憶えのある少女

 梅田へと向かう電車で、隣り合った女の子に見憶えがあった。初めは、可愛いい制服の女学生くらいに思っていただけだったのだが、電車が動き出して、ふと見た横顔で気が付いた。数年前、教育実習先で会った少女に良く似ている、その時中学一年生だった彼女は、今頃はもう高校の一学年目を終えようとしている筈だ。

 そんなことを思いながら、少女の横顔に見入っていた。気取られないよう気にしながらぬすみ見る内に、少女もこちらを気にしているのに気付いた。向こうでもこちらを憶えていて気にしてくれているのか、あるいはうさんくさげに見遣っているだけなのか。実は声を掛けようかと思案していたのだった。なんと言って口を来るのが好いか、もし間違っていたら、しかし違えたとてその後また会うわけでもなし、などと逡巡している間に、電車は梅田駅構内へ入っていってしまった。

 この少女に会うのは今が初めてではなかった、確かに実習の時に会ったといえばそれも会ったうちではあるが、それを除けても彼女とは二度目である。あれは年の改たむる以前であろうか、やはり電車内でのことだった、その時も同じ制服で、赤い大きなチェックのスカートを憶えている。彼女は目立つ子ではなかった、クラスの中にちんまりとして座っている、多勢の苦手な、深刻な世界にともすれば負けてしまいそうな、弱々しげな灯しを抱えた子だった。だけれども、これは明らかに、彼女は幸福の子であった、幸福の子であった。実習の最後の日、皆の中で精一杯にうたを送ってくれていた、彼女を忘れることは出来ない。

 電車が停まり切る前に立ち、彼女の方に背を向けた。彼女は立つ気配さえ見せない。電車が停り、立ち上がった彼女を背なに感じながら降りた。彼女の居るを確かめながら歩いている、その時ふいに彼女の名前を思い出した。

 一期一会という、そんな中で一度ならず二度まで回り合えた、以前は二度と会うこともないと思った、今度は違う、縁のあればまた一度くらいは会える日も来るだろう。

 今日は佳い日のような気がする。

平成十年三月十一日(水)


昨日、梅田へ出たわけ

 昨日、梅田へ出たのは、そこから地下鉄で難波に行くためだったのです。母からなんば高島屋で催されているコートールドコレクションの招待券を貰ったのでした。印象派なんて今更なんて思いながら行ったくせに、それがなんととても良かったのでした、偏見、思い込みの類は、眼を曇らせます。

平成十年三月十二日(木)


展覧会では、

 展覧会では、勿論絵を見るのだが、なかなか人を見るのが楽しい。つぶさに見る、さらっと見る、人となりが出て、絵になっている人もいる。外国のお嬢さんがいて、この人は本当に楽しそうに見ていた、日本にはまだ芸術をおしいただくという感じの人がいて、わかるわからんとかいってる人もいて、見ることの楽しさを自分から失わせてるみたいな人もいて、それはとてもいけない。と、これも偏見なのですけど。だから、やっぱり日本にも本当に楽しそうに絵を見る人もいて、そういう人と出会うのは、こちらも楽しい、それぞれの見方、その人となり、その人の楽しさ、好き、があるところは人の展覧会、だからとても楽しい。

平成十年三月十三日(金)


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公開日:1998.05.04
最終更新日:2001.09.02
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