楽しく国際交流

 PostPetやりたさにSo-netに入会し、インターネット環境が整備されて、以前からやりたいと思っていた海外文通に取り組もうと決めたのでした。そもそも、その頃のインターネットの売りからしてが、海外に開かれたネットワークというものだったように思う。雑誌には、海外通販や個人輸入の方法を紹介する記事や特集が踊り、自ずと海外、それも米国への興味はつのるばかりでした。これは、当時のネットワーカーの大半が感じていた、ネット上の空気だったのではないでしょうか。

 メールアカウントを、snowdropという日本人よりも英語話者を意識したものに決めたのも、この海外文通を見越してでした。商用パソコン通信で使っていた(今も使っている)ハンドルの雰囲気を保ちながら、英語話者から見て覚えやすいアドレスにしたかったのです。

 So-netに入会したその翌日には、英語でのメールを受けていることから考えても、どれほど海外文通に乗り気だったかという、そのほどがわかります。メールが使えるのを確認して、すぐさまPen-Pal募集サイトに登録したのでしょう。プロバイダの入会承認メールの次に受けたのが、まさにPen-Palサイトからの登録確認メールだったのですから。

 サイトを探すのは簡単でした。Yahoo!にいって、Pen-Pal或いはcorrespondenceをキーワードにして検索すると、関連サイトが続々と出てきました。リンクを辿ってサイトに行ったら、英和辞書を引きひき書いておいた自己紹介を、貼り付けて登録して終わり。これを、二三サイト、いやもっとだったかも知れないに繰り返して、後は待つだけでした。

 その登録したその日のうちに一通目のメールが届いています。これを皮切りに続々とメールは届き、連日対応に大わらわでした。辞書を片手に自己紹介をし、趣味を興味を所属を書いていくのです。相手が聞いてくることに応え、なにか新しい話題を書こうとする。けれど苦手な英語、うまくはいえずやきもきすることもしばしばでした。

 差出人の国籍も様々でした。ヨーロッパからのメールは少なく、多くはアジア系、そして米国でした。トルコからタイ、韓国。プエルトリコやカナダもありました。面白いことに、アジア圏から届くメールは文通そのものを目的としているところがあり、米国からのメールは純粋に自分の趣味に関する情報を欲したものが多かったのです。

 日本人だというのが利いたのでしょう。ジャパニメーションに関する話題が最もホットな話題になりました。米国でも人気のセーラームーン、らんま1/2、その片鱗を見たように思います。アリゾナのJoshにはらんま2/1の最終巻を贈るという約束までしましたっけ。熱心なファンの存在には、正直頭が下がります。

 何人が通りすぎていったのか、はっきりいってわかりません。けれど、一人減り二人減りで、一番長続きしたのは、最も初期からメールのやり取りをしていた、タイの女学生、Tayeでした。当初は大学生だった彼女も卒業して、雑誌編集の仕事に携わりながら、留学しようとしている。日本に行きたいが資金面の問題から中国になりそうだ、というメールを最後にやり取りが止まっています。

 こうして思い返すと、カルチャーショックもありましたが、楽しいことばかりが思いだされます。出来ればまた再会したいと思いますが、なにぶん日本語のメールでさえ滞りがち。懐かしんでいるばかりなのです。


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公開日:2001.06.02
最終更新日:2001.09.02
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