アメリカひじき・火垂るの墓

戦争が悲しいのは人の悪なる面のあらわになるせい

『アメリカひじき・火垂るの墓』
野坂昭如
(新潮文庫)新潮社,1972年;1987年版,1987年。

収録作品


 私は戦後に生まれた戦争を知らない世代である。開戦にいたる経緯や戦地戦時下での暮し等、わずかに知ることはあっても全ては知識として上っ面をなでるだけで、そんなものは肌に触れるごとくに戦争を感じた人たちの記憶とは遥かにかけ離れたものにすぎない。だが記録としての私の戦争は、野坂昭如を追体験することで、少しでも生身の実感に近付くことができたと思う。

 火垂るの墓は映画にもなったために、一般に広く知られることになった。神戸の空襲で焼け出された兄妹が辿る不運な末路が描かれ、そしてこれは野坂の実体験に根差す話である。戦時、銃後の生活とはかくもひもじく人の性根のあけすけに狡辛くあったのかと愕然する。火垂るの墓はじめ、彼の戦時戦後を物語るどれもに、ひもじさと人の心にひそむ利己心があらわにされていて、誰もがやけっぱちに生きたという事実が見えてくる。絶望というより虚脱というべきか、しかし生きることだけには貪欲で、そのせいで果たせなかった、あるいは間違ってしまったことへの後悔も見え、全ては戦時という異常事態のなかで起こる悲しい出来事だというのだろう。

 野坂が時にあらわにする怒り憤りは、少年時代に通過した実際面精神面双方にまたがる深い飢餓感と、その結果導かれた悲しい事物があるためだろう。あの戦争に加担しつつ振り回された人たちは、勝者にせよ敗者にせよ、皆不幸者である。自分が不幸であるかどうかに気付いているかどうかの違いこそあれ、誰もが深く傷つき、また後に自らを責める日々に苦しんだのだ。

 京都には空襲がなく、また物資も比較的潤沢であったという話を聞く。しかし私の住んでいる町にも敵機は飛来していた。私が子供だったころはまだ、機銃掃射の痕を見ることができた。死んだ人もあるという。だが語られないものもあり、語られどそれらは風化しつつ直に完全に記録に置き替わる。だからこそ私たちは追想するべきではないか、そう思う。


評点:5


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公開日:2003.04.26
最終更新日:2003.04.26
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