『ペーパームーンにおやすみ』
川原由美子
(mimi KC)講談社,1990年。
「ペーパームーンにおやすみ」,『川原由美子選集』第2巻所収
川原由美子
朝日ソノラマ,1999年。
奥付には1990年。現実を拒絶して自分の世界に引きこもって死のうとしたヒロインが、昔の知人にダブって見える。彼女はこの本を見たのだろうか。彼女の蔵書は思い出せないが、もしかしたら見ていたのかも知れない。
ともみは餓死を狙ったが、彼女の場合は窒息だった。現実との折り合いの悪さは限りなく、自分の世界に引きこもり、学校へは通わず、人込みを避けて花をさがしてさまよっていた。よくつれられて歩いたけれども、きっと僕は彼女とともにはいなかった。彼女は現実を見ながら非現実に生きたに違いないし、膨大な蔵書と知識のるつぼから、上澄みの美しいものだけで自分の世界を鋳込んでいた。
ともみは、紙細工の街で飾った歌世にならって紙で部屋を飾ったが、彼女の場合は真っ白の布だった。わざわざ花の咲くのを待って、まだ寒い晴れた朝を選び、僕をその時のために呼びだした。室温のまだあがらない仄白い部屋の真ん中で、真っ白にうつむいてひざまづいていた。部屋に通された僕は、どうせいつものインスタレーションかと思って、おろかなことに、じっと彼女の芸術活動が終わるのを待っていた。
彼女は僕のものではなかったし、すべては彼女のうちのものの決定のもとに動いた。変死として扱われ、おそらくは法医解剖を受けただろう。医者は彼女を裸にし、切り開いたのだろうか。そこにはなにがあって、彼らはなにを見たのだろうか。考えると、視界が血に赤く染まる。
手を伸ばしても届かない聖女として祭り上げたのは、ほかならぬ自分だ。それが彼女の本当を上書きして、彼女を追い詰めてしまったのではないかと今も苦しんでいる。彼女の生みだす美の試みだけを見て、彼女の真実に迫らなかった。手を伸ばせばよかった。そうすれば、なにかに触れ知ることも出来たかも知れない。彼女の苦痛を和らげ、独りではないと伝えられたかも知れない。手放してはならないものもあるのに。悔いだけが残っている。
評点:4+
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