『雀の手帖』
幸田文
(新潮文庫)新潮社,1997年。
よく語りながらも余地があるもの、これが名文の条件であると思っている。もちろん胆は人によって違えど、勢い込んでダダダダッと打ち出すばかりのものではなく、一字一句一文がきちりきちりと枠にはめられて心地よい文章。はめられてといっても窮屈ではいけない。ことを語るに充分の言葉が、吟味のうえ選び出されてはじめて文は生きる。この単純なことを僕に意識させてくれたのは、まさにこの本であったと思う。なにげなしに買って読んだ短かなエッセイだのに、読み終えたときにはガンとした感慨があって恐れ入った。すごいと思った、かくありたいと思った、枕元において日々の手隙に手に取った。
幸田さんの文章は、痩せも枯れもせず、実にふくよかだ。ふくよかといっても、やさしいというのとはちょっと違う。躊躇も容赦もなくずばずばと切り込んでくる凛々しさが気持ちいい。大げさ、けれん味のない清潔な文である。
使われている言葉が、平易な日常のものばかりというところには驚かされる。沢山の言葉を知っているのがいいみたいな風潮もあるけれど、それはまったくの嘘だと知れる。どんなに含蓄のある難しい言葉も、無理無駄のそれでは意味をなさない。必要なのは、ふさわしい言葉が己の位置を知って、適宜揃えられて整然としていることである。
さて、書かれているのも日常身近のことだ。作家の日常といっても普通の人のとさほど違っているわけでもなく、風邪だの入試だの習字だのと、誰でもの身に起こりそうなことが大半だ。なのになぜこんなに特別な出来事のように読まれるのだろう。まったく独自の視点ばかりでもない。誰もが思いそうなことばかりだのに、それが光に照らされて美しく映えている。その秘密とは、文の書きぶりそのものだと僕はにらんでいる。
精緻な筆致は彼女の観察眼そのものである。きっと僕は、日頃それほどまでにものごとを見据えてはいない。よい文も書けるはずがないというものだ。
評点:4
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