三国志

北方謙三の美学、男の生き様ここにあり

『三国志』全十三巻
北方謙三
(ハルキ文庫)角川春樹事務所,2001-2002年。


 演義ではなく、まして正史などではありえない。夢を追い友と語り合うという、アナクロなまでに懐古的な男性像が、骨太に描かれた北方版三国志。それぞれ胸に夢を抱いた男たちが、中原を駆け抜けてゆく。命を賭してまで真っ直ぐに夢に向かう彼らの姿に、僕はしばし憧れてしまうのだ。そうか、男の生き様というのはこれであるか。中心を担う人物は、おしなべてみな愚直であり、それゆえ純粋であるともいえる。やはりこれは北方謙三ならではの味であろう。力強さの賛美、男性的価値への徹底した傾倒。その単純明快さが本作の魅力であり、売りである。

 なかでも僕を惹き付けるのは、劉備、曹操を支える男たちの存在――蜀でいう関羽や張飛、魏においては典韋、虎痴らである。自らが主と認めた者を、ついぞ疑うこともなく実直に支える彼らのありように、主を通して大きな夢を見るという仕合せを見せつけられてしまう。特に張飛、虎痴のまさに盲目的なまでの信奉は、そのような夢を見せてくれるなにかに恵まれなかった自分を振り返っては、嫉妬さえ感じてしまう。この彼らの単純さも、また本作の魅力である。北方三国志には、一昔前のダンディズムが活き活きとしているのだ。

 さて、北方三国志で最もかっこよく描かれたのは、他でもなく呂布であろう。恐ろしく強いところ、思慮に浅いところまでは正史、演義に通じるところがあるが、他はもう美化の一途である。一人の女を心から愛し、彼女を失った後は愛馬赤兎のみを友としたニヒルな男。傷ついた赤兎馬の命と自らの誇りを守るために、戦いに散ってゆく悲壮な最期は、男泣きに泣かされる。もうこれは三国志にして三国志にあらずといってもよいくらいだろう。

 ちなみに、もう一人得をしたのが張飛。彼の最期も、ニヒルにしてかっこよかった(正史、演義とは大違い)。そして損をしているのは孫権。優柔不断で卑怯な男という印象ばかり。まあこの人はいつも損してるけどね。


評点:3


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公開日:2002.09.18
最終更新日:2002.09.18
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