音楽作品の内的統一原理について考えたこと

 音楽を作品として内的に、意味的に統一する原理というものが、19世紀、20世紀において、様々なやり方で求められている。それは、古典的な作品からロマン派の作品にみることのできる主題の原理であったり、20世紀の、無調作品を秩序づけようとする十二音技法、ミュジック・セリエルといったものである。これらの、作品がある構成原理に基づき、一つの有機的な構造をなし得るものであるという考えは、近代以降のことである。特に、音楽作品が自律性を持ち、独立して存在するものとされてより後に、この考えは顕著になる。

 バロックやルネサンス、中世、そしてそれ以前においても音楽を何らかの原理に基づかせようという考えが存在しなかったわけではない。中世においてのそれは、天体のハルモニアの数的秩序に基づく、天体のハルモニアの模造としての音楽であったり、宗教的原理によるアレゴリーとしての音楽であった(国安1981: 196)。バロックにおいても音楽の類型的言い廻しにより多彩な感情を表現しようという情緒説(アフェクテンレーレ)というものが存在している(同204)。しかし、これらはいずれも音楽外的な要素に作品統一の原理を求めたものであり、音楽が自分以外の要素を必要とせず、自身が自身を構成するという音楽作品の自律が謳われるようになると、それらの音楽外的原理は退けられるようになる。また、音楽作品の自律とともに、作品というものが一つの生命体として取り扱われるようになった。これは音楽作品の核となる主題が、あたかも植物の種子のように成長、発展し、有機生命体の細胞のように全体を形作るものであり、そして部分と部分、部分と全体が、それぞれ必然的脈絡により結びついているものであるという考えに基づくもので、18世紀後半に有機的美学として理論化される(国安1991: 38-57)。この有機的美学は、音楽が音楽内的な要素により構築され、音楽外的な要素を必要としないことから、音楽作品の自律性と表裏である。

 音楽作品を内的な要素から統一しようという考え、有機的美学による典型的な形式は、ソナタである。ソナタでは「主題労作」という手法によりその作品の主題が発展させられ、またその主題から導かれた様々な要素が、主題による作品の統一を可能としている(中村1996: 137-140)。初期、例えばハイドン1 の、ソナタでの、主題による作品の統一は、特にソナタ形式による楽章において顕著であった。しかし、ベートーヴェン2 に至るとソナタ形式のみではなくソナタ全楽章を、ソナタの主題により統一するまでになった。またベルリオーズ3 による標題交響曲『幻想交響曲』では、全楽章にわたり現れる恋人の主題――イデ・フィクスによって、交響曲全体が一体のものとされる。この手法を発展するかたちでフランク4 等の循環形式5 、ヴァーグナー6 のライトモティーフ7 などが生じており、この様なある主題により楽曲を統一しようとする原理は、ロマン派、そしてそれ以降の音楽においての重要な、そして常套的な手段となっている。

 19世紀後半、調性が揺らぎ始め、無調に至ると、その無調作品を秩序づけようとするものとして、様々な統一原理が考案されるようになる。シェーンベルク8 、ハウアー9 により十二音技法が考案され、シェーンベルクによる十二音技法が規範としての位置を占めることとなる。そして、それはヴェーベルン10 、ベルク11 らにより展開される。

 第二次大戦後には、十二音技法をさらに発展させるかたちで、ミュジック・セリエルが考案される。ミュジック・セリエルは、新ウィーン楽派の音高のみをセリー化する技法を拡張し、音高、持続、強度とアタック、音色などの音楽上の多くの要素をセリー化するというものであり、メシアン12 により発し、ブレーズ13 やシュトックハウゼン14 によって展開される。このミュジック・セリエルはシェーンベルクの十二音技法が持つ、作品の意味的な統一性を保証するものとして作用すれども内在的な統一性を持たない、という欠点を克服するものとして出現している(長木1993: 211)。このように、セリーという、作品を統一しようとする原理が音楽のあらゆる要素に適応され、このセリーという原理が作品を隅々まで支配するようになる。このことにより、音楽の統一的な視点からの組織化が可能となる。

 このように、西洋の音楽の歴史には、作品をある原理のもとに統一し、作品中に何らかの意味関連を与えようとする欲求とその試みが様々な有り様を持って現れている。この傾向は芸術という観念が生じ、音楽を音楽内的な要素のみで理解しようとする考えが強まるに従い、そして音楽作品があらゆる価値から独立した自律的な価値を持つとされてより、より顕著である。この動向を導く諸要因としては、18世紀末の革命にみられる人間主義的な傾向から生み出される、人間の自意識の自覚、重視、そして当時徐々に高まっていた自然科学的興味の発展により見いだされた法則性、をあげることができると思う。即ち、以前には説明、理解され得なかった自然、科学の現象が、発達する自然科学により発見、見いだされる法則によって説明され、それらの現象がある原理に従い生ずるものであるということが明らかになったことが、音楽作品においての統一的原理を求めようとする根底を産み出す要因となったのであろうし、個人の価値がクローズアップされその個人、主体が求める自らと他に対しての意味、価値、そしてその半面として生ずる、その主体自らが生産するものに対して意味、価値を付与しようとする欲求が、個人主体によって製作される、作家という人間性と強固に結びつけられた芸術としての音楽作品においても、同様に追及されたのであろう。この意味において、音楽作品をある原理によって内的に統一しようとする試みは、19世紀的な価値において生まれた、極めて近代的な所産であると推察する。


引用、参考文献(著者姓の訓令順)

国安洋

高橋浩子/中村孝義/本岡浩子/網干毅(編)

長木誠司

中村孝義

1993-1995『ニューグローヴ世界音楽大事典』講談社:東京

注釈

1 ハイドン、ヨーゼフ Heydn, Franz Joseph(1732-1809)

2 ベートーヴェン、ルートヴィヒ・ヴァン Beethoven, Ludwig van(1770-1827)

3 ベルリオーズ、エクトル Berlioz, Hector(1803-1869)

4 フランク、セザール Hranck, Cezar(1822-1890)

5 ニューグローヴにおいて循環形式は、「主題の変形」の幅広い適用、個々の楽章間をより強固に関連づけようとする欲求、多楽章形式のより密接な結合を確立する方法、であると説明されている。

6 ヴァーグナー、リヒャルト Wagner, Richard(1813-1883)

7 ニューグローヴによると、ヴァーグナーは自分の意図を説明するためにこういったそうである:「新しい種類の劇音楽は、交響曲の一楽章のような統一を示さなければならない……ここでの統一は交響曲の楽章のように、『基本主題』を対照、発展、再構成、分解、結合することによって生み出されるネットワークのなかにある。」

8 シェーンベルク、アルノルト Schoenberg, Arnold(1874-1951)

9 ハウアー、マティアス Hauer, Josef Matthias(1883-1959)

10 ヴェーベルン、アントン Webern, Anton(1883-1945)

11 ベルク、アルバン Berg, Alban(1885-1935)

12 メシアン、オリヴィエ Messiaen, Olivier(1908-1992)

13 ブレーズ、ピエール Boulez, Pierre(1925-)

14 シュトックハウゼン、カールハインツ Stockhausen, Karlheinz(1928-)


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公開日:2000.08.16
最終更新日:2001.09.02
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