シリーズ 旅行けば中国

九寨溝

九寨溝での行程

月曜日
格桑賓館→九寨溝格桑賓館

九寨溝で迎えた翌朝

 体調を崩した前日。一夜明けて私はすっかり体調を取り戻していました。昨夜の就寝前、確かに体調の悪さはあったけれど、それでもバスから降りたときのようなひどい状況は抜け出していて、一晩明ければきっと大丈夫と確信していた、というかそうでなかったら困るとばかりにせっぱ詰まっていたとでもいうべきか、いずれにせよ回復しました。よかったです。とそんなわけで、朝食食べに食堂へといきますか。昨夜、ほとんどなにも食べてないから、とにかくなんか口にしないことには力でないのよ。

朝食

 昨夜夕食はまったくといっていいくらいに食べられなかったので、この朝食がここ格桑賓館で食べるはじめてのまともな食事です。スタイルはもちろんセルフサービス。飲み物はコーヒー、牛乳、オレンジジュース。主食は米飯、粥、あと包子とかいろいろ。料理の傾向は、野菜中心の炒め物が多かったです。

 さて、私の旅先での朝食の選択基準はといいますと、これが実に野菜中心。旅先では食事の傾向ががらりと違ってしまうから体調を崩しかねないところを、朝食でもって調整しようというわけです。だから、飲み物はオレンジジュース。ビタミンを取ろうという腹ですが、けど正直なところをいいますと、このオレンジジュースはあんまり栄養価の面で期待できそうにないって感じの代物でした。でも、飲む。紙コップとってきて、サーバーから注いでみて驚いたのが、このオレンジジュースが温かいんです。わあ、温められてるんだ。中国じゃこれが普通なんでしょうか。オレンジジュースって温かくすると、ものすごく甘くなると思うんですが。

 あとは、見ての通り、卵とほうれん草かなの炒め物、もやしとか、本当に野菜中心。そこに炭水化物として麺(中国では小麦粉で作るのは全て麺です)の類いとお粥をつけて、以上。あんまり量はとらず、むしろバランスを考えようと思った次第です。

そして部屋替え

 朝食が済んで、ガイド氏と合流。そこで重大発表。ええと、部屋が変わります。昨日割り当てられた部屋、地上一階の部屋なのですが、ガイド氏のいうことにゃ、頼んでいた部屋よりもグレードの低い部屋だったんだそうです。だもんで、フロントにかけあってくださったとのこと。そうしたら部屋が変わります。九寨溝を見にいっている間、ロビーに荷物を全部集めておいていただいて、戻ってきたらば違う部屋に移動しますという話でした。

 しかし、中国というのは、と一般化してしまうのは極めて危険ではあるのですが、頼んでいたはずのことが通っていないということもよくある話だそうでして、なんというか横紙破る人がいたりすると、そのとばっちりで割を食う、そんなことがあるという話なんだそうです。今回の部屋のグレードが違った原因についてはちょっとわからないけれど、もしかしたらそんなことがあったのかも。けどガイド氏が掛け合う、いやはっきりと主張を通すというべきかな、要望を当然の権利として相手に伝え決して引かないことによって、本来のグレードの部屋が手に入った。とそういうことであったみたいです。

 北京空港でも感じたことではあるのですが、簡単にあきらめてしまうなんてのは最悪で、なんとかならないかなと思いながらも素直に従うばかりというのもあんまりで、とにかく中国という国は、自分の要望を相手に伝え、なんとか通せないものかと交渉するのが重要であるようです。けれど、おそらくこれは中国に限らずどこの国でも一緒。日本人は交渉とかとにかく苦手であろうと思うけれども、でも利害の対立したり、黙っていればどんどん不利益が押し付けられるような状況があるのだとしたら、黙っていちゃいけないんだなあ。旅に出ればいろんなことに気付きます。例えそれが至極当たり前であっても、実践できていないじゃ知らないことと一緒です。

九寨溝に向けて出発

 ロビーに荷物を集めて、さあいよいよ九寨溝に向けて出発。意気揚々と表に出たら、空は一面の曇天。かんかん照りよりましと思うか、降らなかっただけましと思うか。ここで、泊まっているホテル、格桑賓館の写真を撮りました。昨夜は体調不良やらいろいろで、そんな余裕なんてありませんでしたから、こうして眺めるのははじめてのこと。そうかあ、こういうホテルだったのか。入り口、ロータリー中央に色とりどりの旗が揺れているのが、実にチベットらしさを感じさせます。

 九寨溝まで向かう道々、まわり見回せばうっすらと霧というか靄というかがかかっていて、さながら墨絵か水墨画かといった雰囲気でした。そもそもが山の中ですから、ちょっと目をあちこち向ければそこにも山、あちらにも山というそんな具合で、そしてその山という山に靄がかかっている。でも、もしかしたらこれは靄ではなくて、雲なのかも知れませんね。なんといっても、今いるここは標高三千メートルに迫る高地なのですから。あれが雲だとしても決しておかしな話ではないかと思います。

九寨溝入り口広場にて

 九寨溝というのは一体どんな秘境なんだろうと思ってわくわくあるいははらはらしていたのですが、着いてみれば驚きですよ。なんと、えらく整備された広場、いや公園か? がありまして、大音響で歌が流れている。わお、なんだこりゃ。歌っているのはおそらく昨日のショーの主役、人だかりの中央、ちょっとした円形舞台みたいのがあるその真ん中にマイク片手に歌う兄さんの姿が見えて、そしてそのそばにはなんとパンダの着ぐるみ! オーマイ! ほんと、すごいことになってるな。

Jiuzhaigou
Jiuzhaigou
この写真に写ってるのは歌手じゃなくて司会です。

 観光地化するというか、こうして自然を切り開き開発してしまうというところなんかは、一昔二昔前に日本も歩んできた道のような気がします。これがすなわち悪いとはいわないけれど、けれど一度切り開いてしまった自然はもう戻らないわけで、もう還らないものを嘆く日本の一住人としては、こうした乱開発に繋がるようないろいろは避けてもらいたいなと思ったり思わなかったり。でも、開発されたからこそ私もここにこれたわけだから、そう思うとジレンマだと思います。

九寨溝突入目前

 九寨溝というのは黄龍のようにひとつの地名をさすのではなく、かなり広範な地域を指していう名称です。広くは私たちの泊まっているホテルなんかも含めた地域を、狭くはいくつもの湖が点在し、滝や川が流れる谷あいの地帯を指すそうで、つまり登って下りて数時間なんて絶対無理。時間のある場合は二日ほどの時間をかけてトレッキングするみたいにしてゆっくりと観光し、時間のない私たちみたいな日程だとバスに乗ったりして絶景ポイントを点々と見て回るという、そういう風にしないと到底見て回れるような範囲ではないのです。

 なお、本日の日程はといいますと、終日九寨溝。朝から夕方まで九寨溝を観光するだけという、そういうスケジュールが組まれています。移動の足は、観光の効率を上げるために専用バスをチャーター。このバスですが、外から乗り入れとかできない規則ですから、つまりオフィシャルのマイクロバスを確保する必要があるのだそうで、だからガイドさんはすごく大変らしいです。そんなに数のあるバスではないとかいうので、一度早朝に九寨溝に出かけて、それから戻ってくるという、大忙しの大車輪であったという話です。

 けれど、忙しいのはガイド氏だけではなくて、私ら観光客にとっても一緒で、事前にガイド氏にいわれていたのが、九寨溝入り口ゲート前に土産物屋が並んでいていろいろ声かけてくるけれど、意に介さず通り過ぎるようにとのこと。とにかく時間がシビアです。バスをとにかく確保しなければならないので、ってもしかしたら横取りされたりするのかな? いや、さすがにそれはないと思うのですが、けれど時間に間に合わせないといけないというのでしょう。ゲートに近づくにつれて人ごみはものすごいことになってきて――、ちょっと待って。九寨溝って一日の入場人数に規制をかけてたはずだけれど、それでもこんなにたくさんの人が入るのか。とにかくすごい人の数で、あちこちから声が飛び交い、慌ただしく騒がしい。気を抜けばはぐれそうな中、人ごみかき分けるようにしてゲートに到着、全員揃っていることを確認して入場。その後バスのくるという場所までまた人ごみかき分けて――。写真撮るとか撮らんとか、そんな余裕もありませんでした。

九寨溝

 しばらくしてバスが到着。白いマイクロバス。運転士の他に民族服着たガイド嬢もいて、私たちはというとどやどやと乗り込んで、さあ出発。いよいよ九寨溝観光のはじまりです。

 さて、さっきガイド付きバスであるような話をしていましたが、けどこの人は日本語がわかるわけでもないので、基本的に案内もしなければ愛想を振りまくこともなく、黙然と一番前の席に座っていて、たまにしゃべればそれは運転士との会話で、だからこの人はガイドではなくて、運転士のアシスタントなのかも知れません。服装を見れば交代の運転士ではないことは明らかですが、けど、その存在はちょっと謎といわざるを得ません(とはいっても、まあガイドでしょう。さすがに運転士が西側文化と過剰に通じることのないよう、監視するために乗ってるとは思われないし)。

 ガイド嬢が日本語わからないでは案内受けられるわけもなく、だからここでも我々のガイド牟さんが大活躍です。九寨溝のあらましを説明し、窓から見える景色、時間がないため今回は通り過ぎるだけの湖であるとか、岩壁に取り付けられた足場、徒歩で巡るルートの説明であるとか、時折投げ掛けられる質問に対しても適切に応答して、実になかなかの実力者。実際、九寨溝における私たちの旅の快適は、すべてこの人に委ねられているわけです。

 さて、ここで九寨溝紀行についてお詫びがあります。今回の旅では、私、基本的に連れられてまわるだけをやっていましたので、山ほど撮ってきた写真、いろんな場所、その名前を知りません。わずかにでも覚えていればまだしも、まったくといっていいほど覚えていませんので、これからの説明は極めていいかげんなものになるかと思われます。

まずは滝を見ました

Jiuzhaigou valley バスに揺られての九寨溝紀行。まず滝を見にいきました。九寨溝全般にいえることですが、じっとりと湿る森の中、整備された道をたどっていくことになっている、この順路というのが結構大変です。アップダウンはあるし、足もとは木で組まれた足場なのですが、水に濡れて滑りやすく、すべり止めに金網が張られていたりもするもののそれでもなお足もとはおぼつかないといった模様。私は足首までホールドしてくれるトレッキングシューズを履いていたのですが、実際ある程度ちゃんとした靴が必要な場所であると思います。

 というわけで、目の前に出現した滝を撮影。

 目の前一杯に広がる幅広の滝が水を落としていて、私はというと霧雨のように水しぶきを浴びながら写真を撮って、こういう景色はなかなか日本では見られないと皆口々に言い合ったものでした。これ、写真で見るよりも実物の方がもっとすごいです。けど九寨溝のなにがすごいといっても、この滝はまだ序の口だったということでしょう。

 まだまだ先のことになりますが、もっと幅広の滝があり、またもっと雄大な滝もあり、滝だけをとってもいろいろな表情を見せてくれます。この高地にこれだけ水が豊富であるということも驚きですが、高地ゆえの高低差が作る景色のバリエーションにも驚かされて、ずいぶん観光地化されているとはいえ、すごいところであると思いました。

移動中、チベット族の民家

 九寨溝地区内での移動は、最初にもいいましたとおりマイクロバスを使います。一日で見て回るにはあまりに大きすぎる九寨溝では、あちらこちらに点在する名所名所をバスを使い巡るというのがひとつのやり方で、特に今回の私たちのように一日しか九寨溝観光に当てられないような場合には、バスを利用するしかないというのが実際です。

 さて、バスの窓から外を見ていますと、見えてくるのは九寨溝に住まうチベット族の家でした。綺麗に彩色された壁、玄関前には旗が立てられている独特の風景が行き過ぎる景色に見えて、聞くところによると、以前はこうした家に泊まることもできたのだそうです。ですが現在はそうしたサービスはないらしく、またこれらの家も事務所であるとか、そうした用途に使われているとか。実際にチベット族の方たちが居住しているわけではないらしいとの案内がありました。

九寨溝の深い碧の水の湖

Jiuzhaigou valley バスから降りて、徒歩での移動中。木々を透かして、湖が見えてきました。湖面は深い碧に沈んで、九寨溝という土地の持つ神秘性の一端を垣間見せてくれます。しかし、実際この深い色はなんなのでしょうね。九寨溝の湖の水質は石灰質を多く含んでいるために、透明度が非常に高く、また多彩な色合いが印象的というのですが、それにしてもあまりに深い碧色です。湖面の碧に山陰を映して、静かにしんとしている。山を見れば霧にその山の端を隠して、こうしたところを見てもまた幻想的な場所であるのです。

 木々越しに湖を眺めながら坂を下ること数分、湖畔にまでたどり着いて一枚撮影。ひんやりと冷たい空気を浴びながら湖面を眺めて、手前に目を移せば透明な水に沈む倒木、石が見えて、そして徐々に遠くに視線を向けると、どんどん深くなって行く水の碧。遠くには山を映して、しんと静まりかえる幽玄の風景です。

 だなんていってますが、実際のところはこんな感じです。湖畔に近づきつつも水辺には寄れないようになっていて、木製の足場、柵、まさしく観光用に整備された場所に私たちは隔絶されて、入れ替わり立ち替わり記念写真を撮っていく人たち。雄大な自然に私も含めた観光客の俗っぽさがコントラストをなしていると思います。

妙に気になる一枚

 この写真は、結構初期の段階で撮ったものです。滝を見た後、駐車場にて借りているバスの来るのを待っていたときに、給水車なのでしょうか、タンクの上にすっくと立って山を見ている男性の姿が妙に格好良く見えてね、それで撮った一枚です。

 バスに向かう途中の行き過ぎざまに撮ったものだから、本当に適当なスナップであはるのですが、それでもやっぱり気に入っている写真です。もう一二枚撮れたらよかったかなあと思いながら、けれどこれはこれでよかったのかも知れないとも思っていて、このあんまり作為のない感じの方がよいんじゃないかなと、そんなことを思っています。

次の湖に移動中

Jiuzhaigou valley 深い青が印象的だった湖を後にして、次の湖へと向かいます。

 このふたつの湖は距離がさほどではないので、徒歩にて移動。深い森の中、石にて舗装された連絡路を進むのですが、まあこれが結構なアップダウンでして、基本的に九寨溝の道は坂ばかりです。もちろん舗装されているところはただ坂になっているなんてことはまずなくて、つまりは階段です。前日の黄龍ほどではありませんが、ここもかなりの高地であることには変わりなく、そこで階段の上り下り。一種の高地トレーニングみたいなもんですが、けれどさすがに黄龍を経験し、また一晩を高地にて過ごしたためかずいぶん体も慣れているようで、移動に際し特に支障になるようなことはありませんでした。

 森の向こう、木々が開けてきたと思ったら、底にまた先ほどとは違った景色、翠の湖が見えてきました。ゴールはもうすぐそこです。

恐ろしく水の澄んだ翠の湖

 湖にたどり着いて、最初に驚かされるのはその色合いでした。さっきの湖もその青さに驚かされたものですが、今度の湖はそれ以上だったかも知れません。鮮やかに翠に色づいているその色はグラデーションを描いて翠から青に変わっていく、その様の美しいことといったらありませんでした。

Jiuzhaigou valley
手前より奥に向かって色合いを変えてゆく湖

 しかしこの水の色というのはなんなのでしょうね。湖を見れば鮮やかな色合いをして見るものをはっとさせるこの水が、近くにいくと恐ろしく澄んでいて、ここでまた驚きます。遠くを見れば、湖に沈む倒木から湖底の景色まですっきりと見通せて、近くに目をやれば、水があまりに澄んでいるものだから、水底の石がそのままそこにあるように見える。肉眼だと空気と水の境で屈折率が変わるし、それに水面で光も反射しているから石が水に沈んでいるとわかりますが、写真に撮るとまったくといっていいほどわからなくなります。水の透明さを伝えたいのに、透明すぎるために写真では表現できないという、ものすごいことになっています。

Jiuzhaigou valley
水に沈む木々から湖底の様子までありありとわかる
Jiuzhaigou valley
手前の石は、すべて水に沈んでいる。水が透明すぎて写真には写らないのだ

 そして、湖を少し右手に回り込んで見ました。この湖は、さっきの湖とは違いかなり小さなもので、私のいった時期は水の少なかった時期なんだと思うのですが、だから水のある時期だと入れないようなところまでいけたのだと思います。

 そうして撮った写真は、残念ながら広がりはそれほど表現できず、むしろ手狭さが色濃く出てしまったのですが、けれど山の木々が映り込んで影となった水面を通して深くまで湖水をのぞき込むことができる写真となりました。見れば、空を映して白く反射しているところは水の透明さが感じられて、だからもしかしたらあの色合いは木々の緑とも関係しているのかも知れません。いや、どうでしょう? 水自体はあくまでも透明で、光の入り具合、出具合でさまざまな色を見せる九寨溝の湖。湖ごとにまたそれぞれに違う色合いがあるのだそうで、また季節季節によっても違うのでしょう。この湖にしても、時が違えばまた異なった表情を見せるのでしょう。

食事にいく、その前に

 九寨溝を巡る旅、午前の部は終わり。そろそろ食事の時間です。ということで、バスを待つ間、その近くにとまっている二台のバスを撮影して、このバスは一体なにかといいますと、トイレです。中国は世界に知られたトイレの汚い国ですが、それではいけないと政府が号令を発してトイレ美化が推進されたというのもまた知られた話。特にトイレ美化運動は外国人観光客が集まる場所において重点的におこなわれ、つまり九寨溝もそうした場所なのだろうと思います。

 私は、昔遊んだゲームブックの影響で、あんまりに汚いトイレを使うと病気に感染してパラメータを下げられるという強迫観念を持っているので、なるたけ観光地のトイレは使わないことにしているのですが、というのも中国だからどうこうではなく、日本でも観光地のトイレはひどいところが多くて、以前国内旅行をしたときの話ですが、バリアでも張られたように近づけないトイレがあって閉口しました。そうしたことを思うと、今回の中国旅行は結構ましで、美しいかといわれると微妙というトイレであっても、そもそも立ち寄ることさえためらわれるというほどのことはなく、また気温が低いのも幸いしたのでしょうね。匂いが抑えられるものですから、ずいぶんと使いやすかったと思います。

 けど、私はこのトイレバスは利用しませんでした。せっぱ詰まった状況になかったということもありますが、やっぱりちょっと危険を感じまして、だからどういうトイレであったかについてはレポートできません。なので、こうしたバスに遭遇された方は、積極的に使ってみて、どういう状況だったかレポートしてくださると幸いです。

食事

Jiuzhaigou valley バスに揺られてついたところは、石を積み上げて築いたかのような外観の大きな建物。この外観は、九寨溝に住むチベット族の建物を意識したものだと思うのですが、それにしてもかなりの大きさで、今中国がどれほどに九寨溝に力を入れているかがわかるような気がします。けれど、それほどに大きな建物であるというのに建物入り口前で少し待つ必要がありまして、つまりそれだけ人が入っているということだと思うのですが、ええと、九寨溝って一日の入場者数が制限されているって聞いているんですが、それでこれ! 一体、何人に制限しているんだろうと思うんですが、まあ九寨溝というのも結構広いものですから、これくらいの人数は問題なく収容してしまうのでしょう。

 しかし建物の中に入るともっとすごかった。この建物、入り口を抜けるとそこにはマーケットプレイスなのか、土産物売ってる店がぐわっと大きなホール一杯にひしめくように並んでいて、それがまたたくさんあるんですよ。で、店が多けりゃ客も多いわけで、もう一体どこの市場に迷い込んだんだろうと思うほどの盛況。店に並んでいるものは、ここらの名物なんでしょうね、織物や革製品といったものが中心で、けれど私たちはとにかく食事にありつかねばならないという状況ですから、脇目も振らずにこの喧騒のなか、まっすぐに建物の奥へ奥へと進んでいくのでした。

 そして、食堂の入り口に到着。先ほどのホールから一段あがった場所、物売りの声、客のざわめきを聞きながら、席の空くのを少し待つことになって、その間に今通り抜けてきたホールを撮影しました。とにかくにぎやかで、中国のエネルギーをかいま見る、そんな感じでありました。

いよいよ昼食

 しばらく待って、そしてようやく食堂に通ることがかないました。ガイド氏曰く、席は早い者勝ちなのだそうで、だからつべこべいわずとにかく確保するのが正解なんだそうです。というわけで、私たちが確保した席は一番奥窓際の一席。けれどそこにはまだたくさん皿が残っていて、前の人たちの残していったものですね。とにかくそれがたくさんで、この余ったのはどうするんだろうと思っていたら、大きなバケツというかなんというかにざっと落とし込んでまとめて持っていってしまって、けど捨てやしないだろうなあ。家畜の餌かなにかになるんでしょうか。ちょっと心配です。

 今回の旅で、改めて中国人の合理性というのを知ったように思います。それはなにかといいますと、食堂のテーブルクロス。ちゃんとしたホテルであるとかだと、テーブルクロスは布、本当のテーブルクロスなんですが、こと食堂ともなると状況はちょっと違ってきまして、薄い乳白のビニルが何枚も重ねてテーブルクロスがわりになっているんです。で、これが合理性という所以なのですが、そのビニルを一枚一枚はいでいくんですよ。テーブルの上には、結構食事の残骸が積みあがっていたりして、さすがにそれをそのまま残すわけにはいかないでしょう。けれど、だからといってそれらどけて、テーブルクロス取り換えてとなると時間がかかります。次から次へと押し寄せるお客に対応できないわけですよ。じゃあどうするかというと、残飯、食べかすもろともテーブルクロスに包んで取っ払っちゃうんです。一番上の汚れたのがなくなればいいわけです。こうやって、大量の客を短時間でさばいているんですね。

 そして料理が出てきました。

Jiuzhaigou valley
最初はすこしずつ
Jiuzhaigou valley
すぐにたくさん

 ここの食事は基本的に野菜が中心、もちろんこの土地の特産であるヤクの肉なんかも入っていますが、けれど中心は植物性といってもいいと思います。それも煮物が多くて、食べてみたところ、結構うちの味付けに近いんじゃないかな。薄味。正直これは意外でした。味付けが薄いから素材の個性が前面に出てくるというのは私には実によく、あっさりとして食べやすい、野菜不足、繊維質不足に悩まされることもなさそうだ。今までいろいろ旅行していますが、こうまで食べやすいと思った料理も珍しいです。

 口に合ったという料理、なかでもおいしいと思ったのは豆腐でした。麻婆豆腐ではないけれども、ひき肉のソースのあえられた豆腐が美味しかった。そして豆腐干と呼ばれるいやに固めの豆腐。甘辛く煮込まれていて、これもまたおいしかった。中国の豆腐はちょっと固めで、そのためか豆腐自体の味が非常に濃厚と感じられます。いろいろとあえて味付けされて出てくるけれども、そうした濃い味を受け止められる強さがある、そんな感じの豆腐です。

 豆腐がしっかりとして、野菜も実にワイルドに伸びやかに育って、しかしすべてがおいしいというわけでもないのは仕方がないところでしょう。おいしくないのは、やっぱり米ですよ。これはそもそも高地というハンデがあって、炊くにちゃんと炊けない、べちゃべちゃとした部分があるかと思えば、妙に固くばさばさしたところがあったりと、こうなりゃさすがにおいしかないですね。けれどそもそも米の質が違うように感じます。やっぱり米に関しては日本が一番おいしいのかも知れない。もちろん長粒米文化の土地もあるから一概にはいえないけれど、炊いて食べることに関しては日本米はかなりのものだろうと思います。

電話:気になる一枚シリーズ

 九寨溝にも電話はあります。昼食をとった建物、表玄関を出たところに公衆電話が並んでいて、日本の公衆電話を見慣れた身には、中国の電話はなんだか硬質と感じられました。金属が前面に出ているからでしょうか。そうした電話が、景観を配慮しているのでしょう、木製のブースに据え付けられているのが妙にミスマッチで、妙に面白く感じられたものだから、写真撮っておきたいなと思ったのは実はずっと後のことです。ですが、その時には写真撮ることできず、残念に思っていたところ、電話機の写真が一枚発見されたのでした。

 もうちょっと寄っておきたかったなあ。といってももう仕方がない。私は思うんですが、観光となるとどうしても美しい景色とかを写しがちですが、そうしたのを撮るのももちろん素晴らしいことだけれど、でも電話とか、そういう日常のものを撮っておくのも面白いんじゃないかと思うのです。ちょっと日本と違っている、あるいは日本のものとそっくりだ。そうしたスナップの積み重ねが、意外に現地の雰囲気を伝えることもあると思うから、私はそういうものにこそ注目したいと思いつつ、それでもやっぱり美しい景色、珍しいものに注意がいきがちです。

 でも電話に関してはなんとか写真を残すことができた。たいした写真じゃないけれど、残せてよかったと思えた写真です。まあ、人に見せて面白いかといわれると、微妙なところでもありますけれども。

澄んだ水とうろこのない魚

Jiuzhaigou valley 澄んだ水をたたえた湖が印象的だ。そのようにいわれることの多い九寨溝ですが、湖ごとにまた少しずつ違った特色を見せるところも魅力であるのではないかと思います。例えば、午後の行程、一番最初に訪れた湖なんかがそうでして、この湖には魚がいるというんです。一般にいうんだそうですが、あまりに澄んだ水には魚は棲まないのだそうで、けれどこの湖には魚がたくさんいる。しかもこの魚にはうろこがないのだそうです。これはこの土地、あるいはこの湖に固有のものなのかどうか、そのあたりは残念ながら私にはわからないのですが、しかし珍しいものなのですよと、ガイド氏からも知らされて、そうかあ珍しいのかと、湖、見下ろしたそこに行き交う小魚をしばらくの間、飽きず眺めていたのでした。

 湖畔、手すり越しに座り込んで撮影した写真。手前には湖、奥には岸壁に取り付くようにして伸びる散策路が見えます。

 この写真、湖に目を落とすと、湖底まできれいに見通すことができて、そして手前には魚の姿を見付けることができるでしょう。茶色、小さな魚が群れていることがわかるかと思います。これがさっきもいっていた、うろこのない魚です。人影に身を隠すこともなく悠々と泳いでいて、それはこの湖がそれまで知られていなかったことに由来するのか、本当のところはどうだかはわかりませんが、写真を撮るには好都合。この珍しい魚を数枚、写真に収めることができました。

 私はここではあまり動き回るでなく、不思議とゆったりとした、穏やかな時間を過ごすことができました。もちろん、一日で九寨溝の主要箇所をまわろうという強行軍の最中、ゆっくりできるほどに多くの時間が割かれていたというわけでもないのに、それでもすごく落ち着いた気持ちなれたのは、この場所の持つ雰囲気のためだったのだろうと思います。澄んだ湖、湖面はあくまでも静かで、そして魚の行き交うのを見ながら先生やガイド氏と話をして、私の旅はいつも強行軍、慌ただしいのだけど、それだけになんだかすごく貴重な時間を過ごせたように思います。

 ここは都合十五分ほどしかいられなかったはずで、湖に沿って伸びる木組みの順路、それも私たちには関係ないものであったのだけれど、心に残ったものは大きかった。そんな風に思います。

移動中に滝を見る

 湖ばかりを見ているとついつい忘れがちであるのですが、この九寨溝はそもそもが標高三千メートル級の高地であって、つまるところ山の中であります。うっそうとした森に覆われた谷あいに湖が連なっている。そういう風に捉えるのが多分正しいのだと思うのですが、ということは水の流れもあるはずで、ええ、ちょっと湖から離れてみると、思いがけない急流が足もとに流れていたりして、ここが山の中であると思い出させてくれます。

 そして急流があれば滝もあり、目の前がぱっと開けたら滝が落ちている、また段々の斜面を水が流れ落ちるなど、多様な水の姿を見ることのできる土地であります。

パンダ看板1

 この移動中に見付けたのがこの看板でした:

 順路から観光客がはずれてしまわないよう用意された柵の向こうに見付けたのですが、内容はというと岩を登らないで! ここ四川省はパンダで有名なところでありますが、昨日の黄龍や今日の九寨溝あたりにはどうも出るらしいですよね。とはいえ、もともとが天然記念物に指定されている動物ですから、私ら観光客が偶然にも出会うなんてことはまったくといっていいくらいにないと思うのですが、そのかわりにこうした看板のパンダがあしらわれていて、観光客に愛嬌ふりまいています。

水に沈む木々、あまりに透明で青い水

Jiuzhaigou valley 次に訪れた湖、ここはある意味、もっとも九寨溝らしさを感じさせてくれる場所でありました。他の湖に変わらぬ澄んだ水。うっすらと青く色づいて、独特の雰囲気を湛えていることも他の湖に同じであるのですが、しかしこの湖は広く、大きく、そして水底には多くの倒木が沈んでいて、もろもろと表面が白くなっています。ここにこの土地の水質の特徴がうかがえます。九寨溝の土壌は多く石灰質を含んでいて、そして水にしても同じく石灰質を含むのだそうですね。これが九寨溝の水の透明さの理由だという話を聞かされて、そして独特の色味もこうした水質によるのだという話であります。そしてこの湖においては、そうした九寨溝の特徴的なるものを多く目にすることができた、そういう風に思うのです。

 特徴的というのは、逆にいえば日本国内でふれる九寨溝に関する情報、それらを実感しやすい場所であると思うのです。湖に渡された橋を渡る観光客があり、そのすぐ下にエメラルドグリーンに湖水が広がり、そして沈む木々がことさらに水の透明さを強調しているという、ほら実に説明的でしょう? なので、こうした九寨溝のイメージを補強すべく、説明的な写真を数枚紹介しておきたいと思います。

 時間に余裕があったので湖の反対側まで移動してみて、ここだけに限らないのかも知れませんが、次々と訪れる観光客を受け入れるべく整備がおこなわれていて、そうした合間をすり抜けるようにしてやってきた反対側。見た目には普通の湖、水は澄んで、空気もきりりと冷たく引き締まっているけれど、不思議と穏やかな雰囲気があって、ちょっとくつろいだ気分で話しながら湖越しに山を眺めていました。

 ここでもたくさんの人が記念撮影をしていて、入れ替わり立ち替わり慌ただしいのだけれども、それでもここで少し休んでいくというのか、落ち着いていく人は多くて、けれどそれは休みやすい環境があったからかも知れません。ちょっとカメラをひいてみましょう。

 多くの人が集まっても大丈夫なように、しっかりとした足場が作られているところだったんですね。ちょうどここは湖の一望できる場所だから、なおさらこうした設備が必要とされて、けれどこうしたものが必要であるということは、つまり九寨溝を訪れる人があまりに多いという証拠であるようにも思われて、ちょっと複雑です。中国は観光客を誘致したいだろうから、大勢の人がスムーズに観光できるよう整備をおこなう。もちろん私の今回の旅にしても、そうした前提があって成立したものだということは承知しています。けれどこうした整備事業が進めば進むほどに、九寨溝の秘境としてのイメージは薄れ、多々ある観光地のひとつになってしまうようにも思われるから、だから複雑というんです。

 ジレンマですよね。豊かな自然環境を残したいという思いがあって、だとしたらもっと人の立ち入りを制限するべきだろうところですが、けれどそうすれば私がこの地を訪れることも無理だったかも知れないわけで、この地に興味を持つ多くの人をなるたけ受け入れつつ、自然は残す。とはいえ、剥き出しの自然に慣れない観光客の快適を考えるなら、ある程度自然は切り開かれる必要がある。こうしたそれぞれに異なった方向へ向かおうとする思惑が、最終的にどういった結果を生み出すのか。ちょっと私は悲観的に思うところです。あと十年してからここにきたら、より一層開かれた場所になっているんじゃないかなあ。よその国のことながら、そんな心配をしています。

木々の生える傾斜面に水が流れる

Jiuzhaigou valley 次にいった場所は、これまでにいったところとは大きく雰囲気を違えて、そしてこの後にもこのような場所を見ることはありませんでした。バスから降りて、案内されるままに進んでいけば、そこには水の流れがありました。水が流れているといえば川を思い浮かべますが、その風景は私の知るどの川とも違っていて、もしそこに流れがなければ湿地と思ったかも知れません。あちこちに低木の生える斜面に、水が流れていきます。その流れはかなり速く、しかしその幅の広さがこれを急流とは表現させません。日本で、山で速い流れときけば、渓流などを思わせますが、私の知識ではこの流れは渓流とは呼べません。また急流と表現するにはあまりに静かな流れで、しかし水面に寄ればかなりの速さなのですから、これはなんといったものか。幅広の浅瀬を流れていく水、実に不思議な光景でした。

 流れには木製の橋が渡されていて、私たち観光客はこれを伝って流れを越えていくのですが、しかしこれが怖い。手すりがなく、また結構な細さなのです。大人なら二人がすれ違える、気をつければ三人も可能かも知れませんが、気を抜けば端のどちらかが落とされますね。実際途中ではリュックを流してしまった観光客がなんとか取り戻そうと頑張っていて、正直それを見て私は気が気でありませんでした。駄目なんですよ、こういうシチュエーション。幸い落ちはしませんでしたが、途中落ちるんじゃないか落ちるんじゃないかと不安でしかたありませんでした。

流れる水の行く末は滝

Jiuzhaigou valley 流れる水を越えて私たちの向かった先は、まさしく今渡ってきた水の流れゆくその先でありました。幅広の流れ、この先は断崖絶壁、そうこの水は滝となって落ちていくのです。

 これはどういうことかといいますと、この先に幅広の滝が出現しますよと、そういうことなのですよ。今まさに渡った水の落ち行く様を、断崖にしつらえられた順路沿いに見ることができます。どうどうと音を立てる滝は雄大の一言。落ちる水、しぶきは細かく霧のように散って、自然その側をくだる私たちを濡らします。私はカメラを濡らさぬようふところに抱えるようにして、滑りやすい足もとに気を使いながら先へと進みます。

 では、ここからは写真を中心に見ていきたいと思います。

 次にあげる三枚は、スロープをくだりながら撮った写真です。スロープの途中途中に滝に近づいて見られる展望スポットが設けられており、そこでは記念撮影する人が入れ替わり立ち替わりポーズをとり、シャッターを切り、ちょっとした撮影スポット争奪戦の様相を見せていました。三枚目、撮影スポットにて撮った写真ですが、かなり滝に接近することができるものですから、押し寄せる水の迫力がすごく、圧倒的でした。

 この写真の見どころは、一枚目、二枚目の奥行き感だと思います。滝にさしかかるまでのことを思い出してください。私は散々幅広幅広といっていましたが、その幅広の水の流れがそのまま滝として落ちていることが感じられるかと思います。それこそ、この位置からでないとその幅広感は捉えられませんでした。私の使っているカメラは広角が売りであるのですが、それでも滝を一望して捉えることはできなかったのです。

 滝沿いにくだるスロープをおりきると、そこはちょっとした広場になっていて、今し方右手に見てきた滝を正面から眺めることができます。その広場というのはこんな感じ。

 色とりどりの旗がはためいています。この旗は泊まったホテルの表にもありました。チベット族の風習で、旅の安全を祈るという意味があるそうです。ちょっと調べてみたら、タルチョというものだそうです。九寨溝ではここに限らず、結構あちこちで目にする機会のあるものですが、それは意匠であると同時に私たちの安全を祈ってくれているのですね。そう思うと、なんだかとても嬉しいものです。

Jiuzhaigou valley 広場から見る滝は、雄大の一言でした。一望するにはあまりに幅の広すぎる滝です。水量はあまりなかったとはいえ、見上げれば白くしぶきを上げながら途切れることなく落ちてきて、岩や倒木を洗いながら流水の美しさを見せつけます。岩や木は水に含まれる石灰質に覆われて、白みを帯びていました。

 しかし、水量が少ないなんていえるのは、あくまでも滝の壮大すぎるためでありまして、近寄って、水の流れるのを間近に見れば、そのような感想は出そうにありません。実際聞くと、私の訪れたこの時期は水の少ない時期にあたるのだそうですが、それでこれなのです。なら、これがもっと水の豊富なときであれば一体どういう景色になるものだろう。きっと、今見る以上の雄大さがあるに違いないと思うのでした。

 さて、しばらく滝のそばにいた私たちですが、次の目的地に向かうべくバスとの合流地点を目指して移動をはじめました。滝を右手に見ながらの徒歩行、最初に見たような壮大さは薄れますが、それでも滝は途切れることなく続いて、いったいこれ何メートルあるのでしょう。さっきまでとは違い、木や草の多く茂る中を進んで、途中金網越しに水を渡り、また足もとのすべることに気を取られながら、森を抜けて、そして駐車場に出たのでした。そこで一休み。途中はぐれた人を待つハプニングもありましたが、大事もなく全員揃って出発することができました。

湖、そしてパンダ看板

 九寨溝にはたくさんの湖があってとはよくいわれることで、そしてそれは実際バスを使っても一日やそこらでは回りきれないくらいあって、だからこの日の九寨溝散策においては主要な場所をまわるにとどめたのですが、それでもまだまだ湖は出てくるのです。

 幅広の滝を見終えて、次に訪れたのはまた湖でした。深いエメラルドグリーンの水が印象的な湖で、けれどこうも独特な景色ばかりを見ていれば、次第に慣れてそれが普通に見えてきます。この湖にしてもそんな感じになっていまして、美しさはかなりのものだし、実際この湖がひとつぽつりとあれば、かなりの注目を集めただろうと思われるくらいなのに、ここ九寨溝においては特に目立つでなく、たくさんある湖のひとつといった趣で、静かにひっそりとしていました。

 この湖には、観光客を呼び寄せるような、そういう設備は用意されておらず、だからずいぶん自然な感じで、それは逆によかったように思います。そしてその側にはパンダ看板があって、観光客に注意を促していました。

 その注意とは、魚に餌をやらないで。ということは、この湖には魚がいるのでしょう。見た目には、川が注ぎ込むでなく、まるで独立したようである湖ですが、けれど魚がいたのですね。

滝沿いでの再会

Jiuzhaigou valley 次に訪れたところ、それは滝でありました。この滝はほぼ道沿い、バスを降りて少し脇によけたようなところに、突然現れてどうどうと落ちている、そんな滝であります。これまで見てきた滝とは違い、今度のは縦に長いタイプと申しましょうか、勢いよく落ち、流れていく、そういう滝であったのです。

 なお、ここでの順路もやはり滝沿いで、しぶきというか、破砕された水が霧みたいになって立ちこめていまして、とりあえずカメラが濡れたらいやだなと思い、懐に守りながら近寄って、けれどとる時にはどうしても水を浴びねばならない定め。ええいままよという思いで撮ってきました。

 落ちる水は渦巻き、白く砕けて流れていく。まさしく雄大、水のスペクタクルといった感じの場所なのですが、これをちょっとひいてみてみますとこんな感じであります。

 おお、まさに観光地然とした趣です。さらにひくとこうです。

 雄大な自然に、観光客を受け入れるべく整備された通路が沿って、そしてそこには人がいっぱいです。観光客は、順路にひしめき合って、我勝ちに前へ前へと出ては記念写真撮ることに余念なく、そして彼らは、私たちもですが、タイムスケジュールに縛られて、訪れては去り、訪れては去り。こうした慌ただしい観光風景がここの普通になっている模様です。

 そして、私はこの雑踏の中、台湾からのお嬢さんに再会したのでした。滝の落ちかかる側、ビデオカメラを手にする彼女を見付けて、言葉が通じるわけでもないのに、挨拶をしたのでした。台湾のお嬢さん――、昨夜のショーで出会った、いらっしゃいませーと知っている日本語で話しかけてくれたお嬢さんです。

 話しかけてどうしたのか。いや、なにしろあちらもこちらも忙しい身でしょう。この滝を見れば、次のスポットへとバスにて運ばれる運命にある我々で、そしてスケジュールの過密さはあちらの方が上の模様で、挨拶を交わした後に、碑文をバックに記念撮影、そのままバスへと吸い込まれて去っていったのでありました。

そして旅は終わりに向かう

 台湾のお嬢さんと別れた後、私たちの一向はバスに戻るのではなく、川下に向かって歩いていきました。滝は穏やかな流れにかわり、ただくだるばかり。川は碧く澄み渡り、広く、豊かに水を流していました。

 川をさらに下ると……、

 チベット族の家なのでしょうか、あるいは寺院? 宗教的な雰囲気も漂わせる建物が、川にせり出すようにして立ち並んでいる場所に着きました。建物は小さく、住居ではない模様。扉には仏陀なのでしょうか、鮮やかな色合いの絵が飾られており、そしてタルチョが軒に幾重にもかけられていました。やはり、ここは宗教的な場なのであろうと思います。去り際に撮った一枚、そこには人の背丈ほどもあるマニ車が写っています。

 本当はもっと寄って撮りたかったのですが、ここはもう素通りでしたので、ゆっくり写真を撮る時間もありませんでした。もう、みんな疲れてしまっていて、とにかく先へ、そういう雰囲気が支配していたように記憶しています。

 そしていよいよ九寨溝最後の場所。先ほどの川から離れ、階段を上りきったところにてバスを待ちながら見た湖、これが最後の風景となりました。

 遠くにあって、寄ることもかなわずただ見るばかりだった湖。バス待ちの時間、これまで見てきた九寨溝の風物を、この湖を遠目に眺めながら話していました。

さよなら、九寨溝

Jiuzhaigou valley バスが到着するまでしばらく待って、到着したバス、乗り込んで走り出せばいよいよ九寨溝巡りも終了です。バスの中は疲労感が漂って、朝方の興奮、窓外の物珍しさに騒がしくなるなんてことももうありませんが、けれど遠くに見えるチベット族の民家でしょうか、いやここに人は住んでいないとは思いますが、ともあれ一枚写真に収めて、そしてバスが九寨溝の出口に到着するのをただ待つのでありました。

 九寨溝の出口というのは、朝出発したところ、つまり入り口でもあるわけですが、さすがにこの時間ともなるとがらんとして、人影はあちらこちらにぽつりぽつり。朝の、あの人だかりが嘘みたいです。なので、朝見られなかったところもゆっくり見られるというわけで、写真を数枚:

Jiuzhaigou valley
けっこうあちこちにあった、ポストというかモニュメントというか。この目玉みたいなマークが、九寨溝のシンボルマークなんでしょう。
Jiuzhaigou
九寨溝を出たところ、ちょっと広場みたいになっているところにあった土産物売る建物です。けど、ここではなにも買いませんでした。
Jiuzhaigou
そして、九寨溝の入り口にして出口。さすがに誰もいませんが、こうした様が妙に物悲しさを誘うのか、記念に写真を撮る人を含めて一枚。

 人気の少なくなり、また少しずつ暗くなっていく空に、ああ終わったんだなという気持ちを強めながら、泊まっているホテル、格桑賓館に向かいます。ちょっと寂しげに、疲れを引き摺りながら、けれどそれはそう悪くない感覚だったと思います。しみじみとした、そういう表現の似合う感じであったと、そんな風に思います。

帰り道で、そしておまけ

 ちょっとこの写真を見てくれ、こいつをどう思う?

 手前には茶色く濁った水が流れ、そして奥には青みを帯びた水が。これなにかといいますと、九寨溝から流れてくる水とこの低地(といっても標高三千メートルなんですが)の水が出会う、まさにその合流点の写真なんです。しかし、まあなんというコントラストでしょう。方や清流、方や濁流。この水はしばらくのあいだ混じりあわず、川の流れを二分して、そして途中混ざりはじめたかと見えると、途端にうやむやになるという、そういう様子を見ることができました。性質の違う水が出会って混ざるまでの状態というのでしょうか、普段だとここまで目で見てわかりやすくはないわけで、それがはっきりと見て取れたのは面白かったと思います。

 さて、ちょっと時間は遡って、九寨溝入り口付近の公園に設けられた、パンダのディスプレイをば。とにかく四川省はパンダが名物なのだと主張するかのようであります。

ホテルに帰還

 帰ってきました、格桑賓館。朝、ガイド氏の交渉の甲斐あって、部屋のグレードが上がったという話なのですが、しかし正直いってあんまり期待していませんでした。だって、そんなに部屋数のあるようなホテルでもないでしょう? そんなホテルで部屋の等級云々いったって、たいした違いのあるわけもなかろうとそんな風に思っていたんです。はたして、その予測はあたったのかどうなのか、それは実際に部屋に行ってみればわかることであります。

 帰り着いたホテルの玄関に、網を掛けて置かれていた我々の荷物。そこから自分の荷物をもらいまして、そしてガイド氏からカードキーをいただいて、さあいざ新しい部屋へ向かうのでありました。

新しい部屋は三階だ

 新しい部屋は三階でした。エレベータに乗り、三階へ移動。部屋番号を確かめながら見付けた部屋は、まあ今朝までの部屋とは大違いではないですか。一階の、若干薄暗さの漂っていた部屋とは違い、明るくからっとした感じ。調度、設備も全然違っていて、前の部屋は大きなテレビがどんとあったのに対して、この部屋はテレビがあるのはもちろんのこと、なんとPCまであるんですね。こりゃ驚きました。なにに驚いたかというと、九寨溝にもネットがきているということですよ。うへえ、高度三千メートルでもネットは通じてるんだ、すごいなとひとしきり驚いて、さて目をもっと手前にやりますと、バスルームの扉が開いていて、なんかおじさんが工具手にして作業中。おや、これも一階にはなかった設備でありますぞ、って、おじさんは設備ではありません。なんか、水まわりに問題でもあったんでしょうかね。修理していて、私らが帰ってくるまでに終わってなかったってことなんでしょう。

 いやあ、ちょっと驚きましたが、まあなにがあったにせよ、故障が直るならそれでいいやと、おじさんは結構な時間いらっしゃったんですが、修理終わり次第出ていかれるだろうと、私は最前からの興味であったPCに電源を投入したのでありました。

中国から日本にアクセス

 PCは最初電源が入らず、どうやらどこかにPCに電気を供給する元スイッチがあると思われて、部屋のあちらこちらを見てみたら、なんだか部屋の灯のスイッチがひとつ効かなくなっていて、見ればそのへんから電気の線がのびている。ははあ、これだなと思ったらドンピシャでした。

 起動したOSはWindows XP。言語はもちろん中国語です。ネットには繋がっているだろうというのは、事前にLANケーブルの繋がっていることを確認していたから、まず間違いない。IEを開けば、ホテルの用意しているメニュー画面が表示され、そしてURIを打ち込むことで、インターネットにも出て行くことができました。

 この時、一番の興味であったのは、中国がインターネットにておこなっているという規制です。国レベルで反共的なサイトやページへのアクセスをブロックしているという、例のあれです。万里の長城、グレートウォールをもじってグレートファイヤーウォールなどといっていますね。さて、この私の興味というのは、我がサイトが中国から見られるかというものであったのです。打ち込むことのhttp://www.kototone.jp、そしてエンター。すると表示されたのですよ。よかった! こととねは中国当局の認める、親中サイトであるようです。

 とりあえず、Blogにアクセスして、時限式で公開されるはずの記事が、問題なく表示されているか確認。よし、問題なし。ここで、中国まで持っていったマルチメディアリーダでカメラのデータを読み込み、同行の人たちとざっと見ていって、そして日本のSNSに写真を公開。その際には、もっとも九寨溝らしい写真ってどれですかねって、先生にたずねて決めていただきました。

 この時に文字打ち込む必要があったんですけど、なにしろ日本語システムじゃないから、日本語IMEを用意するのも難儀で、えい面倒だとばかりに中国語でチャレンジ。かくのごとくしてできあがった記事、タイトルは「在九寨沟」、本文は「再见」のみというもの。短い? だってさ、ピンインなんてもう忘れたんです。これで精一杯だったんですよ。

 その際選ばれた写真がこれです。

 私の持っていた九寨溝のイメージは澄みきった水であったものですから、滝が選ばれたのはちょっと意外でした。けれど、一般には滝なのかも知れないですね。あるいは中国ではそうであるのかも知れません。

キーボードについて

 あ、そうそう、キーボードについて。

 部屋に備え付けのコンピュータ、そのキーボードはいったいどのようなものだったかといいますと、ええと、写真撮ってきました。

 中国のキーボードだからといってキートップに漢字が書かれているわけでもなく、一見すると普通のAnci配列、USキーボードに見えます。けど、ちょっと見るとエンターが変な感じに大きくなっていて、かわりにBackSpaceが欠けています。バックスラッシュの位置が違うんですね。これ、打ちにくかったりはしないのかなあ、なんて思いましたが、まあ結局は慣れなんでしょう。だから、これでいいのだと思います。

 打ち心地うんぬんについては、そんな評価できるほど打ってないからなんともいえません。

 あ、書きわすれないようにしようと思ってたのに、忘れるところでした。このコンピュータ、デスクトップやらにデータを残したまま終了すると後の人に見られちゃうよね、とか思っていたら、毎回の起動時になのか、規定の状態にシステムを戻すような仕組みになっているようです。だから、仮にパスワードとかを残したままシャットダウンしたとしても、安心であるようです。こうした機能は利用者のためというよりも、ホテル側、管理者の便利のためであろうと思いますが、それが結局は利用者も守るのですから、一挙両得、よい仕組みであると思います。

お土産を買いに

 写真の回覧も終わり、コンピュータもシャットダウンして、夕食までの少し空いた時間、ちょっとお土産でも買いにいきましょうということになりました。同室の男性と、その人はビールを買うといってましたが、私はビールとかはいいから、とりあえずお土産。自分用というよりも、家族や友人、あと職場かな、に手ごろなお土産があったらいいなと思い、ホテルの前、道路を渡ったところに数件軒を連ねている店店を冷やかすことにしたのです。

 同行した男性には特技があって、比較的誰とでも仲良くなれるという、実にうらやましいものであるんですが、驚いたことにそれは中国は九寨溝においても有効であるらしく、商店の並ぶ丁度その真ん中あたりにあった水餃子の店、そこの人とすっかり友達になっているんですね。そのチャンスはというと、前日、私がグロッキーで寝込んでいたあいだですね。そのわずか数時間、いや、一時間もあったんだろうか、そんな短時間で仲よくなっているんです。煙草をいくつか持って、あげるよと、数箱渡しちゃう。向こうが煙草を吸うのかどうかなんてわかりませんけど、吸うならそれでよし、吸わないなら友人なりなんなりにまわるんでしょう。こういう具合で、相手の懐に入って、仲よくなるのが実にうまいんです。また、後で食べにくるわなんていっちゃってね、それで同行のみんなを誘ったりしていましてね、それが実に自然で、本当、才能であると思います。

 さて、この九寨溝中心街(なのか?)において目に付く店はといいますと、今いいました水餃子の店、それから地元名産の毛織物の店、DVDとか小物とか売っている店、二件ほどあったかな? Kodakの黄色も目に鮮やかな店、地元の人も利用するかと思われる食料品を中心とする雑貨店、あとはなにがあったかなあというくらい。毛織物の店には、同行の女性陣がすでに詰めかけていて、安くそれなりによいものが買えるということで選んだり交渉したり。その様子を見ながら、なにしろ私はそうしたものに興味が薄いから、見送りを決定。鼻が利かないんですよ。わからないんです、善し悪しが。だから手を出さない。というわけで、土産物店といっていいのか、小物なんぞを売る店へと流れていったのでありました。

DVDを買う

 最初に訪れた店はDVDやなんかを扱う雑貨屋、というか土産物屋でしょうね。九寨溝に関係するDVDやVCDがいろいろ置かれておりまして、見ていると店員さん、ええと女性二人が近寄ってきて、買わないか、いかがかねといろいろおすすめしてくれるんです。もちろん言葉なんてスムーズに通じないですよ。だから、もう雰囲気でコミュニケーション。けどお土産買うくらいなら、それでどうとでもなるものですよ。

 DVDがおすすめのようです。九寨溝の風景を収録したDVDが二枚、それからパンダのDVDが出てきたんですが、ああ、パンダはいいや。今回パンダ見にきたわけでないし、それに一度もパンダ見てないし。しかし、このDVDははたして本物なのかなんなのか、いやねなにが正規品かなんてわからないんですが、よく見せてくれろとお願いして、パッケージ見てもそんなにおかしくない。内容はどうなんだろう、そういう風に日本人サイドで言い合っていたら、雰囲気を察したのでしょうね、やおらパッケージを開けて、その場で再生してくれました。なるほど、画質はよいとはいえないけれど、九寨溝の雰囲気を伝えるにはよさそうです。それに、私たち観光客レベルでは見ることのできないアングルから撮られていたりしますからね、というわけで購入を決定。もちろん、その開封されたやつを買ったんですよ。

 でも、もし開封して私が買わなかったらどうしたんだろう。まあ、別の人に説明する時に使って、気に入ったら買ってもらってということなんでしょうけど、でもこうして内容を気軽に確認させてくれるというのはよかったなと思います。日本でも昔のレコード店なんかはそうだったっていいますけど、今はもうそんなことないですよね。このへんは、日本で失われたものなのかも知れません。

DVD, Jiuzhaigou and Huanglong
DVD『九寨仙境 黄龍天堂』,パッケージ表面
DVD, Jiuzhaigou and Huanglong
DVD『九寨仙境 黄龍天堂』,パッケージ裏面
DVD, Jiuzhaigou and Huanglong
DVDはピクチャレーベルだ。ちなみにこれ2004年版。

マニ車を買う

 DVDを買って、次に向かったのは地元の民芸品を売っているような店。といっても、そんなに民芸店くささはなく、普通の店舗、小さな店内にカウンター兼ガラス張りのショーケースがあって、ケース上には小物、ケースなかにはちょっと大きなものが入ってる。カウンター、頭上からはもちろんいろいろ小物がぶら下げられていて、それがのれんみたいになっていて、けれど演出めいた装飾は皆無なので、それこそ普通一般の売店のように見えます。

 こちらの店番は、三十過ぎくらいかな、女性がひとりで、この人がいい感じに交渉持ちかけてくるものだから、私はちょっとこの店気に入ったのです。そもそも私には目当てがあって、なにかチベット族を感じさせるものを買って帰りたいなとそんな風に思っていて、そしてこの店にはそうしたものがあったのです。それはマニ車。マニ教の信者が手に持って、くるくるとまわしている。見た目にはがらがらですが、その中には経文が収められていて、一回まわせば一度経文を唱えたことになるのでしたっけ。だから敬虔なマニ教徒は、手にこれを持って、歩いている最中でもくるくるやっています。

 この店で扱われていたマニ車は二種類、大きなものと小さなもの、けれどどちらも手持ちサイズです。えんじ色に塗られた木製の柄があり、そしてその先に金属でできた車がついています。車の側面にはチベット文字なのかそれとも梵字? 私には読めない文字が付いており、そして青や赤の石が埋められています。そして、特徴的なのが分銅でしょう。短い鎖の先につけられていて、これをおもりとして車を回すのですね。悩んでいる私を見て、お店の女性が、器用にくるくるとまわしてくれました。口でマニマニマニと唱えながらくるくるくるくる、私も受け取ってまわそうとするのですが、慣れないとなかなか難しい。そして女性は車の上の蓋を開け、中に経文の入っているのを見せてくれました。確かにこれは土産物店で売られているものではあるけれど、間違いなくマニ車なのだと、そういう証が立った、そのように感じたものでした。

 さて、この時点でマニ車を買う気持ちは固まっていました。けど、大きいのと小さいの、はたしてどちらを買ったものか、そこで迷ったのでした。大きいものはそりゃ見た目にも立派で、ちょっと古ぼけた感じもかっこいいし、いかにも本物って感じがしたものでしたが、じゃあ小さなのは偽物かいって、そんなこともないんですね。小さいほうは小さいほうで、てかっと光ってきれいで、こじんまりとしたその姿が可愛いし、これもいいなあって思った。迷って、代わる代わる持ち替えて、マニマニマニとまわしていたら、店主から提案がありました。両方買うなら、大幅値引きするよって。

 そして、私はそういう言葉に弱いのです。なにしろ、どちらかが欲しいではなくて、どちらもが欲しいんです。そこに、このマニ車を買った人はこんなマニ車も買っています、じゃないや、ふたつ買ってくれるなら大きいほうを半額だったかな、それくらいにするけどどうっていわれたものだから、ちょっと迷って、いやきっと買わなかったら後悔するな、よし買った、こういう時だけ思い切りがいいんです。この思いきりのおかげで、うちにはマニ車がふたつあります。大きいほうは右手、小さいほうは左手で、マニ車二刀流なんてこともできそうですが、なんだか大事にしまわれているので、あんまりまわす機会はありません。

Prayer Mani wheel
大きなサイズのマニ車。あるいは、標準サイズ。
Prayer Mani wheel
小さなサイズのマニ車。軽くまわしやすい。

肉を買う

 土産物店をふたつ回って、まあこれくらい買ったらもう充分かと思い、同行者の目的を果たすべく、食料雑貨店へと向かいます。このへんのコンビニ兼スーパーマーケットっていったらいいんでしょうかね、入り口左手には干し肉ぶら下がっていて、調理台にはでかいまな板、でかい包丁があって、肉を加工して売ってますっていう感じがありあり。調理ブースの向かい、入り口右手ですね、そこにレジがあって、男女二人、店員がおりました。多分、このどちらかがあのでっかい包丁を振るって、肉の塊を切りだすんでしょうね。

 店一回りして、棚を物色。なにかしら土産に買って帰れるものはないものかと思って見ていたのですが、そうしたらこれはいけるかもと思わせるものがありまして、それは牛肉です。九寨溝はヤクを食用に育てているのですが、その肉を干したものが売られていて、個別包装、アルミパック、ああこれはいいかも知らんと思って買ってみました。味付けは数種類あって、その中から燻製と思われるもの、そして辛いものを選んで買いました。自宅用と職場用、それぞれに買って、しかしいったいどういう味のするものだろう。まずかったらいやだなあと思いながら、珍しいものだから躊躇はありませんでした。日本円にして一袋二百円くらいかな、そんなに高くなかったというのも買いやすかった理由でありますね。

レジにて

 この肉を買ったレジでのこと。もちろん支払いは人民元であるのですが、札入れから代金分の札を出そうとした時に、いざという時の用意の日本円、数千円がカウンター向こうの二人に気付かれてしまいまして、そうしたらなんだかそれを見せてくれというのか、あるいはそれで払ってくれといっているのか、よくわからないのですが、いきなりわあわあとまくし立てられて、困ってしまいました。日本円で払えるのか? とにかく言葉が通じませんからね。同行者も私もほとんど言葉わからないから、どうしたものか弱ってしまって、まあでも立ち尽くしても仕方がないから、日本円はあかんあかんとこっちも日本語で応酬して、人民元で精算して帰ってきました。

 ホテルに戻ってから、ガイド氏にこの話をしたのです。こんなことがあったんだけど、いったいなんだったのだろう。このへんでは日本円が貴重なのか? 使えるのか? などと聞いてみたら、そんなことはないはずだから、きっと単にくれといってたんでしょうという返事で、それもまた変な話だと思ったけれど、まあ変なりに、納得できないなりに、そんなもんだと思っておくしかないのだろうと諒解しました。

 日本円が見えないように気をつけていたつもりだけど、実際、完全に見えないように隠しておくべきだと思いました。海外ははじめてではないけれど、こうした反応ははじめて。よくわからないけれど、リスク、トラブルの種は少ないに越したことはありません。

九寨溝ガイドの裏側

 買い物から帰ってロビーにて少し休憩していると、ガイド氏がいらっしゃったので、少しお話をしました。最初に話したのは、先ほどのレジでの出来事について。そしていつしか話題は、ガイド氏がいったいどこにとまっておいでであるのか、そうした方向に向かっていったのでした。

 というのはですね、夜になるとガイド氏の姿が見えなくなるんですが、とはいっても近くに別の宿をとって、そちらにいらっしゃるというわけでもなさそうで、しかしだからといって、私らが泊まっている宿に部屋を取ってというわけでもなさそうだしで、もちろん成都に戻っているなんてことはあり得ない。じゃあ、いったいどこで寝起きされているのだろう。単純な疑問から聞いてみたのでした。

 すると答えは意外なもので、宿の会議室というか、そういう場所に集まって雑魚寝なのだそうです。ガイドを生業にしている人たち、例えば私たちが泊まっていた夜にも複数の団体が宿泊していたわけですが、それぞれについているガイドさんでしょうね、皆が集まって会議するような部屋の隅っこ貸してもらって寝ていると、そんな話だったのです。なぜかというと、もう客室がないっていうんですよね。もう少し以前、九寨溝がまだ知る人ぞ知る秘境であった時には、ちゃんとした部屋で寝られたのだそうです。ですが今は誰もが知り、誰もが行きたがる場所になって、シーズンには満員御礼。客室はすべて旅行者が使うので、ガイドの寝泊まりできるような部屋はもう存在しない。だから、従業員の使う施設の一部を使わせてもらって、雑魚寝というか床寝というか、ソファみたいのは多分ないだろうしなあ、そんな状況であるのだというのです。

 そして、現実にはほとんど眠れない。円滑にスケジュールを進行できるよう、携帯電話片手に、いつだってどこかの誰かと連絡取り合って、チケットが必要なら早朝だろうと夜中だろうと押さえに走り、予定が狂っていようものならタフに交渉して問題解消し、そんなだからほとんど寝る時間もない、落ち着いて食事する暇もないのだそうですね。いや、これは九寨溝に限らず、世界のどこのガイドでも一緒でしょう。大変な仕事です。そしてそうしたガイド氏の奮闘あって、私たち旅行者は快適な旅を楽しむことができるのですね。

 そう考えると、ありがたいことであります。もちろんお金払ってんだ、当たり前ではあるけれど、実際にその頑張ってくださってる姿見ると、ありがたいって思えるものですよ。

Jiuzhaigou
その日の団体客。JTB花巻包、中国語には花巻という名前の饅頭があるらしく、ガイド連の間でちょっと話題になったそうです。包の字もあるし、完璧に饅頭ですね。私には、マーカーで書かれた字体が隷書風なのが面白かったです。

夕食

 九寨溝、二日目の夕食です。といっても、私は初日体調を崩してしまい、まったくといっていいくらいなにも食べていませんでしたから、これがはじめての九寨溝の夕食となりました。これだって中国の料理だからこれも中華料理なのかもしれませんが、そもそも九寨溝はチベット族の集落であるとのこと。ということは、これら料理はチベット料理であるのでしょうか。いずれにせよ、香辛料がそれほど使われていない薄味の食事。それはこの夕食でも同じで、普段から味の濃いものを食べ付けない私には、正直ちょっとありがたい味付けでした。

 けれど、そうした感想を持っていたのは私くらいのものらしく、他の人にはおおむね不評であったようでした。なんでだろう。我が家の味付けがことのほか薄いというんだろうか。といえば、確かに薄いのでしょうね。そもそもが関西、京都のうちです。薄味の土地で、しかしそれでなおより以上の薄味を好むところがありますから。なので、ここ九寨溝で味わった、味付けがほとんどなされていないか、あるいは味付けの概念が違う。素材の持つ味に頼み、他を足すことをほとんどしない、そんな風にまで思える薄味も普通に受け入れることができたのかも知れません。

 ここでの料理は、あまり素材に手を加えないとでもいいましょうか、野菜炒めは実にシンプルに野菜炒めという感じ、肉炒めでも同様です。味付けはさっきもいったように薄く、素材の味がよくわかるといえばいいけれど、人によっては物足りないかも知れません。そして実際、このあたりから決定的に食べられなくなってきた人が出はじめまして、合わないのでしょうね。ほんの少し箸をつけて、もう終わり。そんなだから力も出なくなって、だから余計に食べられなくなってという、悪循環ですね。昼間あれだけ歩いたのだから、食事も睡眠もしっかりとらないといけないだろうというのに、それができないというのは大層つらかったのではないかと思います。その点、文句もなく、というかむしろここの食事が合っているといって食べていた私なんかは、運がよかったのだとそのように思います。

お土産を買いに その2

 食事前の買い物で、土産物はもう充分に揃ったと、そんな風にも思うのですが、けれど家族用にかたちとして残るものも買っておきたい、そんな風に思い、食後、ホテルの土産物売るコーナー、売店といいますか、結構大きめにスペースとってあるのですが、そちらを冷やかすことにしました。

 ここいらのお土産は、宝飾品、石ですね、がポピュラーであるようです。翡翠がどうも出るようで、見事な翡翠の置物だとか腕輪とか、そういうのが置かれていたりもするのですが、もちろんそんなものは買いません。というか、買えない。なんのかんのいって高いものですから、おいそれと買って帰れるものではないですよ。だからもっと手ごろで、負担にならない、そんなものを探したのです。

 けれど、安ければなんでもいいなんて話ではありません。中国は九寨溝まできて、それこそどこにでもありそうなもの買ったんじゃ面白くない。できればここの名産、九寨溝らしさのあるものを選びたいと思って、けれど九寨溝らしいっていったいどういうものなんだろう。そもそも私はこのあたりの名産だとかなんだとか知りません。まったくよくわからないまま、いきますかと誘われて、ああ、なんだか今いっとかないと駄目そうだな、いきますと答えた。そんな具合ですから、決定的に知識が不足しているのですね。だから、売店の店員さんに聞いたのでした。

 こちらの要望は、記念品として残るもの、九寨溝らしいもの、かさばらないで、安いもの、でありました。けれど、意外とそういうのってないんですよね。だから大抵キーホルダーとかに落ち着くんですが、ええ、今回もそんな感じ。けれど、ただ単純にキーホルダーとはなりませんでした。選んだのは、石でできた、ええとなんていうんだろう、根付けとでもいったらいいの? 紐を通して下げる、そういうの、でした。

 この石が、このあたりの特産品であるんだそうです。濃い色の土台に緑の石を貼り付けたかのような細工ですが、これは貼り付けではなく、もともとこうした二色の石が層をなしているのだとのこと。この細工は小さなものですが、もっと大きなもの、置物なんかもあって、それを見れば確かに層状に質の異なった石が重なっているというのがわかります。そしてこのプレートは、濃い色が土台になるようにして、緑の石を浮き彫りにしているのですね。

 この彫り物、上から虎、龍、馬、豚ですが、よりそれっぽくいうと、寅、辰、午、亥ですね。ええ、これ十二支なのですよ。十二支の動物が彫り込まれて、家族へのお土産だからと午年亥年をピックアップしました。うちには午年がふたりいるのですが、同じものいくつも買うのは芸がないなあと思って、店員さんのおすすめ、寅と辰を足しました。龍虎という言葉があるくらいだから、それこそ干支関係なしに喜ばれると、そういうお勧めを受けてのことです。それに関西なら虎は喜ばれやすいかも知れませんしね。

就寝の前に

 就寝前には、部屋に酒持ち寄って集まって、旅行においてはよくある風景ですね、ちょっとした酒盛りがおこなわれました。酒飲みながらあれこれと話す、旅行中にあったことや日常のことも含めて、こうしたことは大人子供問わず楽しいものでしょう。とはいえ、私は酒は飲まないことにしているので、しらふでの参加。今回の旅行は参加者平均年齢が高いので、というか私が一番若いんですよね。下は三十代から上は八十までという幅広い年齢層、というか三十代って私だけじゃないの? そんななので、酒飲んで騒ぐというようなことにはなるはずもなく、終始落ち着いた雰囲気、しらふでもなんら問題なかったのです。

 しかし、落ち着いた雰囲気とはいえ盛り上がる分には盛り上がります。やっぱり酒の力なのか? 手持ちは、この夜のために買い出された缶ビール。買い出しに私も付き合ったビールですが、皆それぞれに飲んで、肴をつまみ、昨日今日と結構歩いた旅先、しかも数千メートル級の高地だというのに、ほんと元気だなあ、私が酒を飲まないのは日頃からであるのですが、ことこの旅行中に関しては、体調を崩さないことを最優先したからに他ならず、だって翌日宿酔などに見舞われたらどうするって話です。空港までの陸路がつらいでしょう。成都までの空路もつらいでしょう。正直耐えられるとは思えない。だからといって、置いていってくれなんてことも不可能。じゃあ、体調を悪化させる要因はすべて排除するに越したことないじゃありませんか。だから飲まない。実際、これで正解であろうと思います。飲まなくとも、充分に楽しめるのですから。

 盛り上がった話題は、やはり人のこと、この土地のこと、そして日本のこと。九寨溝でも日本語放送が見られるので、日本の事情、ニュースであるとかを得ることは可能なのです。この時期のニュースといえば、小学生の列に車が突っ込んだとか、そういうのがやっていて、いやな話です。私は旅先では日常を捨て去りたいたちなので、本当ならそういうニュースなんて見たくはなかったのですが、必要とする人がいるんだから仕方がない。そしてついていれば目に入るし、耳にもするでしょう。そうか、日本ではこんなことが起こっているのか。住んでいる国のことですから、興味、話題の対象になるのも当然でありましょう。

 この場で、私の提供した話題は、先ほど買い求めた土産でありました。特に大物、DVDやヤクの肉、それからマニ車ですね。こと、マニ車は目にすることも少ないものですから、興味を引いて、皆まわそうとして意外な難しさに驚いたりして、まあそんな感じ。昨日今日と巡った場所に、縁があればマニ車を目にしているはずで、気付いている人は気付いていたけど、気付いていない人も多かった。まあ、そんなもん。でも、この手回しマニ車がきっかけになって、寺院や川べりのマニ車を思い出したり、また別の場所で気付くような、そういうことになればよいなあと思いました。実際、マニ車は日本にも存在しますから。目立ってはないけれど、結構各地にあったりするんだそうですよ。

 などなど話をしているうちに夜は更けて、明日も早いのだから、そろそろ寝ようということになりました。時刻はまだそれほどに差し迫ったものではなく、日付の変わるまでにはまだもう少しの猶予があります。ですが、旅先で疲れもたまっている。無理はしたくないという気持ちは皆同じだったのでしょう。実際、私は早めに寝たいと思っていて、ところが皆が集まった部屋というのが私に割り当てられた客室であったわけですから、遅くなったらいやだなと心配していたのです。それが杞憂に終わってよかった。皆それぞれに身の回り片付けると、自室に戻り、そしてこの部屋も消灯。

 明日はいよいよ九寨溝をたちます。それではおやすみなさい。


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公開日:2006.09.30
最終更新日:2008.05.16
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