『はれた日は学校をやすんで』
西原理恵子
(アクションコミックス)双葉社,1995年。
自分というのが分からなくて、それでも自分というものにこだわりたい。ひとつところに押し込められると息が詰まる。自由が欲しいのに、それがどこにあるか分からない。だからせめて、今日の天気がよかったことくらいは自分自身で確かめたい―― こういうことは、学校に行っているうちにやっておかないと。茫漠とした将来への不安におののきながら、僕も、そして多分ほかのみんなも、学校という日常からの逸脱に余念が無かった。もっとも程度の違いはあるだろうけれど。
やるせなくて授業を抜けたことも、病気を偽って休んだこともあった。学校という世界に馴染めない子というのは、そうして時に自主的な休みを作らなければもたないものなんだ。だからそういう子らは、主人公のめぐみに対して共感的にあれるはず。僕もそうだし、きっとそういう子は沢山いる。めぐみはかつての僕であり、かつてのあなただったかも知れない。
なにに対しても割り切れなかった感情と、本当の自分と理想の自分のあいだに横たわる葛藤。これらがないまぜに存在する少年時代は、誰もが自分のあるべき場所を求める年代は、振り返ろうにも振り返りきれない遠い遠い記憶だ。この漫画の中には、このかつての心象風景が広がって、手にして読み進めれば一気に昔に引き戻してくれる。情景の豊かさは僕をしんみりとさせ、この緩やかで暖かでちょっと感傷的な世界は、少女時代の西原が目の当たりにしてきたものなのだろう。
当時、もしかしたら自分は一人きりだと思っていたろうか。あるいは、今まさに自分を孤独と感じている人もいるかも知れない。けれど、本当に一人きりではありえないはず。どこかに自分を理解してくれる、同じ境遇の誰かがいる。めぐみが最後に得た小さな共感の声は、きっと誰もの回りにあるはずのものだ。
むやみにさみしかったり悲しかったりするときには、この漫画が嬉しい。ちょっとしんみりして、少し元気になれるから。
評点:4+
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