レス・ポール氏死去

 職場でのこと。昼休みにニュースを眺めていたら、レス・ポール氏が亡くなったとのこと。突然のことに驚いた。今朝がたのニュースでは、山城新伍氏が亡くなったといっていて、今年は印象的な人が亡くなる、そう思った矢先のことだから余計だった。

 私のまわりには、ギターをやっている人間がいない。この驚きや戸惑いを誰かと共有することができない。職場だったらなおさらだ。気持ちを持て余して私は、レス・ポール氏のニュースを探して、そしてニューヨーク・タイムズの記事にいきあたった。充実した記事。読み進めていけばたまらなくなって、泣けて泣けてしかたがなかった。この反応が意外だった。私はレス・ポール氏の熱心なファンといえるほどに、彼のことを知っているわけではない。ただ、彼の名前のついたギターを一本持っている、それくらいに過ぎないのに、これほどに泣けるというのが意外だった。

LPC-80 ニューヨーク・タイムズの記事を読み切ることはできなくて、しかし気持ちに収まりのつかない私は、Gibson.comを見にいって、ここにもまた充実した記事のあることを知った。世界は素晴しい先駆者にして音楽家を失った:レス・ポール、94歳で死去。私は職場では、これを読むことができず、きっと読めば大変なことになる、そう思ったからだが、なので印刷をさせてもらって、帰りの車内で読んだ。

 記事は、氏の足跡をたどるもので、ソリッドボディのギターを開発したこと、マルチトラック・レコーディングやテープ・ディレイなど、テクノロジーの発展に寄与したことを紹介して、音楽家としての栄光と、発明家としての成功を描くストーリーは、読んでわくわくとさせるものがあったが、しかしそうした気持ちの高まるほどに、彼の死を悼む気持ちも強くなる。記事の最後に載せられたメッセージ。彼の死を悲しみ、彼の仕事を称える、そうした言葉の数々に打たれた。涙が止まらなくなった。職場でなくてよかった。しかし、ここは電車の中。みっともないという気持ちもあったが、しかしそれは悲しさをとめるにはあんまりに非力で、つまり私は泣きっぱなしだった。

 日本では、レス・ポール氏といっても、たいていの人間は知らないだろう。ギターを弾いている人間でようやくわかる程度かも知れない。しかし、そうなのだとしても、今の音楽を聴く人間、またエレキギターを弾く人間は、彼の影響の下にあるのだと思う。クラシックを学ぶピアニストが、その教師をたどっていくことで、リストやツェルニーにいきあたることがあるように、ポピュラー・ギタリストは、たとえ独習であったとしても、自らのルーツに氏を見付けるのかも知れない。彼のなしたこと、作りあげたものが、直接に間接に影響を与えている。それはギターであるかも知れない、テクノロジーかも知れない、あるいは音楽そのものかも知れない。しかし、そうしたことを抜きにしても、レス・ポール氏は思ったよりも私の身近にあって、少なくとも私は親しみを感じていたらしい。突然のニュースに戸惑って、悲しんで、おそらく私はこれより以後、自分のギターを弾くたびに、少し切なさを感じるのだろう。

The World Has Lost a Remarkable Innovator and Musician

RIP Les Paul

June 9, 1915 - August 13, 2009

Welcome to the site of LES PAUL - The Wizard of Waukesha

 どうぞ、安らかにお休みください。感謝をともに、申しあげます。


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公開日:2009.08.14
最終更新日:2009.08.14
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