Sting “Englishman In New York” in: ...Nothing Like The Sun (POCM-2087)
この曲に引かれたきっかけがなんだったのか分からない。はじめて出会ったのはわずか五分間のテレビ番組。歌詞の日本語訳があったのかどうか、スティングのビデオクリップか或いはそうでなかったのかも覚えていない。ただその番組の最後に出た曲名とスティングというアーティスト名、それだけは忘れなかった。ということは、その五分に満たない時間で僕はこの曲に魅せられてしまっていたのだろう。
ニューヨークの英国人。彼の年齢や風貌は曲中では語られない。語られるのは、彼がアメリカに住みながらも、自国の文化、信条を貫き、自らを異邦人と位置づけているというそのことだけである。
僕は、この英国人の在り方に共感したいと思ったに違いなかった。僕は日本に住み、この国の文化で育ったが、それでも生きにくさを感じ、この国を捨て、ここではない何処かに移り住みたいと思っている。むしろ明確に、個人主義の息づくヨーロッパ、出来ればフランスへと移りたいと思っている。この国でさえ馴染めない僕は、疎外感の果てに、自分を異邦人と思いたがっている。世間と相容れない自分を感じ、出来れば、自分の文化と決定的に異なる外国に住み、本当の異邦人としての生き方をしたいと望んでいる。
そんな僕にとってこの曲は啓示だった。この国においても自分流にこだわり、長いものにまかれることを嫌っている、その僕がフランスに移り住んだとして、自分流を捨てることがあるだろうか。
この曲に引きつけられるものは、今生きているその場所に、生きにくさを感じるものだ。自分が自分らしくあることに困難を感じ、それでも自分らしくありたいと強く望むものは、この英国人の在り方に自分を重ね、そうありたいと願うだろう。
プライドを、自分が自分でいるための基盤とし、「誰が何を言おうとも自分を見失わない」。そういう生き方のもとでは、人は異邦人であり続けるのかも知れない。たとえそこが母国であっても。
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