてのコースを回ってしまい、すっかりお腹いっぱいのヴァチカン美術館でした。でも、ここで印象的だったのが、美術館内のバールが半端じゃなく安かったことというのは、どういうことなんでしょうね。

サン・ピエトロ大聖堂

 ヴァチカン美術館を出れば、次はサン・ピエトロ大聖堂です。広場を大聖堂に向けて歩いていけば、今日が土曜日だったからか、たくさんのイベントが催されているようで、非常ににぎやかでした。

 大聖堂は、今まで見てきた聖堂に比べてもなおまだ大きく立派でした。広場の規模からが半端じゃなかったのに、その広場に負けないほどの広さがあるというのはどうしたもんだろうか。とにかく、キリスト教の力というのが集約されているかのごとき偉容です。

ミケランジェロのピエタ像 入り口をくぐった聖堂右手に、もはやミケランジェロのピエタがあって驚きました。こんなにすぐに出てくるものだとは思っていなかったのです。聖母マリアが死せるキリストを抱いた、嘆きの聖母像。ピエタのなかでも最も有名なものでありましょう。

 そして、そのとなりにあったのが聖セバスティアヌスの聖画。やはりここにもあったのね、ということで、相変わらず感動。考えれば、セバスチャンはローマのディオクレティアヌス帝に仕えていたわけですから、ここにあるのが自然といえば自然ですが、やはりそれだけ人気のある聖人の一人なのでしょう。

 聖堂内部は、どこをとっても壮大で感嘆のしどおしです。あちこちにしつらえられた聖像に十字を切るキリスト者の多いことからも、ここが宗教的場として機能していることを如実に実感させます。聖ピエトロ像の足は、あまりに人が触れるために摩耗して光っており、それを僕は異教徒の浅はかさで、足の病に効くとでも思いしっかり触ってきてしまいました。でもこれって、病に効くからではなくて、信仰心の表れなのだそうでして、ありゃあ失敗しちゃったなあ、という感じが非常に強かった。

 さて、教会といえば宝物館にいかねばなりません。そして、やはりここサン・ピエトロ大聖堂にも宝物館があるのでした。

 聖堂も大きければ、宝物館もまた立派。大きな廟があり、多くの聖遺物が納められています。宝石のちりばめられた十字架、彫像など、そしてここにもミケランジェロのピエタが! ということは、入り口にあったのはレプリカであったのか。ここにはほかに写本も多く納められていて、そのなかには楽譜もありました。ネウマと違いそれは読めたものだから、思わず歌うひとこまもあって、やはりこのうえもなく充実したのでした。

 ヨーロッパは教会がすごい、キリスト教の力がすごいと思いつつ出たサン・ピエトロ大聖堂。屋上やクーポラへは登りませんでしたが、悔い無し、感無量です。

昼食と買い物

 ヴァチカン美術館とサン・ピエトロ大聖堂を経て、すっかり空腹になってしまったわたし。文化的には満足でも、身体的にはやはり疲れていたのでした。とにもかくにも昼食をとらなければならないと、ポポロ広場へ向かう途中で見つけたパスタ屋に飛び込んだのでした。

 ローマのパスタ屋だからといって、とくに取り立ててなにかが違うというわけではありません。けれど、雰囲気こそファーストフードっぽいカジュアルさですが、出てくるパスタはしっかりとしたもので、実に安心。しかも安いのだから、イタリアよい国、です。

 食事がすめば、次は買い物。といっても、ブランドショップなんかにはいきませんよ。いったのは、スーパーマーケット風の総合食料品店。お土産の買い出しでした。

チョコレート売り場 マーケットの入り口をくぐれば、そこにはお菓子の量り売りカウンターがあって、甘ったるいとろりとした空気を漂わせています。そう、ここでバッチチョコを買うのです。バッチチョコというのは、バッチ=キス、というわけでキスチョコレートです。箱入りで買うとやけに高いのが、量り売りだと断然安く買えてお得なのです。

 購入はカウンターのおじさんに頼むことになるので、もちろんここでもイタリア語コミュニケーションです。ここで重要なのはグラム数と、包みの数。三百をふたつと、二百、百をひとつずつ買いたいと思っていました。

 イタリア語で「〜が欲しい」はvorreiを使います。三百はtrecento、二百はduecento、百はcento。グラムはグラムできっと通じるでしょう(正しくはgrammo)。チョコレートは口でいうよりも、指差してquestoのほうが間違いがなさそう。

 頭の中でちゃちゃちゃと文章を組み立てると、おじさんを呼び止めて一気にいいました。Scusi signore, vorrei questo, trecento gram due, duecento gram uno, uno cento gram uno, per favore.

 わかってもらえませんでした…… 一度にいった数字が多すぎて、意味不明だったようです。仕方がないので、指で数を示しながらもう一度チャレンジ。

 トレチェント・グラム ドゥーエ,ドゥエチェント・グラム ウーノ,ウノ・チェント・グラム ウーノ,ペルファボーレ。

 そしたらやっとおじさんわかってくれて、にこにこしながらチョコレートを袋に詰めてくれました。どうやらちゃんと通じていた模様。いいかげんでも、情熱と気合いさえあれば通じるという見本のようです。

 ちなみに、チョコレートはたくさん買えば買うほど、割引率が上ります。なのでお土産は全部バッチチョコにして、コストを下げるというのも一案かも知れません。

 ここでほかに買ったものは、オリーブオイル、バルサミコ酢、パスタ、パスタソース用香辛料、粒胡椒など。まったくの食料品購入でした。とりわけ、バルサミコ酢はお買い得。日本ではなかなか高いバルサミコ酢が、イタリアでは庶民の価格です。逆に、日本では庶民の価格の醤油とか梅酒とか日本酒とか豆腐とかが、えらく高かったのでおあいこといえばおあいこなのですが……

ポポロ広場、双子の教会

 腹ごしらえもすみ買い物も終えたわけで、地獄めぐり後半戦がスタートです。まずはポポロ広場にいきます。目的は有名な双子の教会――ではなくて、ここから地下鉄に乗りコロッセオまでショートカットを狙うというものでした。

 最初は、コロッセオまで歩くつもりだったのでした。けれど思った以上にヴァチカンで時間をとってしまい、午後を予定通りにこなすには、徒歩ではどうにも無理と判断されたのです。それに、当初の予定では荷がこれほど重くなることは想定されていませんでした(油と酢で瓶四本、充分重いよ)。体力を温存する意味でも、地下鉄がベストと思われました。

昼下がりのポポロ広場 と、その前にポポロ広場です。ポポロ広場というのは、かつてのローマの入り口です。ここにはポポロ門があって、鉄道が発達するまでは、この門が文字通り玄関口として機能していたというのです。そして、広場の真ん中にはオベリスクがあり、双子の教会として名高いサンタ・マリア・ディ・モンテサント教会とサンタ・マリア・ディ・ミラコリ教会が、道を挟んで隣り合っています。この教会たちは、一種独特のやわらかさをもっていて、昼過ぎののどかさに少なからず関わっていたように思えます。

メトロに乗る

 ローマには地下鉄が二路線走っています。運賃はどこまで乗っても同じなので、非常に気楽に乗ることが出来ます。切符の購入も自動販売機でオッケー。本当に、気楽です。

 自動販売機は、伊英仏独西の五カ国語対応。迷わずフランス語です(駄目駄目だ)。紙幣投入口にリラを投入し、スムーズに切符を購入。値段は、大人1.500リラです。

 入場の際には、日本の改札のようにではなく、改札に設置された入場日時刻印機に切符を差し込んで通ることになります。この刻印が曲者で、忘れても乗れるのですよ。ということは、切符は無傷なわけです。また使える。というわけで、この刻印を忘れると無賃乗車として扱われ、罰金を請求されるというのです。

 この理屈は長距離旅客でも一緒。イタリア(というかヨーロッパ)の鉄道を利用するときは気をつけましょう。それと、旅客車のドアは自動でない場合も多々あるので、降りたいときは扉開ボタンを押してやりましょう。でないと、扉が開かないといって、大慌てするはめにもなりかねません(というか、慌てたんだ)。

 地下鉄は治安が悪い治安が悪いといわれていて大緊張でしたが、怖れるほどのことはありませんでした。ただ、気を抜いてはいけないのは、地下鉄でも路上でも一緒。必要最低限の緊張感は、絶対に必要です。

コロッセオ

コロッセオ コロッセオ駅でメトロから降りて、地上に出たそこがもうコロッセオの前。写真やテレビで見たまんまの姿で、コロッセオががつんとありました。

 やはり大きいのですよ。けれど、驚かされたのはその大きさよりも、あまりにも観光地化されすぎた、そのありさま。コロッセオ周辺には、古代剣闘士の格好をしたエキストラが山ほどにいて、写真を一緒に取ろうと盛んに呼びかけてきます――日本語で。シャシン トリマショー。サムラーイ、サムラーイ。アントニオイノキー。一体、誰が教えたってんだ。ちょっとむかむかしながらの入場となりました。

 外はひどかったけれど、中に入ると喧騒は過ぎ去って、古代遺跡に向きあっているという感覚が俄然強まります。闘技場の床は一部が再現されていて、昔ながらに白砂がひかれていました。この砂は、流れた血を吸って片づけを容易にするという理由のほかに、白に赤が映えるという視覚的効果を考えたものでもあったといいます。かつて、ここで、人が生き死にをかけて、見せ物として闘ったのだと思えば、異様な感慨に襲われます。今の時代に生まれてよかったのかも知れない。今も人の権利は剥奪され続けてはいるが、過去におけるほどではないだろうと思い、楽観したいと思ったのでした。

 さて、ここのブックショップには、例のバンビーニシリーズがあったのでした、それも山ほど。古代ローマ、古代ローマ続、ヴァチカンとサン・ピエトロ大聖堂、ローマ近郊、ローマの動物たち(なんで?)。もちろん、全部購入。あきらめ悪くヴェネツィアはないかと聞いたのですが、やはり置いていませんでした。残念。

コンスタンティヌス帝の凱旋門 コロッセオの上層部からは、コンスタンティヌス帝の凱旋門を見下ろすことが出来ました。コロッセオの向かいに建てられたこの凱旋門は、コンスタンティヌス帝がマクセンティウス帝に勝利した記念のもの。起源三百年ごろにまでさかのぼるのだそうです。地上からも見上げることが、もちろん可能ですが、コロッセオから見るというのも、ちょっとおつなものです。

フォロ・ロマーノ

 そして、本日最後の中心的観光スポットである、フォロ・ロマーノへの入場です。

夕暮れ間近のフォロ・ロマーノ 今までに随分と時間を費やしてきたために、もう夕暮れ間近となっていました。けれど、それほど大きくないフォロ・ロマーノなので、隅々までというのは無理でも、比較的ゆったりとした気分で歩くことが出来ました。むしろ夕暮れだからこそ、日の光もすっかり和らいで穏やかであったのかと思われます。

 人の姿は、もうぱらぱらとしか見られないようになっていました。ほとんど人に会わない古代遺跡は物悲しく、隆盛を極め、そして凋落していった古代都市に思いを馳せたものです。気持ち良く風が吹くなかを、カメラを構えてファインダーに覗く古代ローマの落日。日が沈んで暗くなり始めたフォロ・ロマーノは心静かで、ずっとここにいたいと思わせる心安さと、時間が止まったような静けさが満ちていました。

地獄めぐりは続く

 フォロ・ロマーノを立ち去ったとき、すでに日は沈み、ローマは夜に向かおうとしていました。コロッセオ、コンスタンティヌス帝の凱旋門に向かえば、そこには何組もの花婿、花嫁たちがいて、夕暮れに華やかさを添えている。なにかしらのイベントだったのでしょうか、それとも合同での結婚式だったのでしょうか。なににせよ、目にもうるわしい花嫁というのは、いかにも仕合せそのものというなりをして、見るものを和ませてくれます。あの野蛮な剣闘士たちはもう帰り支度。最後の最後に、いい場に立ちあえたと、僕も少し和んだのでした。

 しかし、和んだのもその時だけ。地獄めぐりは、まだまだ続きます。

ヴィットリオ・エマヌエーレ二世記念堂を見上げ感嘆した後、トレヴィの泉にはじまって、マルクス・アウレリウスの円柱、パンテオンを冷やかしながら、ナヴォーナ広場の三つの噴水を見るため、歯を食いしばって歩いたという話

燦然と輝くヴィットリオ・エマヌエーレ二世記念堂 コロッセオからは、フォリ・インペリアリ通りを通って、ローマ市街中心へと戻っていきます。このあたりには、考古学的見物が多く、先ほどのフォロ・ロマーノだけでなく、フォロ・アウグストを右手に見ながら、ゆっくりと市街にむかいました。そのうちに見えてくるのが、ヴィットリオ・エマヌエーレ二世記念堂。こうこうとライトアップされた記念堂は、灯に呼び寄せられた鳥たちを従え、このうえもなく幻想的。手ぶれなしに撮れるわけもないと知りながら、思わずシャッターを切らせるほどに美しく、立派でした。

 車のごうごうと走るヴェネチア広場で、しばし休止。地図を確かめ、コルソ通り経由でトレヴィの泉にむかうことを決定。歩き出しました。コルソ通りからトレヴィの泉にいくには、コロンナ広場手前で右に折れるといい。けれど、いたるところにトレヴィの泉への案内看板があるので、なにも考えず歩いていけます。看板にしたがって歩いていけば、だんだんと細い道、路地に入っていって、はたしてこれであっているのかどうかが不安になってきます。けれど、手作り感にあふれた案内看板を見ながら角を折れてびっくり。そこにいきなり広がる、トレヴィの泉のパノラマ! って、これって街角にいきなりあるもんやったん!? 本当にびっくりしました。

トレヴィの泉 トレヴィの泉は、普通の建物(?)のすぐ裏手に、あたかもくっつくようなかたちで広がっています。夜もふけはじめているのに、いやいるからこそか、泉のまわりは人でいっぱい。人がいっぱいのところには、当然のごとく警察の警備と、そして花売りがいて、しかもここの花売りは、結構売れてるようでもありました。そうか、結構売れるのか。生活にこまったら、自分も花を売ろう。

 さて、トレヴィの泉といえば、後ろ向きにコインを投げ入れると再びローマを訪れることが出来るという言い伝えが有名です。なので、当然投げ入れてきました。あんまり強く投げて像を傷めてはいけない。そっと投げるにとどめておきましょう。

 トレヴィの泉を見終えてまだ時間に余裕があったので、せっかくだからナヴォーナ広場の三つの噴水も見ておこう。ホテルとはまったくの逆方向に進むことになりますが、今日がローマ観光の最終日。いかないわけにはいかないでしょう。

 トレヴィの泉からナヴォーナ広場の間には、マルクス・アウレリウスの円柱のあるコロンナ広場と、パンテオンが。どうせならと思って、このふたつを経由していくことにしました。トレヴィの泉からマルクス・アウレリウスの円柱までは、すぐ。というか、さっきトレヴィの泉にいくまでに、通ってきたところにあったので、見るのは二度目になります。

 マルクス・アウレリウスの円柱は、その名もコロンナ(円柱)広場の中央にあります。三十メートルにも及ぶ円柱。これが建てられたのが紀元前二世紀と聞けば、再び驚きです。二千二百年前、ですよ。けれど、ライトアップなどはされていなかったので、人通りもそれなりに少なく、ゆっくり見ることが出来ました。とはいっても、円柱以外に見るものは、キジ宮殿(内閣総理府)くらい。そそくさと、次へむかいます。

 次は、パンテオン。パンテオンは、古代ローマの神殿。ほぼ完璧なかたちで残されています。入場可能の施設ですが、時間が時間なので中に入るのは当然無理。表から見るだけにとどめておきました。パンテオンの向かいはロトンダ広場、オープンテラスのバールもあって、にぎわっています。そこで、どうにか写真を撮れないかと模索していたら、おじさんがシャッターを押してくれませんか、と。当然、オッケー。けれど、うまく撮れた自信はないなあ。もしちゃんと撮れてなかったら、ごめんね、おじさん。

夜のナヴォナ広場 そして、ついにつきました、ナヴォーナ広場。ここにはムーア人の噴水、四大河の噴水、ネプチューンの噴水と、有名な噴水が三つ並んでいます。ライトアップもしっかりされていて、有数の観光地然とした面持ちがたのもしい。人もいっぱい、白い人までいました。噴水は、四大河の噴水が一番立派。次いで、ムーア人の噴水、そしてネプチューンの噴水の順に立派。ということは、ネプチューンが一番小さい、ということ。どうしたんだ、海の神様じゃないのか、ネプチューン。ムーア人に負けてるぞ。

 なお、四大河の噴水はベルニーニの作。バロック様式の作品です。広場が長細いのは、ローマ時代の競技場跡だからという話。街中に、普通に美術品そして遺跡…… 恐れ入ります。

ホテルへの帰還作戦

 本日の観光目的地は、こうしてすべて見終わったのでありました。けれど、この時点で時刻はすでに午後八時。いくらなんでも、遅すぎるというものです。早く帰らなければ。それにお腹も空いて、足も棒のようです。

 ホテルへの帰還のための行程は、次に示す通りです。ナヴォーナ広場から、サンタゴスティーノ教会の裏手へ出て、モンテチトリオ宮殿を経由、トリトーネ通りを抜けて本日の出発地点、バルベリーニ広場に帰るというものです。

 けれど、はっきりいってこの行程に自身はありませんでした。道のりは、距離が短いことだけを重視して決めたため、はっきりいって路地のようなところを通ります。それもはじめての街、はじめての街角。無謀も無謀ですが、せめて不慣れであることを悟られないよう、地図だけは暗記して出発しました。ということは、どこか一箇所でも記憶が不確かなら、迷子確定というひどい道行き。だからこそ、ここは虚勢でも胸を張って、速歩きです。

 けれど、路地のような街角も、またイタリアだったのでした。表通りでは絶対に見られない、アコーディオン弾きが陽気に歌い演奏する、オープンテラスのリストランテ。地に足のついたイタリア。普通の観光だけでは見ることの出来なかっただろう光景が、そこにありました。

 でも、相変わらず速足。立ち止まってはいられません。そのリストランテを通り抜け、路地をひとつふたつと数えながら右折。はたしてこの道で大丈夫なのかと不安に思った束の間。当初の予定通りにサンタゴスティーノ教会へと出ることが出来たのでした。

 その後は、順調です。モンテチトリオ宮殿前を通り抜けたらば、トリトーネ通りはすぐそこ。やたらだらだらとした坂道を上ったり下りたりしながら、バルベリーニ広場に到着。いったんはホテルに帰還したのでした。

夕食そして書店

 無事ホテルに帰り着くことが出来、夕食に出ることにしました。行く先は、昨日ホテルを探す途中で見た、気軽に入れそうな雰囲気のリストランテです。

 ホテルのあるヴェネト通りを北上。その右手に見えてくるのが、そのリストランテです。赤唐辛子(あるいはピーマン?)のマークがトレードマーク。九時近いというのに、テラス席は満杯で、いやがおうにも高まる期待? 現地人でいっぱいのリストランテに、まずいところはないという話ですから。

 リストランテに入ると、気さくそのものの女主人に案内されて、通りがわ窓際の席に着きました。ほどなく、おきゃんで陽気そのものといった雰囲気のカメリエーラが、注文をとりにやって来ました。とりあえず、パスタは頼みます。その店の名前のついたスパゲッティに決定。でもそれだけでは足りないので、本日のスペシャルメニューという、魚介類のスープも頼んだのですが、僕がちょこちょこと小賢しくイタリア語なんぞ使うもんで、イタリア語が出来る人と思われたんでしょうね。ものすごい勢いで、メニューの説明をしてくれるのですよ。もう、全然わからない。途中、わからない単語で重要そうなのを復唱、聞き直すんですが、その説明もまたわからない。最後に、Non ho capito. (なんにもわからなかった)っていったら、大うけ。けど、こんなことでうけても仕方がない……

 出てきたパスタは、ゆで加減柔らかめ。本場は固めと思い込んでいるけど、そうとは限らない例がここにもありました。具は赤ピーマン主体だったので、やっぱり店のマークは赤ピーマンだったようです。

 ここで問題が。パスタはさっさと出てきたのだけど、スープが一向に出てこない。遅いなあ、困ったなあ、スープって普通最初に出てくるんとちゃうん、とか思ってたら、きましたきました、スープがきました。って、これがものすごい具だくさん。貝、魚、海老と、ものすごい具の量。こりゃ、メインディッシュですな。さらに困ったことに、ものすごく塩辛いときた。もしかして、塩抜きしてない? その上、塩たくさん入れたの? 塩辛さは食べるのが困難なほどで、これはちょっといただけなかった(ほとんど、食べちゃったけど)。やっぱり、魚介の料理は日本のがおいしいなあ。

 けど、店の奥さんもカメリエーラも楽しくてよかった。もう一人のカメリエーラも、可愛くてよかった(テラス席の係のようで、ちょっと残念)。勘定のときに、ちょっとコミュニケーション。奥さんはちょっと日本語が出来るということで、観光地的日本語を披露してくれ、その上、ローマに留学したらなんて、嬉しいこともいってくれたのでした。本気にしますよ。

 食後、初日に通りかかった書店に寄りました。二店舗あって、どちらも小さいながら、品ぞろえは豊富そう。

 道路側の店は観光ガイドが豊富だったので、ここならもしかしたらバンビーニシリーズのヴェネツィアがあるのではないかと期待して入ったら、ありました、フィレンツェが。でもどこを探してもヴェネツィアがないので、店のおじさんに聞いてみたらば、ここはローマだからヴェネツィアはないよって。フィレンツェはあるってのに!?

 仕方がないので本店(?)に入ったら、こちらは文芸書が豊富。日本人作家のものもありましたよ。吉本ばなな。バナナはイタリア語でもbanana。ばななもBananaでした(当然だ)。言葉がろくにわからないので、見るばかりなるのが残念ですが、それでも雰囲気は味わえます。多彩な絵本や児童書を隅から隅まで見て回るのも楽しかった。不思議の国のアリスのイタリア語版を探したけれど、見つからなかったのはちょっと残念。けど、ハリーポッターがありました。イタリアでも人気なんですね。買いませんでしたけど。

 本屋を後にして、ホテルに到着。すぐにテレビをつけて、ぐったりと横になるのでした。明日はポンペイ、朝が早いのだ。起きられるだろうか…… それが心配……

三日目は……

ナポリ・ポンペイ日帰りバスツアー

イタリア、最後の晩餐

 ナポリから帰って、ローマ。夜は更けていて、もうどこかを見にいくには遅すぎる時間でした。いったんはホテルに帰還。これから夕食にでなければならないんだけど、ベッドに倒れ込んでぐったり。テレビを見ながら、どこに食べにいこうかと試案…… そうだ、一昨夜いったリストランテにしよう……

 一昨夜のリストランテとは、ローマに着いた初日にバスの疲労に堪えながら見つけた、階段の上のリストランテのことでした。非常にいい雰囲気で、しかも、ホテルを出て徒歩一分とかからないというロケーションのよさ。そうだ、ここにしよう……

 ホテルを出るとそこは、緩やかに湾曲する大きな通り。北側に見える階段を上がったすぐそこにそのリストランテはあります。はじめてのローマの夜に、夕食をどこでとろうとさまよって、結局決めあぐねて、ホテル近くに見つけていた階段上のリストランテに落ち着いた。カメリエーレたちも気さくで感じのよく、一度いけば気に入らずにはいられない。ローマ、イタリア最後の夕食は、ここに決まりました。

 リストランテに入ると、カメリエーレたちはわれわれのことを覚えていてくれたのでした。一昨夜と同じ席に案内され、パスタとラザーニャ、そしてワインを頼みます。けれど、非常に残念なことに、今日のほとんどはバスに乗っていただけ、それほど歩いていなかったために食が細く、食べきれなかったのでした。おいしかったのだけど、おいしかったのだけど。どうしても食べきれなかったのは、残念だった……

 オイシー? と聞いてくるカメリエーレにBuonoと答え、今日がイタリア最後の夜ですといえば、ちゃんと言葉を分かってくれて、場はひとしきり盛り上がった。でも、本当にこれがイタリア最後の夜、最後の食事になるので、物悲しさはいやがうえにも高まって、ちょっとしんみりしたなあ。エスプレッソも苦かった(いや、これはいつもだけど)。

Arrivederci Italia

 イタリアを発つ朝はばたばたとして、朝食もとらずに空港に向かいます。フロントでなにやらもめていたおじさんにいらいらしながら、チェックアウトを慌ただしくすますと、メトロでテルミニ駅へ。テルミニ駅に着くと、特急券の自動発券機で空港までの切符を購入。けれど、まだ列車の出発番線が分からないので、案内板を見上げていました。

 発車番線が発表されたのは、発車のすぐ直前。しかも恐ろしいことに、発車番線はこの広いテルミニ駅の遥か果てにあるという。重いスーツケースを引き摺りながら、テルミニ駅を駆け抜けました。発車直前に列車に飛び乗るようにして、そして列車は出発しました。

 思えば、たったの十日間。イタリアに着いたときには不安ばかりで、この十日間を乗り切れるかどうか、非常に怖れたのです。ですが、今こうして列車に揺られていると、本当にあっという間の十日間でした。イタリアを離れたくない、そう思った旅行は初めてです。

 レオナルド・ダ・ヴィンチ空港に着くと、あまったリラを使い切るため、空港のバールでカプチーノを頼みました。カプチーノを飲んでも、気は晴れないです。飛行機に乗って乗り換えのフランクフルト空港に着けば、いよいよあたりに日本人が増えてきて、陰鬱さはもう限りもなく、自分はあの灰色の人たちの国に帰るのだと、あの人たちにまみれる日常に戻るのだと、どうしようもないやるせなさにとらわれてしようがありませんでした。

 イタリアの国は、とても空が広い感じがして、とても心が拡がるような気がして、思いだすだけで、涙が出そうになる。またいつかいきたい、またいつかいきたい。今でも、そう思い続けている僕のイタリアなのです。


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日々思うことなど 2001年へ トップページに戻る

公開日:2001.11.06
最終更新日:2002.01.02
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