当初僕は、NIFTY-SERVEのまだ充分とはいえないISP機能で満足していた。というのも、当時Webにあったサイトのほとんどがまだ発展段階にあり、情報の収集や交換において、古くさいテキストベースのパソコン通信はいまだ現役といえるだけの余力を残していた。Webをさまようのも週に一度や二度であり、あえて新参のISPに乗り換える意味を見出さなかった。
九十七年のこと。振り返ればずっと昔のようだ。
そんな、インターネットに対して怠惰だった僕を突き動かしたのは、当時講読していたMACLIFEに掲載された一枚の広告だった。PostPetのサービスが始まるというもの。β版の試験運用中で、無料でダウンロード、試用できるという。最初は意味もわからず見ていた広告だったが、このソフトの持つ遊び心に興味をもって、ぜひやってみたいと思った。
開発当初、PostPetはMacintosh版からスタートした。すでにWindows優位の情勢下で、Macintosh対応のサービスが徐々に先細りしていた時分だったのも手伝ってか、多くのMacintoshユーザーはPostPetに熱い視線をそそいでいた。当時参加していたMacintoshユーザー向けの電子会議室でもPostPetの話題がちらほらと出始め、決して少なくない参加者がソフトをダウンロードし、ペットを飼いはじめていた。
僕も同様だったわけだ。その頃のNIFTYはSMTPをサポートしていなかったため、おひざ元であるSo-netに入会し、PostPet環境を整えたのがすべての始まり。β2からの参加で、著しく不安定な動作に泣かされながらも、開発者と連絡を取り合いながら、徐々に安定していくバグフィックス版を次々とダウンロードしていき、ソフトの性質上、自分一人ではなにも面白くないため、PostPetユーザーは会議室でペットのお友達を探し、メールを交換する相手を募っていた。選り好みするよりも、PostPetユーザーの知り合いが欲しい、そういう空気が濃厚だった。
爆発的に、ネットの知り合いが増えたのはまさにPostPetの力だった。
PostPetのパティオが相次いで開設され、ペット自慢から連歌というペットをお使いに出すがための企画が次々と催されて、この先なにがどう変わるかわからないといった面白さのなかで、皆が皆、躁状態だった。
初代のペットは、β版ではくましかえらべなかったため、もちろんくまだった。名はさくら。だが、この初代さくらはソフトのトラブルであっという間に消え去ってしまうという憂き目にあってしまった、不幸者だった。初代さくらに訪れた悲劇に落胆しながらも立ち止まってはおられないと二代目を迎え入れ、性別が男だったこともあり、また同じ名を冠するのもはばかられて、彼はおかわりさんと名付けられた。
いずれ時が過ぎ、おかわりさんは去っていってしまった。ソフトは正式にリリースされ、三代目として選択されたのは猫、初代の名を襲いさくらと名付けられた。さくらは実によく働き、人と人との仲をつないでくれた。
だが、時過ぎておかわりさんが去ったように、人もいずれ一人二人と去り、PostPetを使う知り合いはもういない。より便利なメールソフトへと移った知り合いもいれば、ネットそのものを思い出とともに捨てた知り合いもいて、もう往時の面影はなく振り返れば侘びしさばかりが目に映る。
おかわりさんは今もムーンにいるのだと思う。あの時、ペットを送り迎えあったPostPetユーザーたちも、彼らの生活をしているのだろう。今もってやり取りのあるものもいれば、ないものも多い。わずか数年前のことだというのに、振り返ればはるか昔のようだ。