思えば、四年前がパソコン通信、NIFTY-SERVEにおける、最後の盛期だったように思う。新規参加者も続々と、従い発言数も増えるという道理。いうならば、もっとも面白い時代だったといえるだろう。
NIFTYに入って最初は、たいていの初心者と同様にいくつかの基本的で穏やかなフォーラムにしか参加せず、いうならばネット社会での基本といったものを学んでいる時期にあった。しかし、ある程度発言を重ね知ることも多くなるにつれ、好奇心も増大する。そうして、新たなフォーラム開拓を始めていくのも、たいていの初心者と同様だ。
今のインターネット全盛の時代においては、パソコン通信というのも古くさく、一体どういうものか知らない人もいるかも知れない。補足すると、フォーラムというのはひとつのテーマとなるトピックをまとめる単位であり、フォーラムごとに最大二十の電子会議室が開設されることとなる。今の、BBSとFTPの機能を担っていたものと思っていただければ、想像に遠くないと思われる。
様々なフォーラムに参加しては、フォーラムごとに異なる文化、価値があることを知り、馴染めないとあらば消え、面白そうなフォーラムを見つけては転々としていた。
その転戦の繰り返しのなかで出会ったのが、Macintoshの初心者を対象とした、Mac ビギナーズフォーラムだった。ここの雑談の会議室が、参加者発言数ともに多く、話題も豊富であったため知らず居着くことになった。
発言数は当初、一日あたり三百通弱だった。あまりの多さにひるんだものの、一括で全発言をダウンロードしオフラインで読む環境が整っていたため、参加もそれほどの苦ではなかった。いや、むしろこの状況を楽しんでいたともいえる。ものすごい勢いで流れる発言の中で、自分も発言を繰り返し、レスをやり取りする中で知り合いも増えていった。
参加者が多いということは、自然近場の人間も増えることとなる。話の流れから実際に会おうということになり、いわゆるオフにも参加するなど、オンライン、オフラインともに活発に活動していた。
それが四年前のこと。だが、状況が徐々に変わってきたのは、それから一年ほどが経ったときだった。
多くの発言が会議室を活性化させ、新たな参加者を次々と喚んだのだと思う。会議室参加者は日に日に増え、相乗的に発言数も増えていった。少し最近多いかな、と思っているうちは良かった。その時点で一日あたりの発言数三百超過。ひとつひとつを読んで返事を書ける余裕は消し飛んでいた。
大学から帰るとまずコンピュータの電源を入れ、ログのダウンロードを開始させる。通信ログをダウンロードさせるだけで十五分ほどかかり、ログカッターがログを展開するのにも同じくらいの時間がかかった。コンピュータの前で無為に時を過ごすのを嫌い、その間に食事を摂り、食事を終えるとすぐにコンピュータの前に戻った。
膨大な発言から自分宛のコメントを見つけるのは実質不可能に思われた。そのため、ハンドルを検索して自分宛のコメントを一括表示させる。それに対しコメントを書き、アップロードする。一度でも滞ればもうコメントできないという危機感がつきまとい、この雰囲気が発言の乱造を招いた。アクティブな参加者のすべてが、同様の状況にあったといっても良い。
発言数が一日四百通を越えるころには、夕食時のダウンロードはもうやめていた。深夜四時過ぎにコンピュータを自動起動させ、ログのダウンロードとログカットをさせて、自動的に終了させていた。その深夜に落としたログを大学から戻って読み、コメントをする。そしてアップロード。状況は、いよいよ切迫し、ログを読みコメントを書くだけで数時間があっという間に過ぎた。
新年度が始まるころは、環境の変化に合わせコンピュータを購入するものも増える時期である。すなわち新規参加者も増える。当然、発言数も爆発的に増えた。
一日あたり、五百発言を越えたのがこのころだ。NIFTYの会議室は、システム的に999発言しか保存しない。最大数を越えた発言は、過去に押しやられもう読むことが出来なくなってしまう。
一日、ログ読みをさぼると自分宛のコメントを逃してしまう。この危機感は、さらにコメントを増やさせ、それ以上に参加者の余裕を奪った。場は荒れ、とげとげしい言葉が誤りを犯した新人に浴びせられ、結果はじかれるものも増え、そこにはすでに僕が魅かれた往時の雰囲気が無くなっていた。
思いだせば懐かしくさえ思うけれども、もう戻りたいとは思えない。得たものも多かったけれど、失ったものも多かった。
当時の知り合いとの親交もない。思いだす名前もあれど、無常観に胸は塞ぐ。