ぼくのバラ色の人生

C'est toi pour moi, moi pour toi, dans ma vie

原題:ma vie en Rose
1997年/ベルギー・フランス・イギリス/88分

監督:Alian Berliner
発売:東芝デジタルフロンティア(DVD)


 人は、親や環境、性別を選ぶことができない。当然といえば当然。だが、与えられたそれらが自分の望まないものだったら。ときに、自分の望む性と身体の性が違っているとしたら、その相容れなさといったらどれほどのものだろう。

 リュドヴィックは、「女の子」として好きな男の子と結婚したい七歳の男の子。ただ自分の望む性を生きたいというだけなのに、世間はそれを白い目で見ようとする。もとよりベルギーはカトリックの伝統が強い国。リュドにとって、不利な条件がそろってしまった。

 学校やサッカークラブで、リュドに浴びせられるからかいや嘲笑。友だち――好きな男の子もリュドを避けはじめて、彼は戸惑う。なぜ自分は男の子で、女の子ではないのか。女の子にはなれないのか。自分の思いや願いを押さえつけなければならないとは、なんという不幸だろう。悩み、自身の存在に疑問を突きつけるリュドが、不憫に思えてならない。

 だが、はじめリュドの友だちは、ドレスを着たリュドを拒絶しなかったことを忘れてはならない。彼は騒ぎ立てる大人を見て、女の子を夢見る男の子は嫌悪すべきと、学習したのだ。リュドの彼らしさは、大人の持つバイアスに歪められてしまった。それは社会が一方的に押し付ける、画一化という暴力ではあるまいか。

 ひとつの在り方があり、また別の在り方がある。こんな簡単なことに気付かない人は多い。多様性をもって広がる価値の偏差を疎んじ、自分の価値だけが絶対と思い込む。偏狭な価値に捕われた土壌では、リュドのようなユニークな個性はやせ細って、いずれ死に瀕せざるを得ない。そして、これは決してよそ事ではありえない、今自分の身の回りにもありうる問題なのだ。

 迫害され排斥されるままに、リュドの家族は転居を余儀なくされたけれど、その新しい地がリュドにとって温かい場所でよかった。そしてすべてのリュドに温かい眼差しがそそがれることを願う、そんな映画だった。


評点:4


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公開日:2001.05.02
最終更新日:2005.01.10
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