汚れた血

愛は疾走の先に飛翔するのだろうか

原題:MAUVAIS SANG
1986年/フランス/119分

監督:Leos Carax
発売:東芝デジタルフロンティア(DVD)


 言葉よりも強く、音楽より豊かに、映像は語る。若者は自らの行方も知らず、愛をともに、永遠に飛び続けようと疾走する。着地する場所も折り合う術もわからぬままに。それはさながら、トニックを希求して已まないドミナントのようだ。解決を引き伸ばされたままに、愛に対する憧れをたわめ、思いは深く、叫びは咽喉奥に飲み込まれて、いずれたどりつく場所を夢見ている。果たして解決の先に愛はあるのだろうか。

 少年は、バスで行き違った少女に、愛を見つけ出してしまった。それは今までのものとは違う、真正のものだったのだろうか。少女との出会いが、少年に過去との決別を決めさせた。運命に引きあわされるかのように、二人は出会うことになる。

 少年はあらゆる言葉を尽くして愛を語り、少女はそれに応えようとしない。少年の愛を退け、他の愛を語るばかりだ。行き着かぬ少年の愛は、鬱積するままに行き場を求め、凶暴なまでに膨れ上がる。だが叶わぬからといって、愛はその生命を止めない。ならば、その愛の求めのままに疾走する以外、なにがあるというのか。

 そこに愛の本質が見え隠れする。盲目に、自らを目的にしてうち走る衝動こそが愛なのではないだろうか。自身を掛けて、その行き先が破滅につながっていようとも、その足を止めないのが愛なのではないだろうか。まさに少年はそのように在った。自身の在り方に迷い行き先に迷い、あちこちにぶつかりながら少年は疾走する。愛のほとばしりに堪え兼ね、自らを愛そのものに変えて。迷走の先に往きすぎるほどに、少年は走り続けた。

 少年が求めていたのは、自らを受け入れる場所だったのだろうか。もし彼が望む地にたどりつけば、愛は満足したのだろうか。いや、そうなれば愛は次の階梯に進んだことだろう。畏れと不信とを抱いて、目の前に投げかけられる謎に戸惑いながら。

 それまでは、愛は疾走するのだろう。彼を突き動かして。そして少女を突き動かして。


評点:5


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公開日:2001.05.07
最終更新日:2001.08.29
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