いまを生きる

おおキャプテン、我がキャプテン

原題:Dead Poets Society
1989年/アメリカ/128分

監督:Peter Weir
発売:ブエナビスタ・ホームエンターテイメント(DVD)


 私は、まさに今生きているという時間を惜しんで、少しでもましな自分になりたいと、中途半端な人生を急いでいる。今したいことを先送りにして、いつかできなかったことを悔やむくらいなら、真っ暗な明日におののきながら、自分の為さんと欲すところに殉じたい。つまりは結局、私の生き方はキーティング先生の教えに集約されている。彼は名門校に学ぶ学生たちに、人生は短い、いつか死ぬ日に後悔しないよう自分の今を生きよと説いた。

 はじめてこの映画を見たのは、大学に入ったくらいの頃だったか。おそらく今よりもひねていた私だったが、教師の言葉や映画の持つメッセージ性はまっすぐに届いて、素直に感銘を受けた。私はいつも、なによりもまずあきらめがちで、ひとつことに没頭しながら、そこに自分のすべてをのせることがなかった。なんとなくできればいいと思いながら、結局はいろいろ理由をつけて、現実世間を言い訳にして、流してしまうにまかせた。つまらない生き方。けれど、十年弱が過ぎて、今の自分はそうした生き方を考えない。遅れたと思い焦りながら、けれど後悔はしたくない。今、再びこの映画を見て、私はまさに自分がこの映画のテーマに重なっていると知った。

 繊細で、時に破滅的な少年たちの危うさが美しくも悲しい。なかでももっとも衝撃的な出来事は、劇中の少年大人を追いつめつつ、私たちにも届いてくる。根底にあるのは、気後れと無理解と断絶である。その隔たりを埋め、落差を越えて欲しいと、教師の思いは深く響いて、だが少年のナイーブな心は現実に打ち負け、もっとも単純で取り返しのつかない結果を選んでしまった。思い詰める純粋性とは激しく、まぶしい。一瞬に燃え上がる思いは、現実の地平を越える可能性と破滅に向かわんとする儚さを合わせ持って、すべての人は等しくその激しさを秘めるのである。ただ我々には気後れが邪魔する。ゆえに我々はあの少年たちに変わるところがない。


評点:4+


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公開日:2004.02.24
最終更新日:2004.02.24
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