『リストラとワークシェアリング』
熊沢誠
(岩波新書)岩波書店,2003年。
この手の本は、読む前からすでに悲しい。
書かれていることごとが現在の雇用状況に横たわる問題を打破する施策として有効であること、使用者にとって圧倒的に有利な現状下で一方的に疲弊させられる被雇用者たちの救済策となるだろうことは、この本を手にする我々にとって周知である。すでに知っていることを確認したいためだけに買うのではない。同様の状況下で苦しむ人間の多いことに、心情的同情を持って相哀れむために読むのでもない。ひとえにここに示される理想的労働世界の実現されることを願い、そして我らの悲願がどれほど達成されているのかを知りたいと思う故である。しかしあえて自問すれば、望まれる社会が少しでも近付いていると、本当にそう実感したいためだったのだろうか。
ワークシェアリングの試みは、雇用の不足と低賃金低保証下での過剰労働を解決する一案として、数年前から注目されている労働のいまひとつのかたちである。目下の位置にしがみつかんと、無言で強いられる無償労働を買って出る。労働に割かれる時間がふくらみ続けた結果としての過労死過労自殺という悲劇的事例ももはや珍しくない。過大な労働が人間性を蝕むなら、例え収入を減らしたとしてもその雇用を多くの人間で分け合おうという選択がワークシェアという考え方である。
私にとって仕事は生きることそのものではなく、人生の一部に過ぎない。そのような私にとって選択的に得ることのできる短時間労働というのは理想であって、これもワークシェアの進行する先に存在する労働のひとつのあり方である。つまり、私は高度にワークシェアリングの進む社会を切望するひとりなのである。
しかしワークシェアに関して日本は極めて後進的である。私は本書を読む以前からすでにそのことを知っており、読み終えた時点で改めて突きつけられると分かりながらこの本を読みはじめた。冒頭悲しいと言ったのは、こういう事情からなのである。
評点:3
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