インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア

いかに選ぶべきなのだろうか

原題:Interview with the Vampire
1994年/アメリカ/123分

監督:Neil Jordan
発売:ワーナー・ホーム・ビデオ(DVD)


 映画全体に漂うのは背徳的な匂いと、透き通る肌に浮かぶ静脈、真っ赤な唇、不健全の中に潜む美しさの闇だ。レスタト、アーマンドのルイに寄せる執着。クローディアを娘だといいながら、その奥に潜ませるルイの真意は、どうにも僕をとらえて離さないのです。

 彼らはヴァンパイアとして生者の世界の裏面に暮らしています。我々はそんな彼らに憧れを抱かずにはおられませんが、憧れは、彼らの超人としての能力と不死性に向けられるのではなく、吸血鬼ドラキュラ以降ヴァンパイアにつきまとっている、「頽廃とインモラル」、への思慕なのです。ヴァンパイアの男たちが見せる怪しげな美しさ、娘クローディアにそそがれる二重の愛、死を与え求めることへの傾きは、我々の生活において普段目覚めてはならないものとして追いやられているものであり、我々はヴァンパイアという非現実の存在に自らの思いを託し、彼らの在りように自身の心を重ね合わせることによって、我々の影が持つ牙を丸め、抜いているのです。

 僕はこの映画を見るたびに、そういうヴァンパイアに対する自身の思いの二重性を考えずにはおられません。そしてその二重性を思えばこそ、クローディアに架せられる運命が物語中で語られる罪によってではなく、我々の心性の奥に秘めた罪科の報いであるように思えてなりません。つまりは、同族殺しの嫌疑ではなく、頽廃への傾斜、享楽を求めたが故に罰を受ける、あくまで我々の道徳の規範の延長線上に彼女の処刑は行われるのです。
 だとすれば、レスタトの描かれ方はあまりに象徴的です。頽廃の罰によって一度は殺された彼は、その後生き存え、最後には再び過去の栄華をまとって甦ります。これを、物質文明の行き着いた現在を享楽的に生きよというメッセージとして受け取るのは、あまりに恣意的すぎるでしょうか。

 旧態依然とした道徳律のくびきから解き放たれ、生の輝きを享受するか否かを迫るのが現代なのです。


評点:3


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公開日:2000.10.13
最終更新日:2001.08.29
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