子どもの危機をどう見るか

新しい学校がうまくいくといいと心から思って

『子どもの危機をどう見るか』
尾木直樹
岩波新書,2000年。


 学校絡みのニュースは聴くその度、暗澹たる気持ちにさせられる。社会性を養うための奉仕活動の義務づけに代表される恫喝的なスローガン、施策等の押し付け、さらには問題を抱える「極めて個性的な子ども」を隔離するともとれる発言など、時代の動きに対していよいよ逆行する学校の行方に、絶望さえ感じる。

 その様な暗澹たる先行きに対し、新たな教育の在り方を提言するのがこの「子どもの危機をどう見るか」だ。子どもが起こす事件や学級崩壊などが、一方的に押し付けられる「よい子」像に自分を無理に当てはめるなかで、子どもたちが自分に対する誇りを持てなくなり、自分の中に渦巻く感情を表現できないがゆえに暴発する現象であると分析する。しかし著者は彼らの在り方に新しい市民性の可能性を見出し、学校は彼ら子どもと教師、親、地域によって作り上げられる民主主義と自尊感情、自己責任を育む場へと転換するべきだと説く。

 これは多くの実践を通して得られた結論なのだろう。実際多くの国で同様の実践が行われ、アメリカではチャータースクールという新しい学校づくりの実践が盛んになっている。これらが良い結果を出しているのは認めよう。しかし、このような新しい学校間を取り巻く、民主的運営に際して、僕は著者ほど楽観的に見ることが出来ない。

 それは、僕が学校に通った十二年間で学んだことが原因となっている。学校は出来レースの連続だった。教師の思惑から外れた行動は抹殺され、子ども集団の多勢にそぐわない意見も同様だ。談合が支配する場で僕は、沈黙を学んだのだ。多数決主義ではない民主主義というが、社会化される学校においてその様なものは可能だろうか。結局は、発言力の強いものの枠組みが支配するに決まっている。

 学校で人間不信を学んでしまった僕は、旧来の学校も新しい学校ももう御免だ。けれど、大人としてなら新しい学校に関わってみたいと思う。昔の僕をすくいたい一心に。


評点:3+


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公開日:2000.11.27
最終更新日:2001.08.29
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