一日一書

書には身があり、人に共鳴している

『一日一書』
石川九楊
二玄社,2002年。


 京都新聞第一面に、毎日一字ずつ文字が紹介されている。それは主に書字であるが、拓本もあり篆刻もあり。書体においては篆隷楷行草にとどまらず、破調にまで至る多種多様の文字のあり方が絢爛である。そこにはただの一字があるに過ぎないというのに、その一字がどれほどの多くを語りうるのか。文字――漢字はただの記号を越え、うちに砕いた世界の一部をまるまると抱えている。

 紹介されているのは、古今の能筆によるまさに作品足るに相応しいものばかりだ。選者は、書家であり多くの著書も物している石川九楊。僕は、彼のアジじみた著作を読んで、まったく意味不明な彼の理屈を理解したいと望んだ末に、字を書くことを始めた。故に彼は僕にとっての書のはじまりであり、同時にいつか読み解かれるべき対象であり、さらには敵ですらある。その石川九楊がその日その日の字を選び、さらに評言をも加える著作を前にして、読まないという選択はなかった。

 相変わらず、くだくだしいことばかり書かれている。その言葉を裏打ちするのは彼独自の感性に他ならず、感情において受け取ることは可能でも、理性にとってはいささかの偏りが気になるところ。依然として九楊を理解することは難く、言葉の向こうにはっきりと感じられる彼のこれまで得てきたものであろう実感がわずらわしい。連綿の流れる文字の書きぶりが、ややもすれば弱々しく思える外形にも関わらずどっしりとした自己を湛えるように、九楊のいうところには身体があるのだ。ひょうひょうと、それでいて強烈に主張する。それはやはり書によって培われてきたものなのだろうか。

 一冊のうちに三百六十五文字。気の遠くなるほどの昔から、綿々と受け継がれてきた文字たち。それらは確かに現在にまで受け継がれているものだのに、今の、活字しか知らない我々には容易に近づくこともできなくなってしまった。なんて寂しいことだろうと、指で字をなぞりながら感じている。


評点:5-


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公開日:2002.06.14
最終更新日:2002.06.14
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