スペランカーという、ファミコン時代にその勇名をはせたゲームがある。名作だからではない。主人公があまりに死にやすかったためだ。自分の背丈ほどの高さから落ちて死に、こうもりの糞にあたって死ぬ。誰もが、こんなゲーム、クリアできるはずがないと思う。それぐらい、簡単に死んだ。
だが、人間というものは凄い。これをクリアできるようになるのだ。
尋常でないゲーマーがいた。彼はいたって普通の男に見えたが、ゲームプレイに関する抜群の才能を持っていた。その才は主にアクションゲームに対して発揮された。絶妙のタイミングを測る眼力と屈指のパターン分析力を備えて、それらを生かす反射神経と技術を持っていた。きっと彼はゲームと対話し、われわれには見えないものを見たのだろう。
ひ弱さで名を売ったスペランカーが、彼の手にかかれば屈強の冒険家――とまではさすがにいえないが、普通の成年男子なみに感じられた。難関の数々をものともせず、まだ見ぬ境涯を突き進んでいく彼は、誰の目にも頼もしかった。地底のピラミッドを制覇した彼は、二巡目三巡目をもクリアしてのける。われわれは彼の雄姿に驚喜し、心からの称賛を惜しまなかった。これは少年時代の思い出ではない。われわれは大人で彼もそうだった。平成の時代の物語なのだ。
スペランカーの謎は、クリアするごとに理不尽さをいや増していった。二巡目にその位置を変えたアイテム群が、三巡目には消えた。四巡目には、アイテムのあった位置でジャンプせねば獲れなくなる、といった具合にいやらしさはなお強まったが、それすらも彼は見抜き、クリアした。だがそのチャレンジの連続も終には、極まった謎の前に倒れた。それでも、われわれは彼を立派だったと讚えたい。
かつてゲームは、制作者がわれわれに叩きつけた挑戦状だった。多くわれわれは破れたが、それを勝ち抜くものも中にはいた。彼もその一人。彼らこそ、本当のゲーマーである。