祖母没す

 きのう、祖母が死んだ。

 急変の第一報は私が受けた。昼少し前、祖母の入っている老人ホームから、容体が悪く意識ももうろうとしている。これまでこういったことを聞かされずにきた私は、胸中嫌な予感に襲われた。祖母の娘である母は今さっき出かけたところだ。父に告げれば、母を呼びに出ていった。もし間に合わないときは、自分がホームに向かうつもりだった。

 祖母がホームに入って数年経つが、私は一度しか会いにいっていない。訪おうかと思うこともまれにはあったが、ホームの場所を知らず、ゆく道も知らず、足もなかった。そのつど流してきて、最後に祖母に会ったのは二年前になるのではないか。不孝者が孫にあって、祖母には申し訳がない。

 父が、母とともに帰ってきた。母はすぐホームに向かい、私は自宅にて待機。ただ待っていても仕方がない、日課に取り掛かる。できることなどなにもないのだから。その間電話が二度ほど、容体が安定したということでわずかに安堵した。

 夜八時過ぎだったろうか、祖母が亡くなったとの連絡。一旦落ち着いたかに見えたが、慌ただしく息を引き取ったという。祖母はまだホームにいるというので、車を出した。知らない道を慣れない運転で急ぎ、ホームでは面談室に祖母と母、母の妹夫婦が待っていた。お顔を見れば穏やかで、苦しんだ風はなかった。午後に意識は戻ったかと聞けば、はっきりとはしなかったと、だが末期の際に、呼びかけに応えるように声を出したという。

 思えば祖母は、決して仕合せなばかりの人生ではなかったが、娘二人に見送られて、少しは仕合せだったのだろうか。だが不孝の孫は、臨終に一時間あまりも遅れて、祖母の前に間抜け面をさらしただけで、できれば生前に駆けつけ声をかけたかった。人に報いるにも時があると知れ。時機を逸して悔やんでも遅く、機会はいつでもあったというのに、自ら逃して悔やんでいる。私とは、どれほど厚かましい人間なのか。


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公開日:2004.03.07
最終更新日:2004.03.07
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