音楽科の授業で学んだこと

 わたしは今回の教育実習で、音楽科の授業を行うということがどういうことかということを、知ることができたように思う。今までは歌唱ならば歌唱中心の授業が続けられるだけで、一ヶ月か二ヶ月に一度、鑑賞がぽつりと入れられるだけという印象があった音楽家の授業であるが、毎週の二時間続きの授業のなかで、歌唱と鑑賞がバランスよく配置されているという形体を実際に目の当たりにし、目から鱗がおちる思いであった。

 今回の実習でわたしは初日から、授業を受け持つことができた。初日は歌唱のみ二時間であったが、翌日からは歌唱と鑑賞の授業を両方行うことができ、そのなかでそれぞれの授業のやり方の違いを知った。
 歌唱では主に、生徒に歌いたいという思いを持たせることが重要であり、指導教員の言葉を借りるならば、体育科の授業に似た性質を持っている。まず指導時には自分が率先して歌うことが大事であるが、そのほかに生徒が歌いやすいように伴奏を工夫すること、生徒が歌い始めるタイミングを明確にわかりやすく指示すること、同じことを無目的にせずステップアップを行うこと、などが必要であるということを学んだ。
 また鑑賞の授業では、時間が非常に限られるために、自分が伝えたいと思うこと、鑑賞曲のポイントを絞り、生徒にわかりやすく伝える必要があることを学ぶ。その上で、鑑賞曲を聴かせていくが、その聴いている最中にポイントを明示することも重要であった。鑑賞は比較的つまらない授業になりやすいと思っていたが、教材研究のやり方と、生徒への説明の仕方などの工夫によって、魅力ある授業にすることが可能である。

 しかし、歌唱にせよ鑑賞にせよ、教師のパーソナリティが非常に重要であることを痛感した。これは他教科の実習生とも話したことであり、また生徒からの感想にもあったこと、またさらに、その後いろいろな場で話したことである。
 それは、教師自らが明確な個性を持っているということが重要なのではないかということである。教師自らが個性的な一人の人間であり、その上で生徒の個性を受け入れていくことが必要であると考えたのである。生徒は一人一人が独立した人間であり、それぞれがそれぞれの個性を有している。その個性というものをひとつの尺度からはかるのではなく、いったん受け入れた上で、多面的な評価を行う、多様な良さというものを認めることのできる教師が望まれる。その際に教師自身が、生徒や他の教師とはまた違う個性を持つ人間として、生徒と向き合い、コミュニケーションをはかることができなければならないであろうし、何かその教師自身の考えるところの、いき方というものを主張できなければならないと思うのである。


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公開日:2000.08.12
最終更新日:2001.09.02
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