人嫌いの娘

 かねてより心配していたとおり、私の娘もやはり人嫌いに生まれついてしまっていたのだった。思えばその兆候はその子のまだ幼い頃より明らかだったのだが、あえて見ぬふりをして過ごしてきた。知らぬ顔に会う度に大泣きをし、幼稚園でも皆と遊ぶというよりひとりすみっこで絵本など見ている子であった。しかしそれも直きまわりに慣れ、友達のできるまでの辛抱だろうと、むしろ娘にではなく自分に言いきかせるようにしてきたのだった。

 娘が小学校に入って、私は赤いランドセルに背なを押されるようにして登校する我子を見ては、学校でうまく友達をこさえてくれるといいと願っていた。だが実際のところはどうなのか。夕食時の話題に今習っている何かがのぼることはあっても、友達の誰子某しがどうこうということはまるで聞かなかった。皆無とまではないといえ、非常にまれなのは確かだったのである。私はそれもこの子特有のはにかみだろうと、より良い方へ、より良い方へと解釈しようとしていた。学校の担任からは、物静かでおとなしいが特に問題といえるほどのことはないと聞かされていたので、それも安心の基としたのだった。

 私も、ただ何もせず心配と安心の間を往き来していたばかりではない。休みの時など、暇を見てはなるたけ人出のある公園などへ娘を連れて出ては、同年代の子らに出会う機会が増えるようにと配慮した。もちろん娘同様人嫌いの私としても、この試みは苦痛なことに違いなかった。しかし人嫌いゆえに煩悶する、一度かかわればどこまでもつきまとってくる関係のわずらわしさ、人の押しつけてくる思いのしんどさを分かっているのもまた私である。事実、公園で娘を待っているあいだに、同じく子を待つ母親たちから投げられる興味本位の問いかけには、辟易させられることが多かった。母のない娘の境遇は、それほどに人を津々させるというのか――、他人ごとに立ち入ることをいかにも喜びと感じているといいたげな顔にいちいち疲れている私は、つくづく神経質の強い気性の持ち主である。娘は、よりにもよってこの私の気性を受け継いでしまった。だから私は、娘にはこういった辛さを知らずに育ってほしい一心で、つとめて娘につらなる関係にからめとられることを躊躇しなかったのである。

続く


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公開日:2002.07.25
最終更新日:2002.07.26
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