シリーズ 旅行けばイタリア

ナポリ・ポンペイ日帰りバスツアー

日曜日
ナポリ・ポンペイ日帰りバスツアー

バスは走るぞ、目指すはナポリ

 今日は、ナポリ・ポンペイへのバスツアー。そのために、えらい早い起床。ホテルの朝食よりも早くバスに乗り込みます。当然、朝食抜き。蓄えのお菓子をかじって、一応の腹ごしらえは済ませておきます。だって、空きっ腹にバスは、かなりあぶないですから。

 集合場所にいってみたら、来たのが小さなマイクロバス。ぎゅーって乗り込んで、いきなりの不安要素。バスって、これ? まじっすか?

 不安をよそにバスは出発、ローマの街を快走します。さて自分はというと、目をぎゅっと閉じて寝ようと必死。だって、寝てしまわないことにはえらいことに…… と、突然バスが停まりました。なんだなんだと思っていたら、ここで観光バスに乗り換え。そうか、マイクロバスでお客さんを拾ってまわってたのね。ちょっと安心できました。とりあえず空いた席を確保すると、バスは出発。いよいよ、ナポリへとむかいます。

ナポリへの道

 ナポリへの道。ごめんなさい、覚えていません。寝てたからです。けど、途中で降りて朝食をとったサービスエリアはよく覚えていますよ。カセットテープが売ってました。水は2.000リラだったかな? 昼食はクロワッサンとカフェラテ(足らんて)。そそくさと朝食をすますと、またバス。つまり就寝ですね。

 ところで、前の席のカップルがえらく鬱陶しかったのですよ。ロングヘアの彼女がね、髪をばさーばさーって、すごい勢いで掻き上げるの。そのたびに強い香水の匂いが立ち込めて、気分は最悪。でも、なんとか無理してでも寝て、体力の温存をはかります。

 眠ろう眠ろうと努力している最中、ガイドの説明する声が聞こえます。外国人向けのガイドは女性、日本人ガイドは日本人のおじさんです。が、このおじさん、明らかにしゃべっている内容が、外国人向けガイドよりも少ない。英語での説明で聞き取れなかった部分を日本語で、と思うんだけど、そもそもその説明がないんだから仕方がない。というか、ガイドさん、それでええのんか? いいんです、どうせ僕は寝ちまいますから。

 けれど、寝入りばなくらいだったかなあ、アッピア街道をちらりとでも見られたのはよかったなあ。石畳かどうかまでは判別できなかったけど……

目覚めればナポリ

 ナポリに到着。ガイドさんはいろいろと説明してくれていますが、とにかく寝る作戦なので、半分も聞いていないという状況。いいんです。起きてれば、半分どころの話ではなくなりますから。けれど、最低限度くらいの説明は聞いてましたよ。山向こうに見える修道院とか、そういう名所はちょこちょこと目にすることが出来ました。

カメオ工房を見学だ

 さて、ナポリに入って少しすると、バスはカメオの工房に到着しました。カメオ工房見学も、今日のコースのうちだったのです。観光客の群れは、ぞろぞろと工房の中へ。中には、各国語別にわかれた解説員がいて、カメオの作り方なんかを説明してくれる。片言の日本語で、しかもものすごい早口で。わかるにはわかったんだけど、キョウハニチヨウナノデ、センセイヤスミデス、ってなんだい。制作工程は本日休業、販売だけはオッケーって、そりゃ誰も買いませんって。

 とりあえず、トイレにいけたのはよかったかな。それくらいの印象。だめだよ、これじゃあ。ほんとに。

ナポリの海、紺碧の海?

 気を取り直してナポリです。とりあえずもう起きてしまっているので、心安らかに車内では過ごしました。山沿いの道から海が見えはじめると、ようやくナポリらしく、といいたいところですが、今日は残念ながら曇り。海が青くないんですよ。

 ナポリを見て死ね、と格言にもいいますが、これじゃちょっと死ねないなあ。どうやら、長生きしなければならんようです。

 ナポリの海を高台から見た後、ナポリ市街に入ります。有数のリゾート地だけあって、海辺の大通り沿いには大きなホテルがずらり。見どころももちろん、たくさんあります。まわったところは、王宮、サン・カルロ歌劇場、ウンベルト一世ガレリア、カステル・ヌオヴォ、卵城など。バスはそれぞれの名所を、行きと帰りで二回通ってくれるので、どちら側に座っていても公平に見学できるのは心憎い気配り。でもやっぱり、下車できないのは残念かな。やっぱり、これでは死ねないのであります。

いざポンペイ

 本来はポンペイ入りの前に昼食という段取りだったのですが、道路が渋滞したとのことで、昼食はポンペイ見学後に変更されました。正直、助かったという感じです。いや、ちょっと、バスに、ね。ナポリ市街をバスでぐるぐるまわったせいで、三半規管がちょっとしんどかったのです。まあ、そういうわけでして、いきなりふらふらのポンペイ見物となりました。

ジュピターの神殿の向こう見るヴェスヴィオ火山 ポンペイは、西暦79年のヴェスヴィオ火山噴火の際、火砕流に埋もれてしまった悲劇の街として有名です。ですが街全体が一瞬にして埋められてしまったために、その当時の暮らしや文化がそのままに封じられた古代のタイムカプセルとしても、その名を知らしめています。石膏で型抜きされた、火山岩に埋もれて死んだ住民の姿を、なんらかのメディアで目にされた方も多いと思います。その街に、これから入ろうというのです。

 ですが、残念なことですが、発掘品のほとんどは博物館に移動されていて、残されているのは一部にすぎません。また、本日のコースもポンペイ市街の一部をまわるだけ。正直、物足りないといわざるを得ないでしょう。とはいうものの、やはり観光ガイドがいると、自分たちだけでは見落としがちの細かなところまで解説が入るので、物足りない部分を埋めることは出来たのはよかったです。

二人の女性 このガイドさんが、よくいえば職人肌で、悪くいえばタレント性に劣るという感じのおじさん。よく勉強されていて、いろいろ解説して下さって、資料なんかも持ってきて下さっていて、そういうところはいいのですが、いかんせん暗い。ぼそぼそとしゃべる感じで、エンターテイメント性に欠けている。観光ガイドとしてはちょっと損な気質、という印象でした。けど、僕はこういう人、結構好きなんですよね。いろいろ聞けばいろいろ答えてくれて、いい感じではありましたよ。

 ポンペイの印象は、とにかく風が強かったということ。風が吹けば、ものすごい砂塵が巻き上がって、目は痛いはカメラは心配だは、とにかくもう大変。口の中じゃりじゃり、ちょっと弱りました。けど、そのおかげでポンペイの街の乾いた感じはいよいよ極まって、雰囲気は満点でした。見て回るコースも、アポロ神殿に公共広場、公衆浴場、売春宿、食堂、ヴィーナスの家など、有名どころを押さえたものだったので、これで充分満足、しなければならないところでしょう。

 ポンペイの遺跡を後にすれば、出口周辺には土産物がたくさん。けどここにはバンビーニシリーズがないので、適当に物色して、なにも買わず仕舞いでした。

昼食

 昼食は、ポンペイより少し移動したリストランテ。コースはもう決められていて、座るだけ。とりあえず、ワインですよね。海産物のフライがメインということだったので、白ワインを選びました。

 料理は、サラダ、パスタ、メイン、デザートのそれぞれが適度な量で出てきたので、残すことなく食べることが出来ました。日本人向けの量、メニューだったようで、ちょっとおとなしめの皿が並んだのがちょっとつまらなかったですが、とてもおいしかったです。

 さて、ここで困ったのがハエでした。途中のサービスエリアでも同様だったのですが、結構ハエがたくさん飛び交っているのです。これには困りました。食堂だから殺虫剤をまくわけにもいかないだろうから、適当に手ではらって食事を続けたのですが、内心気が気ではありませんでした。イタリアには、ハエ取り紙というのはないのでしょうか。もしハエ取り紙が知られていないのなら、輸出すれば結構当たるのではないだろうかと馬鹿なことを考えた、昼食でした。

ローマに帰還

 ローマへの帰路は、とにかく寝っぱなしでなにも覚えてません。まわりの観光客も、ほとんどが寝ていました。

 バスツアーを経験して思うことは、この時間をローマ観光にあてたほうが、心身ともに充実したのではないだろうかということでした。やっぱり、無闇にたくさん見て回ることをもって是とする自分のような人間には、こういったツアーは向かないようなのです。それは、昨日の地獄が恋しく思えたほど。でも、はじめてのイタリアで、次はいついけるかわからないところではありますので、多くの都市、多くの土地を見て回るほうが、結果的によかったと思います。

 ローマに近づくと、ガイドさんは早めに降りていきました。後は、バスの運転手さんの案内になります。参加者の泊まっているホテルを順々に回りながら、一人また一人と乗客を降ろしていきます。自分の泊まっているホテルが近づいてきて、われわれも下車。

 ちょっと慌ただしかったナポリ・ポンペイ日帰りバスツアーは、こうして終わったのでした。正直、三半規管がもう限界……

イタリア、最後の晩餐


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公開日:2001.11.06
最終更新日:2003.09.24
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