ステンレスの水筒。昔そういうアイテムが欲しくてたまらなかった。水筒といえば丸くて大きくて大人向けとなると少々武骨で、そういうイメージが昔はあった。でも、ステンレスの水筒、それは細身の円筒形をして、素材の銀色もしめやかに、ひどくスマートでおしゃれなものに思えて仕方がなかったのだ。そんな水筒が欲しくて仕方がない時期があった。男には少々スマートすぎるように思うけれども。
それを手に入れたのは偶然の出会いのようなものだった。カードを使うとその利用額に応じてたまるポイント、そのポイントがたまたまステンレスの水筒に達していた。三年前のことだ。
その頃、まだ生活に――というかまだ気分的に――余裕のあった僕は、水筒に日替わりで日本茶だったり中国茶だったり、紅茶だったりを入れて学校に通ったものだ。その頃のカバンはドーナツ屋でもらった麻のトートバッグ。気分的には毎日が遠足のようなものだった。論文を目前に、そもそも遠足なんてのは嫌いだった僕だけれども。
学校を卒業して、ステンレスの水筒はしまわれたままだった。そもそも水筒を持ち歩かなくとも、出歩くこともないし、仕事先にはお茶もコーヒーもあるのだから。
水筒というのは、ちょっと内向きに感じないか。内向きというのとはちょっと違うけれども、自分の大切なものをいとおしく美しいままに抱きとめておきたいという、そういうささやかな、なにげない生活の日々に思う心が見えないか。その飾り気のないステンレスの硬質さを通し、うちから伝わる温度。ストイックな金属の生真面目さは、その暖かいうちなるものを守ろうとする、かたくなで健気な態度に思える。
僕はそういう水筒をひとつ知っている。その水筒には紅茶が入れられていたという。
ステンレスの水筒には紅茶を入れていこう。できれば、おいしい紅茶を、入れていこう。