一年生鑑賞教材
ある芸術家の生涯の挿話
Hector Berlioz (1803-1869)
ベルリオーズは、医者の息子であったことから、父親の跡を継ぐべく大学で医学を学んでいた。だが度重なる革命、動乱のため大学が閉鎖され、そのことから、以前より興味を持っていた音楽へと進路を変更することとなる。
ベルリオーズの生きた時代は、まさに激動の時代であった。フランス革命、産業革命という二大革命以後、新興市民が台頭し始め、絶対的な権力を有していた王族の権威は失墜した。
そのため、今までは宮廷に雇われることで生活していた音楽家たちは職を失い、また個人の意識がクローズアップされたことからも、音楽家たちが自立していった。
ベルリオーズは22歳のとき、イギリス劇団のシェイクスピア劇を観劇しており、その時に彼が、その劇団の女優、ハリエット・スミスソンに激しい恋心を抱いたことが、この作品を生み出すきっかけになったというエピソードがのこされている。
具体的に彼がこの作品で行った功績は、オーケストラを拡大したこと、交響曲に表題、物語性を付加したこと、その物語性を表すために、様々な手法――新しい演奏技法や、楽器の使い方、効果音的な音、を用いたこと、そして「固定楽想」を創案したことである。
「固定楽想」……楽章を通じて現れる、ある特定の事象を表す、テーマ
この曲に現れる固定楽想は、物語の主役である芸術家が恋した「女性」を表している。この「恋人」を表す固定楽想は、形を変えつつ、曲中に何度も出てくる。
ある若い芸術家が恋に破れこの世に疲れはてて、阿片を飲んで死のうとする。しかし毒物の量は彼を死なせるに足りなかったために、彼は深い眠りにおち、一連の夢を見る。その夢のなかで、芸術家の恋の物語がくりかえされ、幻想的で奇怪な解決へと導かれていく
はじめ若い音楽家は、悩める魂のなかに茫漠たる憧れを思い、恋人を見いださなかった昔の、そこはかとない憂愁や喜びを思い出した。突然激しい恋の熱情がよみがえり、燃え上がり、狂えるように心は悩み、嫉妬に怒り、またやさしい愛に立ちかえり、宗教的な慰めに達する
ある夏の夕べ、芸術家は野辺で二人の羊飼いがラン・デ・ヴァッシュ(アルプス地方の羊飼いの角笛の曲)を吹くのを聞く。その羊飼いのデュエット、周囲の情景、そよ風のなかの梢のそよぎ、ようやく感ぜられる希望の前途、それらすべてが芸術家の心を今までになくやすらわせ、彼の思索は明るくなってくる。だがその時、彼女のことが思い出され「もしも彼女がそむき去ったら」という痛ましい予感が彼の心を悩ます。羊飼いの一人が再び角笛を吹く……今はその答えはない……沈む太陽……遠雷のとどろき……孤独……寂寞
若い芸術家は夢のなかでその恋人を殺してしまう。死刑の宣告が下り、彼は刑場にひかれていく。刑場へ向かう行進は、時には陰鬱に、時には荒々しく、時にはきらびやかに、時には厳粛に、そして、間断なく重い足音を伴いながら進んでいく。最後に一瞬固定楽想がひらめく。生命を絶つ斧の一閃にたち切られる最後の愛の思いのように
若い芸術家は、自分が悪魔の饗宴にいて、彼を葬いにきたあらゆる魔法使いや妖怪変化にとりかこまれているのを見いだす。奇怪な騒音――うめき声や突然の哄笑や遠くからの叫びや、それに答えるような他の叫び声などが聞こえてくる。再び恋人の旋律が響くが、それはもはやあの高貴さも優雅さも失っている。今では俗悪で奇怪な舞踏調にすぎない。悪魔の饗宴に彼女が現れると歓声があがる。彼女は悪魔の無礼講に入りまじってしまう。弔鐘……〈怒りの日〉を模したふざけた曲。悪魔のロンド……そのロンドと〈怒りの日〉が一緒に響く