昔風の文体で

 「本来ならば、資料の利用状況がフィードバックされるべきなのでしょうが、単にそれがなされていないからでしょう」と自分が考えるところの説を簡単に述べてみた。「どの資料がどれだけ利用されているか、希望者がどれだけいるかが明確になればよいのでしょうが、残念ながら今はそれができていません。直きに機械が入れば、どの資料の利用が多いかという統計が明確な数字で出せるようになり、そうなれば利用者の希望にも応え易くなるでしょう。今のカードを使う遣り方じゃあ、経験的なものに頼るほかありません」

 「そうね、数字で出るのなら確かね」と話す相手は妙に乗り気の様子で、「それに貸出だってそうじゃない」と続けた。
 「一人三冊と決まってるけれど、これって知らぬ顔で三冊ずつ毎日毎日借りてくとね、いくらでも借りられるってことになっちゃうのよね。機械で貸出するようになったら、誰が何冊持ってるかがはっきりするって、奥のあの人と話していたところなのよ」

 「そうですね」と答えてはみたものの、腹の底ではまた何の根拠もない出鱈目をいうものだと半ば呆れて、「でもあまりに甚だしいものなら、貸しているこちらでそれと知れるでしょう」とやり返した。だがそれではあまりに不快があからさまだったかも知れぬと思い直し、
 「今は、利用者の良心にたのむといったところでしょう」と一言加えた。

 自分としてはこれでこの一件は終わりと踏んだのだが、そうは思い通りに事は運ばず、「それはだめよ」という相手からの返答に、面倒なことになったという心持で、身構え話の続きを待った。

 「そうやって良心ったって、ほらこれ」とカードの並べられた箱を指して「この延滞している数を見れば、良心なんて信じちゃられないわよ」

 そして、思いだしたように「昔の人はいったじゃない、人を見たら泥棒と思えって」と付け加えてみせる相手のあまりの得意げなふうに、刹那自分が眉をひそめたと感じた。


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公開日:2002.04.12
最終更新日:2002.04.15
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