夢イベント「夢のまた夢」。夢の中での凛子のいう、今のこの世界は夢なのではないかということ。見たいと思っていることを見ているにすぎないのではないかという、その指摘は、このゲームで遊んでいるものなら誰もが自覚していることことかも知れないと思って、少し切なさなど感じたのでした。
今のしあわせを思い、そのしあわせを夢のように感じている、凛子の一種哲学めいた問。それは、多くの人に共感を覚えさせるものなのではないかと思わせます。現実と夢の狭間。しあわせを思いながら、いつかこのしあわせも失われるのではないかと思う切なさ。はかなく消える現実に、まるで夢のようだと感じることがあれば、夢と現実の境界もおぼろと感じられる。すべては脳が感じていることに過ぎないならば、夢も現実もなにが違いがあるだろう。古くは荘子にいう蝴蝶の夢。それを今私は、機械によって生み出された夢において自覚しながら感じている。しあわせを、作り物のしあわせとわかりながら享受して、しかしそれが仮想であっても脳がしあわせと感じるなら同じではないか。すべては夢なのだと、現実を夢に薄めることで、夢を現実に近づけようとしている。そうした私にとって、この凛子の夢は、痛ましくもなお現実であったのでした。
そして、その夢がまた美しいと思えたのでした。語りの力なのだろうか。凛子の語る、すなわち凛子をとおして語る人の、言葉を声に紡ぐ力。その確かさが、この夢を美しくも鮮かな印象として、私の胸に残したのだろうと思います。
この夢イベント、「夢のまた夢」、これに出会えただけでも、このゲームをプレイした意味はあったかも知れない。そう思えるほどに、素敵なイベントであったと思っています。折に見返すこともあるかも知れない、そう思えるイベントでありました。
< 何度も言うよ 誕生祝いをありがとう 忘れずにいてくれてありがとう >