ペンタクルス五番

 夜になれば人通りのすっかり途絶える曲がり角に、そのコンビニエンス・ストアはあるのだ。真っ暗な公園の、真っ黒い木立を背負って、そこだけがあたかも無二の世界であるかのように、こうこうと輝いている。暗闇に切り抜かれたその一画、大きなガラス窓のその向こうに、何人もが往来し、そこだけは暖かそうに見えた。自分は吹きさらしの冬の道すがら、やけに寒々しさを増して、足早にその場から立ち去りたくて仕方がなかった。

 扉を開ければ、自分もあの暖かな世界に立ち入ることは出来るだろう。だがどうしても、私には私がその場に許されるとは思えなかった。ガラスの額縁を通して、作り物めいた空々しさばかりが目に付いて憎々しい。華やかさに透けるよそよそしさ、儚さ――私は一人きりだ。突如として襲ってくる眩暈に、倒れそうになる身体を必死で支え、私は家路を急いだ。

 踏み切りを渡れば、商店街。団子屋はそうそうに店仕舞いだ。バス停にはバスを待つ人が列をなし、人通りもまだわずかに残っているが、その誰もを私は知らないし、彼らもまた私を知らない。アーケードを抜ける。すべては、私の外側を通り抜けていく。見上げれば街灯が橙色に鈍く光っていて、妙に物悲しくて、でも妙に心を落ち着かせてくれた。街灯よ、俺にはおまえだけだ。他にはなにひとつない。

 街灯の明かりが途切れると、じきに住宅街に入る。その入り口にあたる十字路で、私は信号の変わるのを待たされていた。あたりに車はなく、無視しても差し支えないほどの田舎じみた十字路だが、私はそれでもじっと寒い中、立ち尽くして待っていた。まじめな人間だからでは、断じてなかった。

 信号待ちのわずかな間、自分の境遇について考えていた。普通の人生を歩んできたと、胸を張っていえる。学校を出、企業に入り、家庭も持った。そうだ、家に帰れば家族がいる。だが、なぜ家族がわたしの心をこれほど重くさせるのだろう。どこにいるときよりも、家にいるときが一番、寂寥感にさいなまれるのはなぜなのか。

 家族に不満はなかった。なにも持たないといいながら、私は家族と帰るべき家を持っている。それは仕合せではないのか。人生における、真正の価値のひとつではないのか。なのに、家に近づくにつれ私の足は重くなり、住宅地を真っ直ぐに突き通す坂道が、いやに急なものに感じられた。

 ふと我に返ったとき、鍵を無くしていることに気が付いた。途中の道でか、あるいは職場に忘れたのか。いつもこうだ、不注意が時に顔を出し、たたられる。とりあえず駅まで戻ろうとした私の前に、再び薄暗い十字路が見えた。ああ、あの向こうには商店街のアーケードが続き、そして、あの薄っぺらに明るい、夢のような世界が口を開けているのだろう。そう思った瞬間、私は眩暈に足を取られ、しかし今度は、なぜかもうどうでもいいような気がした。気が付くと、私は十字路の真ん中に、みっともなくも倒れていた。

 顔を上げる気力もない。アスファルトが衣類を通していやに冷たく、けれどなぜか優しいと思った。雪が降っていれば雰囲気もあるだろうのに。そう思ったが、雪の降る気配は微塵もなく、私を残念がらせた。

 いつまでこうしていればいいのだろうか。だんだん眠くなってきた。頭の向いた方角から足音が近づいてくるのが聞こえ、十字路を左に折れ遠ざかっていった。あれは、女の足音だった。彼女は私を見ただろうか、そして目を背けたろうか。もし私を見つけていたとしても、決して同情などしないだろう。手を差し伸べてくれるなどと、期待するだけ無駄だ。

 だが昔は、こういうときに人に手を差し伸べることを躊躇しない人たちがいたのだった。時には厚かましく、人の領域にづかづかと踏み込んでくる人たち。しかし、最近は見なくなった。いなくなったのは私のまわりだけなのか、それともこれは全国的な傾向なのだろうか。

 倒れている私に気づきながら、あからさまに避けて通る足音をいくつも聞きながら、私は夜の更けるにまかせていた。あの身近にいれば疎ましい、おばさんという人種は、滅びてしまったに違いない。


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公開日:2001.12.29
最終更新日:2001.12.29
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