仕事に行く途中、小学校から行進曲が聞こえてきた。運動会が開かれているのだろうと思い、そして嫌な気分になった。なぜなら、僕は運動会が、とりわけ小中学校でのそれが、大嫌いだからだ。
運動会は最悪だ。個人の自由というのがまったくない。そこは全体主義の王国だ。
開催の日まで、徴集された子どもらは、マスゲームの練習に駆り立てられる。なんのために? チームのためだ。われわれは、自分たちの思惑とは関係なしに、チームに割り振られる。われわれはチームのためだけに存在する。われわれは、一糸みだれぬ応援の練習をし、それはさながらシュプレヒコールだ。
われわれは民族舞踊を踊らなければならない。僕は、運動会で京都の踊りを踊ったことが一度もない、京都出身なのに。どうしてだろう? 踊ることは統制のために利用されているからだ。群舞のなかで、われわれの個性は消し去られ、われわれは全体の一部となる。
僕はそこにいることが出来ない。僕が僕でいられない場所なんて、愛しようがない。
(初出:Les douze mois au Japon, mais selon moi,オリジナル:フランス語)