ハードディスクが死ぬ話

 壊れるときには壊れてしまうものがハードディスク。故障のレベルもいろいろあるのだけれど、機械的な故障となれば一部のデータが読み出せないというものから、ドライブそのものが認識しないというのまで幅広く、もちろん最悪なのは認識しない方。夏前に職場で呼び出された事案がちょうどそんな感じで、私はハードウェアには弱いから(壊れたら買い替えればいいと思ってる)無理です、わかりませんといって帰ったのだが、その後業者に依頼したら無事復旧したとの話だ。認識されなくなったとしてもなんとかする手段はあるんだなと、そんなことを漠然と思った。

 今日のことらしいのだが、ひいきにしている人のコンピュータ、ハードディスクが壊れてしまったらしい。復旧しない、読み出せない、ヘッドかボードか。とりあえずはっきりしているのは、私のどうこういえるレベルの故障ではないということで、私はとことんハードウェア系には弱いものなあ(といっても、ソフトウェア系に強いわけではない)。人間誰しも向き不向きはあることは理解しているけれど、応援したいと思っている人が苦境にあるのに助けられないというのは少々つらいものがあって、けどそれをこんなところで書いたとしてもなんの意味もないことは百も承知なのだけれども。

 自分の使っているコンピュータもそろそろ壊れはじめる時期じゃないかと思いながら、バックアップらしいバックアップはとっていないからいざというときが心配だ。最悪、iTunesのデータさえ確保できればいいと思ってるのかも知れない。Web関係(つまりこととね関係)のデータが消えたとしても、まあそれらはすでに公開済みであるわけで打撃はないし、仮にすべて消えたとしても、Web上のデータも消えたのだとしても、ショックを受けつつこととねを解散しちゃえばいいだけの話だ。趣味でやってる分にはコンピュータも気楽だね。でもさ、それが仕事だったらと思うとやっぱりぞっとする。まあ、職場のコンピュータが死滅しても自分には痛くもかゆくもないのだけど(必要ならまた一から作り直せばいいさ)、現実問題としてはそういう理屈は成り立たないから、やっぱりバックアップは常日ごろ怠るべからず、なんだろう。

 傘を持たない日に降られることの多いように、バックアップを怠ってるときにこそコンピュータは壊れるのかも知れない。バックアップがあればさほどのダメージじゃないから、雨をしのいだときの記憶が残らないように、きれいさっぱり忘れてしまえるということもあるのかと思うが、それでもバックアップはしといたほうがいいのかもなあ。でも、今日に限ってはそういう教訓めいた話よりも、壊れたというディスクが無事に復旧されるほうが大事だよなと思ってる。その人のためにもそう思う、また自分のためにもそう思うのだと思う。けど、やっぱりその人のために思ってるのだと思いたい。

 私らはなにか起こったとき、往々に最悪を想定しやすいけれど、現実が常によりましな方向に振れてくれればいいと本心では期待してる。期待をあらわにしないのは、その期待が消え去ったときのダメージを怖れてのことだ。だけど、やっぱりどこかでなんとかなるんじゃないかと期待している。その期待が期待したようになってくれれば万事こともなしだ。今回ばかりは本当にそうあって欲しいものだと思っている。


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公開日:2006.08.28
最終更新日:2006.08.28
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