QuickTimeのもたらしたソフトウェアMIDIの世界。少しでもいいMIDI環境が欲しくて、素直にMIDI音源を買えばよかったのに、より速いマシンとして、型落ちして市場から消える間際だったLC630を二台目のマシンとして購入したのだった。
すると、Performa550はどうなったのだろうか。うちでコンピュータを扱う人間は自分一人。はっきりいって新しく買ったLCが一台あれば、自分の用途には事足りる。余剰の一台を持ったところで、それを活用できる筈もなかった。
一台目のMacintosh、Performa550。一旦は売るという話もあった。
Macintoshが縁で知りあった作曲の先生。本当はシンセサイザーの授業をとるつもりでMacintoshを買ったが、結局その授業はとらずじまいだった。けれど、一度も講義、実習を履修しなかったにもかかわらず、その先生とは非常に親しくしてもらえている。それはひとえに、Macintoshユーザーとしての連帯意識があったためだろう。
その先生が、僕より一年下の作曲の学生が、シーケンスソフトを走らせるのにMacintoshを欲しがっているがお金がない、ならばその余剰の一台を彼女に安く譲ってあげてはどうかと紹介して下さったのだった。
実に話はとんとん拍子に進んで、バンドルされていたソフトウェア群も含めて、彼女にPerforma550を十万円で譲ることに決まった。だが運搬の手段、支払い時期を煮詰める段になって、そこで僕の心が揺らいだ。
「手放したくない」
それだけが心を占めたのだった。
もし彼女に十万でPerformaを売れれば、それをLC630の購入資金に充て、モニタ代の四万円を捻出するだけで環境のバージョンアップができた。だが、Performaには金に替えられない価値があった。それだけのものになってしまっていたのだ。
はじめて購入したコンピュータに戸惑いながらも食いついていった、トライ&エラーの日々。システムフォルダの中身をあさり、雑誌の付録についたフリーウェアを試し、ソフトをバージョンアップするごとに劇的によくなる環境に感動さえ覚えた、いわばコンピュータ習熟の同志としてあったPerformaは、すでに金に替えられるものではなくなっていたのだ。
結局、商談は破談。彼女には当時LC630と同様型落ちして劇的に値を下げたPerforma588を奨め、Performa550は手元に残った。
Performa550は家族共有のコンピュータとして家族のオープンスペースに置かれることとなった。はじめはコンピュータを触ることに恐れさえ抱いていた家族も、大量にインストールしておいたフリーウェアゲームのおかげか、次第になれ親しみ、今やごく自然に使えるようにまでなっている。
そして、Performa550はネットに接続する端末として僕の世界を開くきっかけとなってくれた。
今、そのPerformaは手元にはない。三台目のMacintoshとなるiBook購入でいよいよ今度こそ行き場が無くなり、友人宅に貸し出すというかたちで稼働保存をしているのだ。きっと今もその友人宅で、圧倒的に非力ながらもネット端末として、現役で頑張っているはずである。