バトル・ロワイアル

欺瞞が甘さに透け、至らぬ思い

原題:バトル・ロワイアル
2000年/日本/

監督:深作欣二
配給:東映


 こんな夢を見た。機銃掃射を受け、真新しい死体に囲まれて茫然としているところに、兵士がやってくる。生存者のいないことを確認するために放たれる機銃の弾雨を避けるため、折り重なる死体の山に必死で潜った。血の呻き、砂ぼこりの匂い。夢ながら、あの恐怖を忘れることは出来ない。

 このトラウマを、思いがけずこの映画はほじくり返してくれた。それほどに非日常、非現実の状況中に繰り広げられる少年たちの心の動きは、身に迫るほどの真実味を帯びている。生き残るための計略、懐疑、裏切り。ぎりぎりの接点で掛け違えられる心の悲しさは、身につまされて痛ましい。けれど、それでも甘ったるい欺瞞の、鼻に付いたのはなぜだろうか。

 主人公の最後までためらい続ける感情は、われわれの日常における美徳としての理想だ。故にそれは甘く、感動の機構に当てはめられた瞬間に欺瞞と映る。登校に際し武器を帯びずにおれなかったものにとって、それはもっとも在り難いものでしかなく、あらかじめ決められた位置に、役割と意味において割り振られた予定を履行しただけという、止揚に行き着かない弱さを見せた。

 最後の最後で訪れる機械仕掛けの神の手が、筋に張り渡された緊張と対立の劇を打ち壊し、現状を打破しえないまま、よくある少年少女の成長物語、大人を乗り越えて大人の階段を上る見慣れた図式へと還元してしまう。

 奇麗なままでは済ませないと、生き残る彼らに持たされる罪とナイフは、先を懸命に生きようとするものなら誰しも呑んでいる刃に過ぎない。その点においてこの映画は、過去に語られた成長物語の図式を越えることはなく、凶器を胸中に普通の顔をして生きる、日常の写しにほかならない。

 出来はよい。感情の行方は木目細かく細密だ。しかしこの映画で満足していてはいけない。さらに先があることをわれわれは知っているし、ここで立ち止まるようでは、自分の生を生きるなど到底かなうべくもない。


評点:3


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公開日:2001.01.30
最終更新日:2001.08.29
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