シリーズ 旅行けば中国

成都

成都での行程

火曜日
九寨溝→成都

九寨溝を立つ日

 いよいよ九寨溝最終日となりました。本日の行程は、午前、翡翠を売る店に移動してショッピング、どこぞの昼食をとったら、飛行機に乗って成都へと参ります。成都では簡単に観光。漢昭烈廟を見にいった後に、麻婆豆腐発祥の店という陳麻婆豆腐店にて夕食、そして希望者のみですが四川版京劇というのでしょうか、川劇を見にいきます。もちろん、私も観劇を希望していて、いったいどういうものであるのか、実に楽しみであります。

朝食

 一日の最初は朝食にはじまるとの考えから、よほどのことがないかぎり朝食はきっちりとることにしています。それは旅先においても同じ。決してたくさんは食べないのですが、必要な栄養をとって、体温をあげ、活動する態勢を整えようというのですね。

 さて、朝食というとバイキング形式といいますか、好きな料理を好きにとって食べるという、そういうスタイルが多いのですが、これが私には好都合です。昨日の朝食でもいっていましたが、旅先の食事のバランスが自分にあわない時には、朝食バイキングでとにかくバランスをとる。大抵野菜が少ないから、野菜中心の皿を作るということなのですが、ここ九寨溝のメニューは野菜が多かったものですから、朝食を野菜だらけにする必要はなく、そのへんはすごくありがたかった。というわけで、九寨溝最後の朝食は、それこそ好きなものを選って食べることにしたのです。

 好きなもの、それは麺ですね。といってもこの日の麺は小麦粉で作ったものという大ざっぱなものではなく、まさしく日本人がそう聞いて連想する麺であります。小鉢にいっぱいよそってきて、いやあ、やっぱり麺はいいですよ。といいたいところですが、結構ゆで上がってしまっていたのが残念なところです。あるいは、ある程度のこしを要求する日本の麺とは違い、中国の麺はぐだぐだに茹でてしまうものなのでしょうか。もしもこれが私好みの仕上がりだったら、二杯三杯と食べたであろうものですが、残念ながらこの一杯でストップです。でも朝から麺を食べまくるというのもなんだから、一杯も食べれば充分でしょう。

 おかずは、広い意味での麺を少々、あとは青野菜の炒めたのとか、もやしの炒めたの、落花生炒めたの、じゃがいもふかしたの、ゴマ団子、ってところですね。飲み物はもちろん温かいオレンジジュース。やっぱこれですね。微妙であるのは間違いないけど、二日目ともなればもう驚きません。これはこれでよいかあと、ちょっと強めの酸味とともに結構気に入ってるのでありました。

チェックアウト準備

 食事を終え部屋に戻ると、慌ただしいなか荷造りがはじまっていて、いよいよ出発の準備です。けれど私ときたらもう楽なもので、なにしろ荷物はバックパックひとつだけ。それに土産が加わったけれど、なんとうまいことかばんの中に収まってくれましてね、わーい、手ぶらですよ。そもそも荷物は、パスポートや旅のしおり、着替えが少々、あとはコンパクトカメラ、それくらいでしたから、本当に身軽なものです。これは、機動性を高くして、行き来を楽にしようという算段からできあがった装備なのですが、正解だったと思います。土産を入れてぱんぱんになった背嚢を背負って、邪魔になっちゃいけないからと、お先に集合のロビーへと向かいました。

 さて、時間まで待って、それでもなかなか人が揃わないというのが今回の旅の特徴で、割と時間に対し鷹揚な人が多いようでしてね、だからこの時もちょっと待ちました。私は自分も時間守れないことが多いから、こと時間厳守に関しては人を責めないんですが、結構いらついている人もありました。まあ、気持ちはわかります。こうしたちょっとした感覚の違いというのは、意識しても埋められないことが多く、それが旅という高ストレスの場においては顕著に現れることは当然でしょう。

 少々待って、全員集まれば、例の白いマイクロバスに乗って出発。向かうは、翡翠の専門店です。

Jiuzhaigou
ホテル、食堂を出たところに飾られていたヤクの頭骨

翡翠専門店

 翡翠の店に着きました。けれど、私はよっぽど興味がなかったんでしょうね。写真は店内のもの、たった二枚しか残っておらず、店の名前であるとか、まるで覚えていないのです。店の駐車場には、観光客を運んできたとおぼしいバスが止まっていて、おそらくは九寨溝を訪れる観光客の大半は、この店に寄らされることになっているのでしょう。いったい誰の利益になるのか、そのへんはよくわかりませんが、けれど宝石、アクセサリーに興味のある人にならこういうのもよいのでしょう。ただ、私のような人間、宝石に興味がなく、また金を持っていない人間にとっては、まったくのべつ世界、お呼びでないといった表現のしっくりくる場所であったのは確かです。

 建物は非常に立派でした。入り口はいってすぐには大きな原石? がどんと置かれていて、はい、まずはここでストップ。説明係のおじさんの登場。この店ではただ買い物をするだけではなく、翡翠という宝石についての理解促進を図るべく、係員によるレクチャーが受けられるのです。係員は結構な人数であるようで、各団体ごとにひとりずつついています。また、この係員、さすがといいますか、私ら日本からの旅行者相手にする人は、もうきっちり日本語で案内してくれます。商売のためといえば確かにそうなんですが、私は別の国の言葉でなにか説明できるほどしゃべれませんからね。すごいです、素直に感心します。

 さて、翡翠に関するレクチャーとはどのようなものであったかといいますと、翡翠という石の特徴、その珍重されるわけや、どのように用いられてきた、意味付けがなされてきたかといういわば歴史、そしてどれほどに偽物が多いかという話でありました。よい翡翠はどういう色をしているか、実際の翡翠をグレード違いで並べて説明して見せて、そしてそこに良質の翡翠を模した偽物を加えてみる。染め付けで色を出すのだそうです。もちろん偽物ですから、グレード云々を問題にできるようなものではありません。で、ここで偽物と本物を見分ける手段が説明されるのですね。

 こうしたレクチャーがなされるのは、お客様になにかひとつでも役立つものを持ち帰っていただきたい、そうした思いからではないですね。これはふたつの意味があるかな。翡翠という宝石についての知識を与えることで、翡翠に対する興味をかき立てること。これは単純に購買意欲を高めます。そしてもうひとつは、翡翠のグレード、真贋に関する知識を与えることで、うちで扱っている翡翠は本物であるのは当然として、品質においても申し分ないものなのだと、いわば折り紙をつけているんですね。ほら翡翠を欲しくなったでしょう、それも上質な翡翠が。でしたら、私どもの用意するものがお客様のお望みの品ですよと、そんなこといっているわけです。

 では、そのお望みの品とはどのようなものであったのでしょうか。レクチャーが終了して、案内されたのが広い売り場でした。

 ショーケースがぐるりを取り囲み、また部屋の真ん中にもいくつかブースがあって、そこで売られているものはもちろん翡翠です。腕輪があり、指輪があり、置物なんかもありましたかね。また、翡翠以外のもの、安めのキーホルダー、ペンダントトップなどもあったでしょうか。私も会場を一巡りして、お土産になりそうなものがあったらなんて思いましたが、結局はなにも買わず会場の隅、並べられた椅子に座り込んで、同行の書道の先生と話し込んでいました。もう、二人とも疲れてしまっていたんですよ。だから、硯についてだとか、そうした自分たちの興味だけで話をして、翡翠どころじゃありませんでしたね。

 同行の男性は後二名ほどいたのですが、その人たちがどうしていたかはよくわかりません。バスに戻って休んでいたんだったかな、少なくともこのショッピングに参加していなかったのは確かで、逆に女性陣はというと、やはり装飾品そしてショッピングとなると沸き立つものがあるのでしょうね。精力的に見て回って、買った人もあったのかな。体力あるなあ、気力あるなあと、素直に感心しましたよ。こうした場に置かれることで発する力もあるのでしょう。確かに、シチュエーションこそ違えど、私にもあるものなあ。けれど、こうした場での女性陣ほどにはがんばれない気がします。

 今回の翡翠ショッピング。私には座って休んでいるばかりで終わりました。けれど、翡翠の知識は得られたからよかったかな、とはいうものの、やっぱり聞いて、わかったつもりになっただけでは駄目ですね。今となっては、もうまったく思い出せません。翡翠は残念ながら、私の興味の範疇には存在していなかったと見えます。

バスで移動

 翡翠の店を出て、はたして何人くらいが買い物したのでしょう。移動中の車内では、あれを買ったどれを買ったという報告が少しばかり聞かれましたが、けれどほとんどがお土産用の安価なものであったようで、それこそ最高級の品というようなのを買った人はいたものか。もしかしたらあったのかも知れませんが、けれどそうした話は聞かれず、だから穏当なところに落ち着いたのでしょう。

 バスが向かうのは昼食を提供する食堂です。その途中、車窓の景色は少し寂しさ覚えさせる山の風景で、けれどそれでもだんだんとにぎやかにはなってきているのでしょう。点々と民家が見える、その頻度が少しあがったように思います。

 写真は、目的地、つまり食堂の駐車場から見えた風景です。どことなくチベット風? 旗などが立っている。そうしたところが異国の情緒を感じさせてくれます。

昼食

 昼食は、なんだかこれまでの場所、やたら綺麗で立派ででかくてというような建物とは少し違って、ちょっと小さめ、ちょっと庶民的? けれど、それでもずいぶんでかい食堂でとりました。飲み物はペットボトルでどんと出てくる、ペプシコーラとスプライト。でも、これって中国の食堂のスタンダードなような気がします。どこの昼食、夕食でも、ペプシコーラかスプライト、あるいはその両方がどんと置かれていました。中国人民は炭酸飲料が好きなのでしょうか。本当に判で押したようにこれだったのが妙に記憶に残っています。

 さて、続々と料理が運ばれてくるわけですが、最初にきた卵を薄く伸ばして焼いたようなもの、これ、結構好きでした。まんま卵焼きではないんですけど、お好み焼きのようでもないし、いったいどういう料理なのでしょう。そして続く料理は、主に野菜で、煮物、炒め物が多く、こうしたものが私の好みにあっているというのはすでに何度もいいましたとおり。結構薄味、香辛料もあまり効いていない。こうした味付けを物足りないと思う人も多いでしょうが、私には食べやすかったです。でも、そんなに多くは食べられませんでした。なにしろ出てくる量が多いです。私が屈強な若者で、同行の皆もそうであったら、瞬く間に皿は空になっていったのでしょうが、年齢高めの一行で、しかも体調不良訴える人もちらほら出てきているわけで、食欲の減退、飛ぶようには売れません。ちょっとずつ食べて、ごちそうさま。私もがんばるんだけど、一通り食べて、もうお腹いっぱい。残った料理はまとめて処分なんでしょうか? ちょっと罪悪感がありました。

食堂のまわりはこんなです

 食堂は、ずいぶん田舎と感じられる場所にあったと、つい先ほどもいっていました。食後、少々時間があったものだから何枚か撮った写真、そこにこのあたりの雰囲気が現れていると思ったものですから、紹介しましょう。

 一枚目の写真はガレージの風景です。結構大きなバスが何台も止まっていて、これらが全部観光客。次から次へと来ては去り来ては去り。九寨溝の人気をうかがわせるものであろうかと思います。しかし、こうした団体客が次々くるのですから、どこの食堂、施設も満杯で、ごった返して慌ただしいというのもうなずけます。

 さて、この写真の背景に注目したいと思います。中ほどにはこのあたりの伝統的な家屋なんでしょうね、独特の屋根を持った建物が見られます。

 ぐるりを塀で囲まれて、そしてその塀から家に向けて張り渡された紐にタルチョが何枚もはためいています。またポールが立っていて、そこには旗なのか布なのか、風に揺れています。

 そして目をさらに後ろ、山に向けてみますと、だんだんになった山肌、緑の合間に、いくつもの白い点が見えます。

 これ、羊なんですよ。たくさんの羊が斜面に群を成していて、草を食んでいます。ここいらの羊は、牧場暮らしではないんですね。もちろん野生とも違うのでしょうが、山に育つこれら羊が、衣食を支える重要な家畜となっているのでしょう。

 観光資源を活用しながらも、旧来の牧畜、裏の山に羊を飼うという生活を残している。そう思えば、これは今の九寨溝を感じさせる写真であるのかも知れません。

空港へ向かう

 食事を済ませ、さあいよいよ九寨溝を離れるべく、空港へと向かいます。その途中の車内では、窓の外眺めて、これからの九寨溝について、他人事ながら話して、ええ、今私たちが見ている風景は、いずれ発展の中に消えていくんだろうなあという話をしていたんですね。

 山あいの土地、決して豊かとは思われない土地とそこに暮らす人たち。人口があまり多くないからでしょう。家はぱらぱらとまばらに建っていて、どこか寂しげです。

 ですが、今やここは有数の観光地で、空港に近づけば山肌に広告の看板が見えるなど、だんだんに変化していっている途中であるというのが、なんとはなしに感じられて、そして実際変化していくのでしょう。空港ができる以前にきたことのあるという人の話を聞けば、確かに変化は大きいと思われて、そしてその変化は、この土地にとってよいのか悪いのか。

 私は完全な外部の人間、それこそただの通りすがりですから、究極のところなんの口出しもできる立場ではありません。ただそれでも、この自然が残る土地、自分たちの暮らす場所とはまったく違った土地が変化して、世界のどこにでもある縮小された都会みたいになればいやだなと思って、しかしそれは失ったもののノスタルジーです。ここに暮らす人たちが、暮らしやすさ、便利さを求めて、そしてそれが私のいうノスタルジーを消し去るものであるとしても、そもそも私には口出しする権利もなにもありません。それはわかってる、わかってるんだけど、けれどこの羊が群を成し、馬が自由に草を食む土地が変化するのはもったいないと、そんなことを思わないではいられませんでした。

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車窓から
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左手に、並ぶ看板が見える
Jiuzhaigou
放牧された馬の群れ

空港にて

 空港に到着。いよいよ九寨溝を離れます。とはいっても、まだ結構待ち時間があって、すぐに出発とはいきません。しばらくの待ち時間、そんなに広いわけではない空港ロビーを行き来して、土産物店とかですね、とはいっても本当に小さなカウンターしかないのでそんなに時間は潰せないのですが……。なので結局は待合の一画占拠して、時間が来るまでぐうたらとなにかつまんだり、とりとめもなく話したりして過ごすのでした。

 ちらりと冷やかした土産物のカウンター。本当に、小さなショーケースがふたつほどあるだけの、小さな小さなカウンター、売り子さんは二人だったかな、であったのですが、ガラスケースをのぞきますと、これまで見てきたような土産物、キーホルダーやショール、DVD、写真集があって、もしこれまで、充分に土産物散策していなかったら、ここでひとつふたつ買うものもあったかも知れないといった感じです。

 さて、このショーケースの中に気になるものを見付けました。それはなにかというと、マニ車。そう、この前の日に買ったやつ。大きさはおんなじくらい、というかどうやら同じもののようで、けれどこちらの方がぴかぴかで、さらにいえば値段もちょっと安かった? いや、私はここで目を凝らして確かめようとはしなかったので、高いか安いかはわかりません。けど、実際の話ぼられた? ええいああ、仮にぼられたのだとしても、それもまた旅の醍醐味じゃないか。というわけで、マニ車は結構あちこちで売っています。とはいえ、旅先で最安値を確認して買うって、まず不可能ですけどね。なんたって一期一会ですから。

 さて、ここで写真を一枚。

 この空港には電光掲示板なんてなくてですね、このように黒板で案内がなされていました。実にアナログですが、まあ別に過不足なく情報が伝達されるなら、手段はなんだっていいのです。そしてこうした緩さは空港のあちこちに感じられて、一言でいえばローカル駅の雰囲気がありました。人の距離が近い、そんな風に感じられて、それは田舎だからでしょうか。けれど、緩やかな時間、こせこせとしないおおらかさは悪くありませんでした。

 さて、このおおらかな土地をいよいよ離れます。搭乗のゲートが空き、機上の人となろうというのですね。となると、手荷物検査やらいろいろがございます。実は私、これが心配でした。というのは、私のかばんにはマニ車が入っています。マニ車。ちょっとおさらいしましょうか?

 マニ車は金属製の車、実際には短い筒があって、それに木製の柄がついています。こういうかたち、なんかどこかで見たことはないでしょうか。柄の先に円筒がついているの。シルエットにするとわかりますかね? いかにも投げやすそうなかたちじゃないですか? で、投げられたその先で爆発する――。そうなんですよ、まんま手投げ弾なんですよ。そりゃものを見ればマニ車ってわかりますよ。でもX線検査だとかたちしか見えませんよね。で、最近の飛行機は爆発物の持ち込みとかできないから(って、前からできないか)。

 もし検査で引っかかったらいやだなって思っていたんです。さすがに没収とかはないでしょうけど、呼び止められて、荷物開けられて、こりゃなんだ、こっちはなんだとやられるの、しかも慣れない地の慣れない言葉でもってやられるの、いやじゃないですか。うわあ、大丈夫かなあ、見とがめられませんように。そうしたら、祈りが通じたんでしょうかね、見事通過したのでした。やったあ。係の人ありがとう!

 マニ車を問題なく通してくださった係官。さすが田舎というべきなのでしょうか? さすがおおらかな土地というべきなのでしょうか? いや、それが違ったんですね。というのは、同行者のひとりがばっちり引っかかってしまったんですよ。その荷物、背負っていたリュックサックなのですが、それが問題になりました。係官は荷物を容赦なく開けて、次々取り出されたもの、それは水のはいったペットボトル、そして缶ビールの数々でした。さすがに中国でも空港のチェックは厳しいのです。こうした水の入った容器は、爆発物の可能性があるからでしょうね、持ち込みは許されません。なのでペットボトルも缶ビールもその場で没収されて、散々駄目といわれてきたのに持ち込むこっちが誤りなのですが、誤りは誤りとして正される、そうしたシビアさを感じさせてくれる出来事でした。

 九寨溝から成都へと向かう飛行機はそれほど大きいものではありません。滑走路の片隅にとめられた飛行機、乗客は次々タラップをのぼって、そして私も飛行機に乗り込めば、さあ直きに出発です。いざ、いざさらば、九寨溝。慌ただしくも楽しい、実りある二日間を過ごした土地から離れる瞬間がきたのでした。

成都に帰ってきた

 九寨溝から成都へと帰って参りました。九寨溝も天気が悪く雨模様でありましたが、それは成都に帰ってきても変わらず、分厚い雲に覆われた空は薄暗く、降りこそはしていませんでしたが、いつ降られてもおかしくないというような空模様でした。

 さて、成都に帰ってきて、すぐさま北京にいくというわけではありません。まずはここで一泊。ついでに成都観光も予定されていて、けれどまずは荷物を受けとらんといけませんね。空港の、ロビーといいますか、ベルトコンベアにのせられて荷物が出てくる場所、ぞろぞろと移動して待つんですが、しかしこれが長い。いつまで待っても荷物が出てくる気配がないというのには閉口しました。いったいなにかのトラブルなのか、いい加減待ちくたびれていたところ、遠くで空港係員がなにかアナウンスしていて、当然中国語ですからよくわからないのですが、とにかくいけばいいらしい、そう察知した観光客がぞろぞろと大移動して、待っていたコンベアとは違うコンベアにて運ばれてくる荷物、ようやく空港を離れる準備ができたのでした。

 空港を離れるその前に、空港内の風景を少々。

Chengdu
まずは公衆電話をば。中国の公衆電話は縦型で黄色。九寨溝で見かけたものとはまた違っていて、屋外用と屋内用の違い?
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こういうのはじめてみたのですが、旅行者用の更衣ブースです。日本の空港でもこういう施設はあるのでしょうか。あまりに意外に思ったもので写真を撮ってみて、他の人にもこういうの見たことあるかと聞いてみてもないとのこと。見落としてるだけ? それとも中国に限る? はたして空港で着替えることがあるのか、少し疑問です。
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そして、空港を出たところでくるくるとまわっていたパンダの時計台。三時四十分をまわって、そろそろ夕方ですね。

 パンダの時計を左に見ながら、駐車場へと急ぎます。急ぐのは、もたもたしてると空港出たところの道でひかれそうだから。駐車場につくとそこには車が待っていて、いよいよ成都観光。これから少し慌ただしく、成都の街を回ります。

成都、移動中

 成都の街をマイクロバスで移動、目指すは漢昭烈廟であるのですが、到着するまでに見付けたものをいくつか紹介したく思います。

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成都は学生の街でもある模様、四川大学の門が見えたのですかさず写真を撮りました。
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次いで、街中を疾走するスクーターです。これら、成都の初日にもいっていましたが、電動であるそうです。実際、静かに近寄ってくるから、気をつけていないとちょっと怖い。こうしたスクーターが、猛スピードで走る車をすり抜けるようにして走っているから、それもちょっと怖い。実際事故は多いそうです。
Chengdu
船のかたちをした建物がありました。錨までついて、まさしく船。どっからどう見ても船。レストランかなんかみたいです。
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初日の夜に繰り出した歓楽街、錦里の門にやってきました。昼でも訪れる人はたくさんいるようで、繁華なスポットなんですね。

漢昭烈廟

Chengdu 漢昭烈廟にやってきました。さて、漢昭烈廟とはなにかといいますと、ここ四川の別名を聞けばピンとくる方もいらっしゃるかも知れません。その別名とは蜀であります。かつて、三国時代には蜀漢と呼ばれたこともあり、それはすなわち劉備玄徳の縁の地であるということであります。そうなのですよ。ここ四川とは、かつて劉備によって平定された蜀であり、そして劉備は成都にて帝位に就いたといいます。といったわけで、劉備の墓所は成都にあるんです。どこかといいますと、漢昭烈廟です。そしてここには、蜀の軍師である諸葛亮孔明の墓所、武侯祠もあり、多くの人が訪れる、一大名所として知られているのだそうです。

 ちなみに以上の知識、ここにきてはじめて知りました。ええ、四川って蜀だったんだ! しかもお墓があったんだ! 驚きでしたね。思い掛けないことで、ちょっと興奮してしまいましたよ。

 思い掛けない三國志スポットに触れたものだから、ガイド氏に日本でも三國志は人気です。ゲームにも漫画にもなってますといったら、知ってます、こちらでも人気です、と悠然とした答が得られて、ああそうなのかあ。ほら、夜の錦里にて妙にコーエーチックな諸葛亮孔明に出くわしたりしていましたけれど、やっぱり単純に人気があるってことみたいです。しかし、中国の歴史物のゲームが日本でつくられて、いわば逆輸入のかたちで遊ばれているというのが面白いところだと思います。でも、その中国観、ゲームの中でのデフォルメなんかは平気なんでしょうか。ほら、私たち日本がハリウッドの日本に衝撃受けたりするような、そういう違和感などはないのでしょうか。そのへん、ちょっと気になりますが、けれど真・三國無双BB中国の新聞で取り上げられるくらいには受け入れられている模様です。それで人気があるというのだったら、なによりだと思います。

劉備殿にて蜀の文臣、武臣に出会う

 漢昭烈廟は劉備を祀る場所であるわけですが、ですがただ劉備一人を祀って終わりという場所ではありません。それは、諸葛亮を祀る武侯祠があるというだけではなく、劉備に付き従い蜀の平定に貢献した多数の文臣、武臣たちも同様に讃えられているいうことをいっているのです。劉備殿にいきますと一目瞭然です。劉備の像が祀られるそのまわりには、臣下の像が居並んでいます。そこには、私も耳にしたことのあるようなビッグネームはもちろんのこと、ちょっと覚えのないような人もあって、ですが、きっと三國志に明るい人なら、これが、あれが、と思うに違いない。詳しい人ほど楽しい、そういう場所であると思います。

 ここでは撮影が禁止されていなかったので、何枚か写真を撮ってきました。最初は全員とろうかと思ったのですが、あまりに像が多すぎて、断念しました。なので、途中から有名どころに絞って撮って、しかしそれでもずいぶんたくさんの像を撮影したと思います。以下にその一部を紹介しましょう。

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劉備玄徳:いわずと知れた蜀のトップ。三国志演義においては、主役であります。
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関羽雲長:劉備、張飛と義兄弟の契りを結んだ豪傑。髭の美しい人だったらしい。後に商売の神様に。
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張飛益德:劉備、関羽と義兄弟の契りを結んだ、やっぱりこの人も豪傑。私はこの像がちょっと怖い。

 劉備殿に祀られる文臣、武臣については、西南の風というサイト(音が出ます)の成都武侯祠1が大変に詳しいです。

出師表を見る

 漢昭烈廟の見どころに、出師表というものがありまして、これはなにかといいますと、劉備の死後、諸葛亮が新しい皇帝劉禅に奉った文書であるのだそうですが、それが石に刻まれていて、ここを訪れたものなら、誰でも読むことが可能です。書いた人は岳飛、能筆と知られる人だそうでして、ために出師表は書道の手本としても用いられるとのことです。これは、同行の書道の先生からうかがった話であるのですが、先生のおっしゃるには、書き始めの頃は端正であった筆跡が、進むにつれて悲しみに感極まり、大いに揺れ動いている、これ実に名筆、なのだそうです。

 一通り見物が終われば、お定まりの土産物店にいくこととなりますが、そこで書道の先生は出師表の拓本を買うのだとおっしゃってました。もうお持ちであるのだそうですが、買い足しておくとのこと。古いものは使って傷んだか、あるいは予備を求めてか、しかし習字をしていて余裕があるなら、買っておくのもよさそうです。私は買いませんでしたけど。

 以下に、撮影してきた前出師表の部分を掲載しておきます。書き出しから、中間にさしかかる頃、そして末尾です。確かに文字の変化は見て取れて、このダイナミズム、まさしく書字ならではであるなあと思いました。書字の力を思い知らされます。

武侯祠

Chengdu 劉備殿を見て、そして武侯祠へとまいります。武侯祠は、最初にもいっていましたとおり、諸葛亮孔明を祀るほこらで、武侯祠の額がかけられた門をくぐって少し進めば、諸葛亮の像が祀られた建物が現れて、これが孔明殿です。

 ここに祀られる諸葛亮孔明の像は、実に孔明らしいというのも変ではありますが、実際私たちが諸葛亮孔明といわれて思うような要素がしっかりと現れていて、納得のお姿でした。髭、縞のずきん、そして羽の扇。これは当時の軍師のオーソドックスな格好であったのかも知れませんが、いまこの格好を見ればすぐさま孔明を思い出すといったような、重要な要素になっているかと思われます。そして、まさにそうした孔明像がどっしりと座しているのですから、これはなかなかに満足度の高い場所であると思います。

漢昭烈廟写真帳

 漢昭烈廟で撮った写真、ちょっと面白いものから雰囲気あるものまで、ちょこっとご紹介します。

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小心地滑、スリップ注意。私はこの絵がとてつもなく好き。
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こちらはゴミ箱。一見ゴミ箱に見えないところがいい感じ。
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劉備の墓所に向かう前に説明を受ける。
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墓所までの小道1
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墓所までの小道2

漢昭烈之陵

Chengdu 朱に塗られた塀に沿った小道を抜けると、劉備の墓所、漢昭烈之陵に行き着きます。漢昭烈、すなわち劉備のことであるのですが、蜀の皇帝の墓所があるのです。いわば、この場所における最終目的地。いや、人によっては諸葛亮を祀る武侯祠がメインであるのかも知れませんが、実際、漢昭烈廟よりも武侯祠の方が名が通っているらしいというのですが、しかしそれでも劉備の墓所は観光の目玉になっている模様です。

 さて、劉備の墓、漢昭烈之陵のまわりには塀がぐるりと巡らされているのですが、その塀には漢昭烈皇帝之陵という石碑が埋め込まれたように立てられて、ここが特別な場所だと主張しています。石碑の両側に空いた入り口を抜ければそこには劉備の墓所があって、円墳とでもいいますか、どう写真を撮ったものかわからなかったので、塀の裏側に掲げられた額を撮ってきたのですが、こじんまりとして地味で、これが劉備の墓だと知らされていなければ気付かなかったかも知れない、そんな質素な雰囲気が意外でした。

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表には石碑
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裏には額
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額はそんなに大きくない

漢昭烈廟を去る

 劉備の墓所、漢昭烈之陵を参って、これで一通りは見たというのでしょう、漢昭烈廟を出ることとなりました。土産物店は、当初はいく予定であったと思うのですが、時間の都合でしょうね、パスされて、けれど習字の先生は出師表の拓本をちゃっかり購入されていて、さすが。これを買うと決めて、脇目も振らずに土産物売り場に直行されたのでしょう。必要なものはなんとしても押さえる、こうした意思の強さは素晴らしいものがあります。

 さて、漢昭烈廟から一歩出ると、そこはもう成都市内。成都という都会のなかに、三國志にまつわる史跡がおさまっているのですね。そうしたところに、この土地の古さ、積み重ねられた時間やその時々の人の営為が感じられるようでした。歴史と現在が同居している、そんな思いがしたものです。

観光客向け? 土産物店

 漢昭烈廟を出て、次に向かった場所、それは土産物店でした。大きなフロアに様々な物産が展示されていて、置物などから衣類、そして食品、お茶などですね。しかし、ここは結構いい店なのでしょう、全体に高目でありまして、置物は動物があり、人物があり、けれど本当に高くて、ちょっと買おうとは思えません。もちろん小さなものだとか、そんなに高くないものもあったのですが、まあ無理してまで買うもんでもないしな。それに、いい加減疲れが出ていたから、ちょっと休みたかった。そうしたら、お茶を売っているコーナーで、試飲ができるとのこと。それはなんだかよさそうだ、いってみることにしたのでした。

 お茶を扱うコーナーは、奥まったところ、一段フロアが高くなったところでした。茶器が置かれており、茶葉が置かれており、そしてその中央にカウンターがありました。カウンターには、同行の人たちがもう着いていて、私は一番左、空いた席に座りました。カウンターの中央には、お湯を流せるように竹? 木? で作られたすだれ状の枠囲いがあって、そこには茶器が、小さな碗が、そして急須が置かれてありました。

 お茶をいれてくれたのは、男性の店員でした。私の最初の一杯は、すでにガラスの茶海(ピッチャー)に移されていた烏龍茶で、ああこれは美味しいと思えるものでありました。聞けば鉄観音。凍頂烏龍茶とかですかと聞けば、そうではない、鉄観音。ただグレードはいいものであるそうです。

 その後、何服かお茶をいただいて、そして最後にまた最初の烏龍茶をいただいて、これは家の土産によいかも知れないと思って、買って帰ることにしました。お茶の道具は、香港で買ってあるから大丈夫。そのお茶が、これです。

 けれど、残念なことに、まだ飲んでいないんですね。今、探してもらって、保存期間を確認したら18ヶ月でした。余裕で過ぎてますね。というか、なんで家はこういうのストックするだけして飲まないんだろう。いいお茶をむざむざ駄目にしてしまいました。この店で一番いいお茶を買ったのですが、それをまずくしてから飲むのが我が家の習いです。まったくもって甲斐がない。我が家に関しては、この手の土産は買ってはならない。心に誓うエピソードです。

 さて、時間を2006年に戻しましょう。私がお茶を飲みながら休憩していた間、同行の、それこそ女性陣はやはり買い物でフロアをまわっていたらしく、あのバイタリティは本当にものすごいなと驚嘆します。私はというと、もう完全に座り込んでいましたから、それにはじめから買い物するつもりなんてなかったし!

 時間がきて、その帰り際、衣類のコーナーにパンダのぬいぐるみを発見しました。これは売り物ではなく、店内のディスプレイですね。日本でよく見る、目のまわりが丸く隈取られたパンダとは違い、ちょっと鋭角的な隈取りが印象的で、写真を撮ってたら、後ろで見ていた店員のお姉さんが笑ってた。パンダ好きと思われたかな? けれど、四川省はパンダの本場ですから、パンダ好きはきっと多いはず。そもそもここ成都からが、パンダを前面に押し出している。おそらく、四川にはパンダ好きも多いのだろうと思います。

夕食を食べに

 土産物店を出る頃には、あたりはほの暗さをまして、いよいよ夜になろうとする、そんな時間になっていました。私たち一行は、今夜の夕食をとるために、予約しているレストランに向かいます。まずはバスで向かい、ここまでは例のごとく例のとおりです。成都の街は街灯が少ないといったらいいのでしょうか、全体に薄暗く、そんな中を車が、バイクが飛ばします。私は窓の外を眺めながら、街の活気を遠くに見やる、そんな気持ちでいて、それは私が疲れてしまっていたからかも知れません。

 しばらく走って、車は駐車場に。そこからは徒歩、目指すは麻婆豆腐の発祥の地、なんですか? 陈麻婆豆腐店です。しかし、この時、駐車場から麻婆豆腐の店に向かうまでの歩道が工事中で、石畳がはがされていたものだから、足もとがぬかるんでちょっと大変でした。そして、この店は観光客がわざわざやってくることで知られている、ちょっとした名所でありますから、観光客を当て込んだ物売りが道中待ちかまえていまして、かばんだとかパンダのぬいぐるみだとかを持って、買っておくれと近づいてくるのですね。ガイド氏からは無視するようにと指示されているのですが、面白がって話す人がいたものだから、ちょっと振り切るのが大変でした。

 さて、いよいよ陈麻婆豆腐店と思った時、ちょうど店の前あたり、この道路を渡ったらという交差点、大通り側横断歩道付近にちょっとした人だかりができていたのでした。なんなんだろう。ちょっと興味を持って見にいったら、ああー、交通事故だ。どうやらバイクが車と接触したようで、人が倒れていたそうです。そうです、というのは直接に見なかったからで、しかし人だかりといっても日本だったらもっとたくさんの人が集まったでしょう。成都の人は、ちょっと見て、ああ事故かと通り過ぎる、そんな人が大半であるらしく、それはつまりは事故が特に珍しいものでないということの証拠でしょう。

 あの事故にあった人、男性か女性かも知りませんが、無事でいらっしゃったらいいなあと、今でもそう思っています。

陈麻婆豆腐店で夕食を

Chengdu 陈麻婆豆腐店に到着して、通されたのは二階、テーブルがずらりと並んだ広間でした。階段を上がったところには、麻婆豆腐のもとやなにかが展示されていて、よかったらお土産にということなのでしょう。食べてみて美味しかったら買って帰ってもいいかもなあ、そう思いながら、はたして手持ちの元はいくらだったっけ、心もとない財布の中身に決心はつかずじまい。まあ決断は食べてからでいいや。かくして私たちは、階段からさほど遠くない円卓へと案内されたのでありました。

 注文に関しては、コースで決まっているのか、あるいはガイド氏がすべてうまくはからってくださっているのか、ここに限らずこれまでもそうだったのですが、まったく意識することもなく、料理が運ばれてくるのを待つだけです。まずはお茶、そしてビール、飲まない人にはコーラ、このあたりはもう決まったパターンといえそうです。そして私はというと、酒を飲まないものですから、お茶飲んで、コーラで乾杯して、そして料理を待ったのでありました。

 四川の料理は辛いのが特徴といいますが、出てくる料理すべてが辛いというわけではありませんでした。例えば最初に運ばれてきた数皿。

 これらすべてが辛いということはなくて、普通に食べられるもののほうが多いという印象です。また、赤いから辛いというのも違っていて、赤くてもそれほど辛くない、また逆に赤くないのに辛いというものもある、そんな感じ。でも、塩辛いではなく、唐辛子や山椒などの香辛料の辛さですから、食べてつらいということはなかったです。塩辛いのは、過ぎるとどうにも駄目でしょう。それがないからよかったです。

 そして、料理は進み、

 ついに、四川といえばこれ、名物料理がやってきました。

 麻婆豆腐です。手前の鉢、スープが右手なら左手に赤黒く染まった料理がありますが、それがまさしく麻婆豆腐。色がすごい、匂いもがつんときて、そして食べてみればわかるその辛さ。一口食べれば口がしびれる、それくらいに辛いのですね。強烈な辛さが、逆に味覚を麻痺させて、二口目以降を食べやすくしてくれるのですが、他の料理の味は確実によくわからなくなって、けどこの辛い麻婆豆腐が美味しいのだから不思議です。辛さは唐辛子もあるけれど、花山椒の方がより以上に効いていて、花椒というそうですね。四川料理における辛さとは、花椒のぴりぴりとした辛さであるのだといいます。以前、自分で麻婆豆腐を作った時、粉山椒を大量に入れて、それはそれは辛く仕上げたのだけど、その非じゃありません。本当に強烈に辛く、でもちょっと病みつきになる。そんな味でありました。

 さて、この店でちょっと面白いことがありました。私たちの付いたテーブルに給仕にきてくれていた青年が、日本語を少し話すというのですね。聞いてみれば、成都大学の学生さんというではないですか。日本語を学んでいらっしゃるのだったかな。勉強しながら、バイトなんでしょうね、働いて、そしてそこで観光客とコミュニケーションをとって、実地の学習もする。これは素晴らしいな。それに、ちょっとはにかみながら話す、その純朴さというかも大変よかったです。

 さて、そうした彼を見たものだから、昔習った中国語をちょいと使いたくなってしまって、いやはや、よりによって、你爱日本吗? なんてやってしまって、そうしたらすごく複雑な顔をして黙ってしまわれた。そこで先生からの助け船です。この場合、爱はふさわしくない。なぜなら、これだと日本を愛していますかとなる、愛国という言葉がありますが、そういうニュアンスで日本を愛していますかと聞いていることになっている、そうじゃなくて、こういう場合は你喜欢日本? と聞くのがよいでしょう。そう聞き直したら、にこにこしてうなずいてくれました。ああ、言葉って難しい。本当に理解して使わないと、トラブルの種になるなと実感する出来事でした。

 ここで同行の一人が、入り口に置かれていた麻婆豆腐のもとについて問い合わせて、購入されました。このとびきり辛い、それでも美味しい麻婆豆腐。お土産にしたらきっと家族の度肝を抜けるはずだ。そう思ったのですが、なぜかこの時は、私も買いますの一言が出ませんでした。買ってもよかったとは思っているんですが、なんでだろう、眺めるばかりで、自分もとは言い出せませんでした。なんででしょうね。これは自分でもわかりません。

 会食はこの時点でもう終わりにさしかかろうとしていて、テーブルには料理が半分以上残されて、それはそれはもったいないのですが、私たち一行は、なにしろ私が最年少、次は十も二十も上じゃないのかな、そんな平均年齢高目のグループだから、そもそもあまり食べないのですね。そこへどしどし料理が出てくる、食べきれないのは当たり前、でもこれはもったいないなあ。こんなこと、どこにいっても思っていましたね。辛い麻婆豆腐は、食べるには食べてもそんなにたくさんは無理、他の料理にしても、食べるには食べても、残りを全部というのはやっぱり無理で、日本に持って帰れたらと思うけど、そんなのはどだい無理な話です。だから、こうして料理は残されていくのでした。

ここで一行は二手に分かれ

 夕食を終え、ここで一行は二手に分かれることとなります。ホテルに戻って就寝する組と、そして四川の演劇、川劇を見にいく組。私は、もちろん川劇を見にいきます。話に聞く川劇。有名なのは、早変わりでしょう。仮面を付けた役者が、ぱっと手を顔にやると、次の瞬間違う面に変わっている。そのあまりの速さ、鮮やかさには魅了されるものがあります。この演目に関しては、日本のテレビでも取り上げられることがあるから、結構知っているという人も多いでしょう。

 川劇見にいく組というのは、私を含め五人でした。なんと、私、男一人です。これは男が観劇を好まないということであるのか、あるいは皆疲れ果ててしまっているからか。だとすると、女性のバイタリティの勝利なのかも知れません。男性陣は結構御酒召されていたからなあ。食事時に飲み、食後に飲み、結構まわっていたみたいだから、そりゃ厳しかろう。お酒をあまりたしなまれない方もいらっしゃったけれど、食べ物があわないとおっしゃって、あまり食べられずにいらっしゃった人も。こうなると旅はつらいだろうなと思います。私はもともとが丈夫でないから、アルコールの類いはまったく摂取していません。一度グロッキーにはなりましたが、その後は夜ちゃんと寝て、食事もちゃんととって、むしろ普段よりもよほどしっかりした生活。旅に出ると、生活のリズム回復するんですよね……。だから、健康とはいわないけれど、疲れがたまってどうしようもないというようなことはなく、よって観劇も可能。無理積み重ねないということが大切です。

 さて、川劇組はマイクロバスに乗って、しかしこのバスにはガイドの牟さんは同乗していないのでした。なぜか? 理由は簡単です。彼はホテルで就寝組に付き添っていったからなんですね。じゃあ、私たちはいきなり現地でほっぽり出されるのかといわれたら、もちろんそんなわけはありません。私たちには、また別のガイドさんがついたのでした。若い女性で、日本語ではきはきしゃべる、それはそれは頼もしいお姉さんでした。

川劇を観劇する

 川劇の劇場に到着しました。入場券などはもうすべて購入済み、もぎりまですませてあって、案内されるままに客席へと向かいます。この時、お土産なんでしょうね、お守りと川劇で使われる面や化粧をデザインしたしおりがもらえて、ちょっと嬉しかった。しおりは全部で六枚あって、それぞれ表に面とその解説、裏には演目とその解説が書かれています。解説は中国語と英語、中国語は読めないけど、英語はそんなに難しくないから、後から川劇を思い出すのにもきっとよさそう。いいお土産になったと思います。

 座った席は、舞台にそこそこ近い、結構いい場所でした。ちょっと上手寄り、けれどはじっこまではいかない。中央寄り右側、悪くないポジションです。

 舞台を見ればこんな感じ。ほら、割といい席でしょう。写真はGR Digital、広角レンズついたカメラで撮ってますから、実際には、もっと近くに見えたんですよ。

 目を舞台から手もとにやれば、目の前にあるのは茶わん、そしてカゴに盛られた落花生でした。これは、もちろん観劇しながら飲んで、つまんでくださいということです。

 しかし、茶わんに入っているのはお茶っぱのみです。これじゃ飲めないですよね……。と、ここで、川劇におけるもうひとつの名物が登場です。それはなにかといいますと、まあこいつを見てください。

 この長い急須でもって、お湯を注いでくれるのですよ。急須を持った兄さんは、それこそ会場のあちこちにいて、呼び止めてお願いすると、通路からその長い注ぎ口をついっと伸ばして、茶わんにお湯を入れてくれる。おかわり自由。いつでも、熱いお茶を飲めるというわけなのですね。

 さてこの劇場は、客席のぐるりを取り巻くようにして楽器やら衣装やらを展示する小部屋があるものですから、ちょっとした博物館気分。開演までの待ち時間、ぶらぶらと見物するのでした。弦楽器なら琵琶や月琴、箏があり、そして二胡も並べられていて、よく見れば値札がついてるな、これ売ってるのか! けど、こうしたところで買う楽器はちょっと怖いものがあります。演奏に耐える、ちゃんとした楽器であるのか。それとも見た目だけのものなのか。弾いて善し悪しがわかるならともかく、こうした中国楽器に慣れていない私に判定できるわけもないのですから、見送りですね。必要なら、日本でも買えますし。高いんですけどね。友人の二胡奏者がいうには、決してよくない楽器なのに、法外な高値がつけられてることも珍しくないんですってよ。

 といったところで、楽器の写真を見てみましょう。

 まずは琵琶。中国の琵琶は日本の琵琶と違い、フレットが低く、響板上までずらりと並んでいます。日本の琵琶はばちを使って弾きますが、中国のものはつま弾くのだそうです。聞いた話によると、爪を強くするために塩水に浸けるとかなんとか、そういった方法があるそうなのですが、それって本当に効くのか? 私もギターを弾くものですから、爪を強くする方法には興味はあれど、この塩水に浸けるというのは試したことも、また試そうとしたこともないです。

 そして金物。打楽器の類いですが、中国の音楽でよく使われる独特の効果、あのチャンチャンチャンチャンと打ち鳴らされるのが、このシンバル? なんていうんでしょうね、なのだと思います。しかしこの写真の左側にある楽器、弦が張ってあって、タイプライター風のキーが付いているの、これ大正琴だと思うのですが、どうなんでしょう。大正琴というのは日本の楽器なんです。大正時代に、タイプライターを見て考案されたと聞いているのですが、作った人の名前もちゃんと残っていて、名古屋の森田伍郎なんだそうですが、その演奏の簡便性は一般にも浸透し、そしてついに中国にも渡ったというのでしょうか。

 また、この写真の中ほどに、パンパイプみたいなものと、そしてチャルメラが写ってます。パンパイプみたいなのはいろんなところにあると思うのですが、中国楽器として存在するのかどうかは知りません。でもチャルメラはポピュラーでしょう。あの独特の音は変に哀愁をかき立てて好きです。まあ一般には、哀愁より先にけたたましさの方が先に立つ楽器であると思いますけど。

 最後にまた弦楽器に戻りまして、ここでのメインは二胡でしょうかね。数年前にやおら中国楽器ブームがきたと思ったら、二胡を弾く人が一気に増えまして、街を歩いていると明らかに二胡が入ってると思しいケース持っている人を見かけるようになりました。その二胡でありますが、この写真でいうと中央の、ええとこれ三線? 沖縄の? その向かって左側にある奴がそれですね。弦が二本あって、それに挟まるかたちで弓がセットされていて、小さな響胴には蛇の皮が張られています。この蛇の皮がくせ者なのだそうです。なんでもワシントン条約に引っかかるそうで、うかつに持ち帰ろうとすると税関で没収されるなんてことにもなりかねない。ギターもハカランダ(ブラジリアンローズウッド)がワシントン条約に抵触するとかで、持ち出し持ち込みがやたら厳しかったりするそうですが、二胡においても状況は変わらないのだそうです。だから友人の二胡奏者は、書類書くとかなんとかいってましたっけね。でも普通のツーリストである私にはそういう知識もなければ余裕もないわけで、だからこれら蛇皮を使った楽器には手を出さないほうが無難です。

 しかし、この写真に写っている楽器ですが、なんか胡散臭いなあと思うのは私くらいでしょうか。もちろん中国は広いし、歴史も有るし、そういう楽器があってもいいと思うんですが、左側奥に見える楽器、これは月琴だと思うのですが、自分の記憶ではこんなバンジョーみたいな竿の長いものは知らないぞ、あるいはこれは月琴ではない? ちょっと調べてみると、月琴は4弦2コース、つまりは複弦の楽器らしいのですが、この写真のものはどうも3弦ですね。うう、これはなんて楽器なのでしょう。他にも、見た目には二胡なんだけど、微妙に造りが粗いというか、そもそもこれ大丈夫なんか? みたいなものもあって、すごく胡散臭い。こうした胡散臭さも含めて味なのでしょうが、さすがにここから楽器を買おうという気持ちにはなれず、いやこれが売り物かどうかは確認してないからわからないのですけど、いや値札あるから売り物だと思うのですけど、まあこれらは見て楽しむものという認識でいいのだと思います。

 しかしちょっと月琴が欲しいかも知れません。昔は琵琶をやりたかったんですけどね、それも中国の琵琶。でも買うとなると高いんだろうなあ。うむ、ここはあきらめたいと思います。楽器ばっかり増やしても、仕方ありませんから。

 さて、最後に弦楽器だなんていってましたが、その本当に最後、琴の写真を載せておきます。

 一枚目のものは古箏っぽいですね、といおうと思って調べたら、どうも二枚目の立派な足つきのものを古箏というみたいです。21弦あるのだそうで、数えてみれば確かに21弦です。中国史における戦国時代から受け継がれている云々という、立派な歴史、由緒のある楽器らしいです。さて、じゃあ、一枚目のシンプルなものはなにかというと、古琴だそうです。値札に書いてあった。こちらは7弦、古箏よりさらに歴史が古いそうですが、まあそれはかたち、構造のシンプルさからもうかがえます。構造がシンプルだから古いと思っていたら、まったく逆ということがあるのも楽器の世界です。でも、伝説によれば琴は伏羲という神様によって作られたとかいう話もあるそうですから、とにかく古いことには間違いがなさそうです。

 楽器の置かれていたブースには、部屋のぐるりを囲むガラスケース内に、劇で使われる衣装も飾られておりまして、これがまた華やかでした。

 武将の衣装、文官の衣装、女性の衣装、いろいろあって、それぞれが鮮やかに彩られているのですね。詳しい人なら、衣装を見て誰の何の衣装だとわかるのかも知れませんが、残念ながら私にはそれは無理。私の知っている知識といえば、京劇における武将の装束、背に立てられた旗が軍勢の数を表すのだということくらい。旗が立っていれば立っているほど、大軍を率いているのだという、そういう象徴的な表現をしているのだそうです。川劇の衣装でも同じなのかと思われます。武将の背には旗が立てられている、それはここに飾られた衣装からも見て取れることであります。

 そして、小道具。これもまた金色銀色で、絢爛豪華であります。長柄の武器、斧や薙刀、ええと薙刀というより青龍偃月刀というべきなのかな? あとは錫杖? うちわ? などがあり、そして頭を飾るのだろう、大きく豪華な装身具を中央に、その両脇には刀が並んで、結構な見物でした。

 これらは舞台にて用いられるものだから、ことさら人目を引くように作られて、だからこうしてすぐそばにして見ても、見事と思うのでありましょう。あるいは、間近にすることがないものであるからこそ、より一層興味をそそられるのかも知れません。

成都、川劇劇場で猫に出会う

 楽器、衣装などを見て回って時間を潰したのもつかの間、いよいよ開演しようという時間が迫ってきて、こうなればその前にトイレにいっておきたいものではありませんか。観劇の途中でトイレにいきたくなったら面倒です。それ以上に、せっかくの演目を見逃す可能性もある、それはなにより嫌だというわけで、開演ぎりぎりになってトイレに急ぎました。トイレは、劇場入り口に向かって歩き、さらに進んだところにあって、まあそこはもう普通のトイレです。特筆するようなものではないから飛ばします。

 その帰り、猫を見かけました。植え込みに猫の姿を認めて、これはぜひ写真に撮っておかなければ。変な話ですが、猫を見ると写真を撮らなければならないと、私はどうも決めているようなのです。これは、以前イタリアにいった時もそうでした。だから当然、中国でも猫を見かければ写真を撮るのです。

 周囲には明かりらしい明かりはなく、結構な薄暗さ、カメラを通して見れば、そこになにがいるか、まったくわからないという状況です。暗すぎて、液晶モニターが真っ暗なんですね。なので、適当にカメラを向けて、適当にシャッターを切るしかなくて、そうして撮ったのが次の三枚でした。

 適当に撮った割にはうまく猫がおさまっていて、実に運がよかった、そう思いました。

いよいよ開演

 トイレから戻ってきていそいそと席に着くと、まずは一息つきたいですね。急須を持ったお兄さんを呼び止めて、お茶のおかわりを頼みます。さて、私はいっていました、川劇における名物、それはこの首の長い急須でもって茶わんに注がれるお湯、その妙技であると。もういっぺん確認しておきましょうか。

 これです。

 確かに、遠くの間合いから決して大きいとはいえない湯飲みに湯をこぼさず注ぐのは大変でしょう。しかし、だからといってそれだけで名物といわれるほどのものなのでしょうか、ましてや妙技だなんて、ちょっといいすぎではないのか。

 そう思った方がいらっしゃったら、ちょっと次の写真をご覧ください。

 な、なんだこれは!?

 駄目押しでもう一枚。

 この首長急須を用いた給湯技は、観客席をぐるりと回ってサービスしてくれる兄さん姉さんだけでなく、ステージ上でも披露されるような、そういう魅せる技であるということなのですね。ステージ上では、白い衣装を着込んだ兄さんが二人、長首の急須を手に、アクロバティックな給湯技芸を次々と披露。うわあ、すごい。たかが給湯、されど給湯、しかしこうした技が発展したのはいったいどういう経緯あってのことだろう。あるいはこの長首の急須が必要とされる局面があって、そしてその技芸が発達するような要因があって今にいたるというのでしょうか? 素敵すぎです。見るからにオーバースペック、ハイエンドすぎる給湯が観客の拍手を誘って、いやしかしあれは一種独特の風格を魅せる芸であると思います。

 しかし、背中越しに湯を注いだだけでハイエンドだなんていえるのか? いえいえ、そんなどころではありません。

 武術よろしく、両足を前後に開き身を落とした状態で華麗に給湯。

 弓なりにのけぞりつつ給湯。

 相棒を踏み台にし、高みから垂直落下式給湯。

 彼らの妙技はこうした給湯の瞬間だけなく、給湯にいたるまでのシーケンスにも発揮され、それは実にファンタスティックでありました。少なくとも、私はそれまでこのような技芸を目にしたことがなく、カルチャーショックに似た感動を覚えたものでした。できることなら、またもう一度見たい。帰国してなおそのように思います。

閙台、器楽による合奏

Chengdu 給湯の技芸が終わり、次いで催されたものは器楽による合奏でした。鐘太鼓があり、管弦がありという、ちょっとした中編成で、中国らしいといっていいのかどうかはわかりませんが、にぎやかな音楽が場を盛り上げます。この閙台、ナオタイと読むようなのですが、閙の字は騒がしいというような意味だそうで、台はステージでいいのかな? にぎやかな舞台というようなニュアンスなのかも知れません。

 楽器は、ざっと見て横笛、笙、チャルメラがあり、弦楽器は二胡があり、そして丸い胴の楽器。これは中阮というやつみたいですね。四本ある弦を指ではじく弦楽器です。そして、打楽器は太鼓と鐘の類いです。これは前に出ていた人たちで、奥にも人がいるのですが、あれは琴だったのかな、それとも楊琴だったのかな、詳しくはわかりませんでした。

 演奏される曲目は、おそらくは有名なものなのでしょう。というのは、以前伴奏をしたことのある二胡の曲、賽馬(さいま)が演奏されたからで、馬の走る様を表現した曲なんだそうですが、二胡でアップテンポなものというとこれくらいしかないとかなんとか(いや、さすがにそんなことはないと思うのですが)、とにかく有名な曲です。この曲を特徴づけるのは、曲の最後、馬のいななきを模したフレーズでありますが、この閙台でこの曲が始まった時、同行していた中国語の先生が、私たちにこの曲のその仕掛けを耳打ちして下さって、それくらいに知られている曲であるのですね。とまあ、知っているこの一曲を根拠に、他の曲も有名曲に違いないと言い切る私もたいがいいい加減であると思います。

 さて、川劇劇場のお土産しおりに書かれた解説を見れば、閙台は川劇の舞台を開くものである模様です。どうやら、最初の急須の出し物は前座的な余興であって、川劇においてはこの演奏からが本番だ、そういうことであるのかも知れません。かくして、ふたつの出し物を経て、観客はいよいよこれから始まろうという劇、もろもろに期待を高めていくのでありました。

Chengdu
閙台の奏者たち。向こう側から、二胡、二胡、笛、笙、中阮
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下手側:二胡と打楽器、そしてチャルメラ
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上手側:打楽器と笙、中阮
Chengdu
チャルメラふたり。この楽器の正しい名前はなんだったかな

百戲争霸

Chengdu 閙台が終わり、歌をはさみ、そしていよいよ川劇の幕が開きます。演目は『百戲争霸』。漢王朝に起源を持つとかしおりには書かれていたけど、正直そのあたりはあまり信用できない。といったら失礼ですが、ともあれ、開演前に目にした豪華絢爛な衣装、それらを身に纏った役者が繰り広げる様式美の世界は、歴史云々関係なしに、見事なものでありました。戦争に関する劇なのでしょう。背に旗を何本も背負った武将が現れては、争いを繰り広げているのでしょう。中国語はわからないので、残念ながら内容については想像の域に留まるのですが、戦いあり、美女の登場あり、いや、しかし、内容はよくわかりませんでした。

 私が中国語に堪能ならば、もっとよくわかったのかも知れませんね。こうしたものは、おそらくは日本でいう歌舞伎に同じく、わかりやすい筋書をもって、広く大衆に受け入れられやすいテーマを表現していると思うんですね。また、その筋のベースになっているのが、誰もが知っているような有名な故事、出来事だったりする、あるいは主人公が国民的英雄であったりする、そうしたこともあるだろう、そんな風に思ったのですが、やっぱり私は残念ながらそうした背景を知らないから、目の前でくりひろげられるパフォーマンスを十全に理解し、楽しむにはいたらなかった、そんな感じがしています。

 しかし、そんな中途半端な理解であっても、充分に楽しめた。それくらいに魅せる舞台であったのですね。絢爛な衣装を着けた役者が、大きな身振り手振りで演じるその内容は、つぶさにはわからずとも、見るものを引き付けるものを持っています。様式がしっかりと作りあげられているためでしょうか、言葉がわからなくとも伝わるものがあるのですね。そして、演技に加え、歌唱があり、アクロバットがあり、そうした多様な見せ場、表現が、見るものを楽しませてくれるのですね。

Chengdu
背に旗を背負った武将たち。すなわちこれ大軍勢
Chengdu
武将に代わり、美女が登場
Chengdu
赤い衣装、軽装の数名がアクロバットを繰り広げる

二胡独奏

Chengdu 勇壮にしてにぎやかな劇が終ると、ステージには男性がひとり現われて、二胡を演奏しはじめました。独奏、先程までの舞台とは実に対照的な景色となって、このめりはりもまた観客を楽しませる一要素なのでありましょう。

 二胡というのは、友人がこれを専門にやっている関係で、伴奏に駆り出されたりして、だからちょっと馴染みのある楽器です。日本でも、女子十二楽坊がブームになった頃あたりから習う人も増え、また演奏者、演奏会も増え、今では割と知られた楽器になっているのではないかと思います。中国楽器の中だと、一番知られている楽器かも知れませんね。

 私は、女子十二楽坊に詳しくはないので、もしかしたらそんな曲もあるのかも知れませんが、私のよく親しんでいる二胡の演奏といえば、ゆったりした曲を、ヴィブラートやポルタメントを多用しながら、美しく奏でるという、そんな印象であるのですね。女子十二楽坊では、中国楽器でアップテンポにやるという、その新しさがうけたのだろうと思っているのですが、基本二胡というとそうしたアップテンポとは縁のないものだと思っています。あくまでもスロー、叙情たっぷりに情感込めて演奏される、そうしたものはこの舞台でも充分に触れることができまして、ああ、たしかにいい楽器だなと思いました。

杖頭木偶

Chengdu 続いては、またも極めて優美な世界。ただし今度は視覚を楽しませるもの、人形を使った演目でありました。それは、杖頭木偶と呼ばれるものであるらしく、頭上に掲げられた女性の人形、それを操って舞わせてみたり、情緒を表現してみたり、それはそれは見事なものでありました。

 この人形は結構な大きさで、背丈にしてちょっとした子供くらいはありますね。それを頭上に掲げるようにして操る。演者は、男性ひとりでありました。片手を人形の裾から入れて支えにし、もう一方の手で人形の手に繋がる棒を操作します。その仕組みは、見るかぎりシンプルなもので、ですがそれがあんなにも細やかな表現を可能にするのですね。あれは驚くほどでした。見るものは、ただただ人形に釘付けにされて、その下で操っている人間には注意が向かない。それくらいに、人形が雄弁なのです。語りもせぬのに、そのしぐさが語りかけるようであったのです。

Chengdu
掲げ持たれる人形
Chengdu
その演技は繊細に情緒を帯びて艶やか

 この人形が、人形と思われないほどに情緒、感情を感じさせたのは、その所作、とりわけ手の表現にあったと思われます。この手は、赤い布を持ったかと思えば、頭に付けた飾りを掴む、花を持つ、蝶を追う、などなど、小道具をともに多彩な表情を見せたものです。しかも、ただ掴むだけではなく、手にしたものをくるくると器用に回してみせる、さらには投げあげて再び掴むまでする。それが、アクロバティックな印象などまるで感じさせず、ごく自然な所作としておこなわれるのですね。それがあまりに見事なものだから、操っている人のあることなど忘れてしまうほどで、人形がそれこそ命を持って自ら舞っている、そんな気にさえさせたのでした。

Chengdu 基本的に、人形は一体だけ、それを操るのも一人、けれど途中で、ゲストといってもいいものか、もう一体の人形もあらわれて、操っているのはお弟子さん? 主役の人形をアシストするように演じはじめて、けれどさすがにメインのような細やかさ、情緒の表現は期待できませんでした。見た感じ、人形の細工も違います。あくまでも脇役ということなのでしょう。けれど、もしメインの人形ほどの表現力を持った人形が他にも出てきたら、この劇はすごいことになると、そんな風にも思って、ですがあくまでもこれは沢山ある演目のうちのひとつ。この主役の舞い踊り、これを見せるものである以上、このスタイルが変わることはないでしょう。

 などといろいろいうのだけれど、結局はこの人形の美しさ、可愛さに尽きるのだと思うのです。そしてそうしたものは、人形が動いてはじめてわかるのだとも思います。まさしく、息吹きが感じられる、演技により、生命が吹き込まれる、そのように思わせる、見事な芸でありました。

歌あり踊りあり

 演芸の基本は、やはり踊り、そして歌であるのではないかと思います。そうした基本は、ここ中国でも変わるところはないようで、そういえば九寨溝で観たショーもその基本を守っていました。中心となる歌手やダンサーがあって、そして群舞がある。そうした文化は、洋の東西を問わずあるものなのかも知れません。

 といったわけで、ここ成都で観る舞台にも、歌そして踊りを披露するものがあったのでした。

手影戯

Chengdu 手影戯とはなにかといいますと、英語に曰く、Hand shaddow showって、dがひとつ多くないですか? まあ、気にはしません。手を使って表現される、影絵でありますね。舞台に置かれた円形のスクリーンに映し出される影、それは単にかたちを写すにとどまらず、ひとつの世界を表現していました。

 スクリーンに寄り、そして離れることで、影を大きくも小さくも自在に変化させて、また手だけにとどまらず、頭、体も使って、思いも寄らないものを映し出すその技巧は見事です。ひとつひとつのシーンも、精神が隅々まで細やかに通っていると感じさせるほどに豊かな情感にあふれて、そしてそうした影がストーリーを描くように連なっていきます。

 そうした様子は非常によかった、実際、まわりの皆の反応もかなりよかったというのですが、しかしことこれは影絵ですから、写真に撮ってというわけにはいきません。一応は撮ってみたんです。そうしたらこんな具合になってしまって……。

 どう考えても光が足りません。フラッシュを焚いても届かないでしょう。だから、これに関しては現地で見るしかないのかも。いや、全てがそうか。しかし、その雰囲気さえも残せないというのが、儚い。儚いからこそよいのかも知れないですけどね。

アクロバットもあり

Chengdu 影を用いての静謐な舞台があれば、動的な舞台もあって、それは手影戯に続いて演じられたアクロバット。ものものしくも髭たくわえた面を付ける男性を中央に、そしてその周囲には、軽装の男性が数名控えている。その彼らの舞台は、踊り、演じるのもさることながら、見せ場はむしろアクロバティックな動作でありました。特に軽装の男性陣、思いがけぬ大技を決める、そのたびに観客は沸く。なかなかに見応えのあるステージであったと思います。

 アクロバット、それを見せるのは軽装の男性たち。彼らは、主役の仮面の男性、これもまたなにか有名な豪傑であったりするのでしょうか、彼に敵対する者たちかなにかであるらしく、次々とかかっていっては、いなされて、こういった構図は日本の歌舞伎なんかでもありますね。立ち回りというにはあまりに様式的で、きちんと決められた流れにそって、次々さばかれていき、そしてそのところどころに見せ場を用意している。それもまたけれんといってよいのでしょうか。しかし、ぱっとわかる派手な技、そうしたものが観客を喜ばせるのも事実です。

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舞台の主役、仮面の男。堂々として、軽業などは見せなかった。
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軽業を決めるのは彼ら。見事にとんぼをきって見せた。

チャルメラ独奏

Chengdu こうして振り返ってみると、想像以上に盛り沢山の内容を持った舞台であったことがわかります。ここにきて、再び器楽、チャルメラの演奏です。しかしこのチャルメラといっている楽器、ダブルリードの管楽器であるのですが、正しくは唢呐、Suonaと呼ばれるものであるようです。西洋の楽器とは違い、複雑なキーなどはついていない。実にシンプルな管楽器であります。

 この楽器の性格を決定づけるものはなにであるか。それは、やはり音でしょう。かなりけたたましい音がします。発音体はダブルリードであるから、西洋の楽器でいえばオーボエなんかの仲間であるのですが、西洋では繊細の極みに位置するような楽器に発展して、中国ではラッパにも負けない大音量を発する派手な楽器に育って、こうした違いに西洋と中国の趣味や思想における違いというものが感じられるように思います。

滾燈

Chengdu この舞台はあくまでもエンターテイメントであるということを意識させられた、それはこの演目があまりにコミカルであったためでした。舞台上には男がひとり、そしてその妻がひとりあって、どうやら奥さん、おかんむりであるようですよ。というのは、この旦那が飲み歩いてでもいるのでしょうか、帰りは遅いは、帰ったかと思えば酒に酔っているは、あまりに度を過ごすものだから、奥さんもすっかり怒ってしまって、どうとっちめてやろうかと思っている、みたいですよ。みたいですよっていうのは、なにしろ私は中国語が全然ですから、奥さん、それに旦那のいってる内容がちっともわからなかったのですよ。ですが、それでも、上に書いたくらいのことはなんとなく伝わって、いやあ、たいしたものではありませんか。私がじゃなくて、舞台がすごいっていってるんですよ。

 舞台には最初奥さんがひとりだけ。きつめの美人、状況説明をしているのだと思うけれど、さっきもいったように、ちっともわからない。けれど、なにか憤慨していることは伝わって、そしてそこに旦那が帰ってきます。ちょっと小太りのおっさんで、赤ら顔、あきらかに飲んできたなとわかる出で立ち、そしてしぐさ、表情、こうしたところはどうやら万国共通であるようで、日本人である私も、となりに座っていた明らかに西洋系の人たちも、旦那の一挙手一投足にくすくす笑って、いや、実にコミカルであったのですよ。

 そして、奥さんのお仕置きが始まるのですが、それが実におかしいんです。この舞台のタイトルは滾燈、英語ではRolling lightとありますが、それはこのお仕置きに由来するのでしょう。皿に灯る明りをとりあげて、それを旦那の禿頭に置くんです。意味がわかんない。わかんないんだけど、その仕草やら仕打ちやらがおかしくて、笑ってしまう。おっさんはやたら飄々としているし、そうかと思えば奥さんには頭が上がらず、座らされたり立たされたり、変なポーズとらさせられたり、そのたびに、勘弁してと顔一杯に表現する。でも、頭に載せた油皿は決して落とさないんですね。

 この演目は、横になろうが、どうしようが、油皿を頭のてっぺんに保持し続けるというバランス感覚を見せる、そうしたところに芸があり、そしてそれが奥さんからの仕打ちであるという演出、その悲喜こもごもを面白おかしく見せるというところにも芸があり、おそらくはそのどちらかだけでも面白くはあるんだろうけれど、その両者を足し合せることでより面白くさせるという、そういうものであるのでした。そしてそのおかしさは、台詞の付いた演劇ではありながら、言葉がなくても伝わるのです。それは、酒に酔って帰る亭主は世界のどこにだっているということ、そしてそうした夫に怒る妻のいるということ、さらにはそうした妻に夫は頭があがらないものだということを物語っているのでしょう。男も女も、基本となる関係はさほどかわりやしないのかも知れません。そして、かわりがないからこそ、言葉がなくともわかりあえる可能性がある。そのようなことを思います。

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舞台には奥さんひとり
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旦那が帰宅して……
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お仕置きが始まる
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なにがあっても、決して油皿は落とさない

変瞼・吐火

Chengdu そして舞台はいよいよ進み、お待ちかねの変瞼であります。変瞼とはいったいなんでしょうか。そう問われれば、おそらくは最も川劇らしいと思われる演目であると答えましょう。仮面劇、舞台上の演者が振り向いたかと思ったその時、顔が変わっている。あるいは、手を顔に一瞬かざした。その瞬きほどの時間で違う面になる。その早技の鮮かなること、不思議であることの魅力ですよ。どうしてああいうことが可能であるのか。それは実に驚くべき技で、それゆえに心をとらえて離さない。ああ、これを見にきたんだ、そう思う人もきっと多かったことでしょう。

 そして変瞼に加えてもうひとつの見せ場が用意されていました。それは、吐火。文字からもわかろうかと思いますが、火を吐くのでありますね。実際、これは見どころとして演目の題にも入ってくる文言であり、そして人の口にのぼることも多い、そんな見世物であるといいます。しかし、それはいったいどれほどのものであるのか。変瞼に対しての興味を高めつつ、火吹きについても楽しみに思う、そんな舞台はまずはアクロバティックからスタートです。

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軽業があり、
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旗を使ったダイナミックな表現もあり、

 そして、それらに導かれるようにして、主役たちが登場してきます。

 赤と青の衣装をつけたふたりがあって、そして異質な黒衣の男があって、この男が主役なのか!? そのあたりはわからんのですが、あきらかに特別な役割りを担っていると思わせるものがありました。威風堂々として、舞台上を練り歩いて、その存在感はなみなみならぬものがありました。

 この三人が、変瞼の使い手でありました。しかし、いったいいつはじまったのだろう。変瞼はまだかな、そう思っていたら、もう顔が変わっている。最初の面を覚えていないので、いつ、何回くらい変わったのか、まったくわからないほどに自然に、スムーズに面が変わっていきます。それは実に見事で、見事すぎるあまりに気付かないというのも、また奇妙な話であるかと思います。

 これがまさに面の変わった瞬間。

 しかし、時間を切り取り、すべてをとどめてしまう写真では、その変化の一瞬をとらえることができません。その様を紹介できないのは、実に残念なことであると思いますが、ただその変化をうかがい知れるものとして、黒衣の男の後ろに見える赤い衣装の男をあげることが可能であるかと思います。これ、青服とともに入場してきた写真に写っている顔とは違っています。次々と変化して、そして今はこの顔であるのです。

 そして、この舞台におけるもうひとつの見せ場。それが、これ。吐火であります。

 突然、舞台に火炎が立つ。その勢い、迫力は体験してはじめてわかるものでありました。

 私は知らなかったのです。目の前で火を吹かれるその時、顔に熱さを感じて、こんなにも火吹き芸とは身に迫って感じられるものであったのか。舞台と客席の距離は、近いとはいえ、ある程度の距離は保っています。なのに、それでも熱を感じるのです。これには本当に驚きました。

 客席から見た舞台はこんな感じです。

 結構近く感じられます。

 そこから舞台に目を移すとこんな感じです。

 写真に写っている炎は、まだ最大長には達していません。ここからまだもう少しのびるのですが、ぱっと、これから吹きますという案内もなしに、突然炎が舞台上に生まれる。それを、タイミングよく写真におさめるのは難しかったのでした。しかし、それでも炎の勢いは感じられる。ですが、実際はそんなものではなかった。それは、もう、想像する以上のものでありました。

 川劇の舞台は、この変瞼・吐火にて終了しました。最後に、一番の見せ場を持ってくるあたりはさすがですね。アクロバティックがあり、変瞼というまさに川劇を感じさせる見世物、そして火吹きという大物を並べて見せるあたり、大トリに相応わしいといわないではおられない。見応えのある演目でありました。

 最後には主に目を楽しませる、そんな舞台が用意されていましたが、他には耳を楽しませるもの、笑いという感情に働きかけるもの、美しいものがあればコミカルなものもあるなど、バラエティに富んだ、実に楽しい時間を過ごさせてくれる、実によい劇場でありました。私は、特にこれを見たいと強く希望はしていない、そういうのがあるなら見ておこうかというような、消極的な観客であったのですが、そんな私をも引き込んで魅せてしまう、そうした舞台の数々、素晴しかったです。

けれど写真は撮らなかった

 すべての演目が終わって、ステージの中央には椅子が二脚。衣装をつけた役者もずらりと並んで、これは写真を一緒に撮りたい方はどうぞ、ということですね。もちろん有料、旅の思い出として、成都の、川劇の思い出として、写真を撮っておゆきなさいな、というのでしょう。観光地では、こういう写真を撮ってさしあげましょう、記念に一枚写しましょうという商売は、やはり今なお残っているのですね。けれど、日本人、西洋からきたと思しき人たち、そして中国人でさえも、あの椅子に座り写真を撮ってもらおうとした人はいなかったように思います。

 一緒に写真を撮るのは有料だったけど、勝手に撮る分にはかまわないみたいだったので、写してきました。綺麗な衣装。実に絢爛であります。

ホテルに戻り一日の終わり

 川劇が終われば、ずいぶん夜も遅くなって、なので急いでホテルに戻ることになりました。劇場を出ると、ガイド氏が待っていて、うながされるままにマイクロバスに乗り込むと、あとは一路ホテルへ向かうばかりです。車中、舞台の感想などを話しながら、しばらくすればホテルに到着。部屋に案内されれば、もう真っ暗、寝息が聴こえます。寝ている人を起こしてはいけないと、静かに行動すれば、ひとり起きていてくださったのか、暗い中から、翌日の行動含めていろいろ注意事項など教えてもらえて、そしてお休みなさい。

 私はそそくさと寝間着に着替えて、歯磨きなどして、けどシャワーはもう無理ね。さっさとベッドに潜りこんで寝たのでありました。


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公開日:2006.10.01
最終更新日:2009.03.24
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