『ぱにぽに』1から2巻
氷川へきる
(Gファンタジーコミックス)エニックス,2001- 年。
これは、ちょっと、大丈夫なんだろうか。帯に『あずまんが大王』との関係をほのめかすような文句。中身をみれば、台詞まわしや間、キャラクターの関係に、あずまんが大王テイストがちらほらする。ただ、あずまんが大王っぽいとはいえ、その力の向かう行方は全く違うぞ。同じ起点から発したものだとしても、より一般的な位置にとどまろうとするのがあずまんが大王なら、よりマニアック――オタク向けといいかえてもいいだろう――であろうとするのがぱにぽに。おもしろいおもしろくないは別として、あずまんが大王は問題なくても、これを受け入れられない人は多いのではないだろうか。それくらい、高度な専門性を持ってしまっている。
一言でいえばこの漫画の本質は、前面に押し出したキャラクターや台詞の持つ記号性への異存である。冷静に各回各回を見れば、そのほとんどは意味不明なねたの連続にほかならない。ひねりもなければ、才気もない。むしろだらだらと続けられるそれらは、かつてどこかで見たことがあるという共有感をもってはじめて、読者と結びつけられる代物だ。本来の文脈から切り離された事柄が、周知の構造の中に配置される。すでに用意されている笑いどころに、君もそして僕も知っているなにかが飛び込んできたことを察知するやいなや、風の吹く日に日なたに出たとたんにくしゃみが出るのと同じくらい、天然自然の反応として笑うのだ。これはまさに、無言の約束ごとに支えられた内輪の閉じた様式美であり、形骸のみが軽々とシリアスを飛び越えてゆく、無方向性の閑散とした笑いの残滓である。後になにも残さず消え去る、立つ鳥跡を濁さず的軽薄さばかりが身上だ。
けれど、こういう傾向に耐性のないわけでもない僕は、意外やこれが大丈夫。あまつさえ、ベキ子可愛いとさえいってしまおう。僕にはこれで結構よかった、あずまんが大王とは違って、決して人に勧めようだなんてことは考えないけれども。
評点:2+
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