マルコヴィッチの穴

けれど、それでも入ってみたくなる

原題:Being John Malkovich
1999年/アメリカ/112分

監督:Spike Jonze
発売:アスミック(DVD)


 自分が自分でないような気がすることがあっても、自分の意志で話し行動できるなら大丈夫。まだ誰も入り込んでなんかいない。けれど、そんなことを考えてしまうのは、きっと自分の人生を生ききれていないためだろう。生きているという実感を失って、可能性を信じられなくなって、さらには今の自分でいることさえが嫌になったら重症だ。そんなとき、ふと思うのは、今とは違う別の人生を生きたいということではないだろうか。

 主人公のクレイグは、まさにそんな感じのうだつの上がらない男。人形遣いを夢見ながら、「問題作」を路上で講演中に殴られるのが落ちという情けない男だ。経済的な理由もあって仕事を探せば、そのオフィスは7 1/2階というじつに半端な階にあるという感じに、なにからなにまで半端なクレイグ。けれど仕事中にマルコヴィッチに通じた不思議な穴を発見して、状況は一変した。

 十五分間のマルコヴィッチ体験が金儲けの手段にされてしまい、いろいろな人が入れ替わり立ち替わりでマルコヴィッチの中に。マルコヴィッチにとってはたまらん話。倫理観欠如の登場人物たちに翻弄され、中でもクレイグはマルコヴィッチを通して、自分の欲望、願望を実現しようとまで悪乗りする。

 自分自身に絶望して可能性を信じられなくなって、ときには他人をうらやむこともある。できることならその足を引いて、入れ替わりたいとまで思うけれども、そんなことは絶対考えてはならない。他人を踏み台に実現させたとしても、人の褌で得た結果など、どれほどの価値を持つというのか。他人の自己実現のために、可能性もろとも自我を食いつぶされたマルコヴィッチが、ひたすらにかわいそう。それになにより自分の可能性に失礼だ。

 マルコヴィッチがマルコヴィッチとして出ているので、現実とクロスした感じが強いが、実はミドルネームが違っている。それでようやく安心。やはり、自分の人生は自分で生きたほうがいい。


評点:4


耳にするもの目にするもの、動かざるして動かしむるものへ トップページに戻る

公開日:2001.05.05
最終更新日:2001.08.29
webmaster@kototone.jp
Creative Commons License
こととねは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示 - 継承 2.1 日本)の下でライセンスされています。