少年は英雄だった。
少年たちの遊び場にはたくさんの木が繁っているのだが、その木々から離れたところに、ひときわ高く樹が一本、天をついて立っていた。
はじまりは少年たちの好奇心だった。その樹の上に巣がかけられていた。地上からは黒い、小さな影にしか見えない、その鳥の巣に雛が何羽いるかという、ささいな問いかけが発端だった。
少年たちは先をあらそって樹に取りつき、鳥の巣を求めて登りはじめた。はじめはほんの少し、ほんの少しばかり、例の巣への遠さを縮めたにすぎなかったが、そのうちの一人、群を抜いて高く登ったものは、称賛をもって仲間に迎えられた。鳥から見れば、かなしいくらい地上での出来事だったのだが。
少年は仲間にならって、彼をたたえた。手を打ち声をあげる、心の内に、うらやみとくやしさを織りまぜながら。
少年たちの遊びはその後も続いた。この危険な挑戦に気付いた大人たちは、これを禁止したが、少年たちの情熱と興奮は、その声をかき消した。
挑戦の続くある日、ついに少年の手が誰よりも高く伸ばされ、まだ誰の手も触れたことのない木肌を捕えた。地上に降りた時、少年は英雄だった。少年は誇らしく、仲間たちの称賛を聴いた。少年によって、地に落とされた、先程までの英雄も、皆に交じって手を打ち、声をあげていた。おそらくは心の内に、うらやみとくやしさを織りまぜながら。
少年が優越感にひたっていられたのは、そうながくはなかった。後のものの手が彼の足を捕えようと伸ばされるとき、少年は焦りと恐怖にふるえた。だから少年は、高みを高みを目指した。誰の手も届かない、高さだけが、少年の唯一安心できる場所だったのだ。
小柄で細かった少年の四肢は、強く太い筋肉がつき、手はしっかりと木肌になじんではなさなかった。少年のあとを追っていたものたちも、一人また一人と戦列をはなれてゆき、地上から少年の雄姿を見守るようになっていった。
少年がより高みを目指し、過去の英雄もとうに退いて、なお少年は登ることをやめなかった。少年を追うものはもう誰もいない。しかし少年の求めるものは高さしかなかった。
高みから見下ろす地上。人が虫のようだ。そこから見るすべてのものは、少年からすればなんの意味もないものだった。なにものも少年には追いつけない。それでも少年は満足しなかった。なんの価値もないような地上を捨て去るように、少年はさらに高みへ。世界の意味がそこにあるとでもいうように。
今日も登りつづける少年の目に、黒々としたかたまりが見えた。すっかり忘れ去られてしまっていた、鳥の巣が今にも手の届きそうな位置にあった。古びた目標を思い出して、少年は巣を目指し、そしてその中をのぞき込んだ。
鳥の巣には、何もなかった。かつて住んだものがいた痕跡を、数枚の汚れた羽根に残して、巣は静かに黙り込んでいた。
ふと見回すと、そこはすでに空だった。どこにも地上とつながるものはなく、少年はついに目指した高みへとたどりついた気がした。見上げると、だんだんに細くなってゆく幹の先に梢があり、その先は、本当に空しかなかった。
その途端、少年は急におそろしくなった。めまいに見舞われ、必死の思いで樹にしがみついた。ただ登ることだけを考えてきた少年には、もう地上に帰る手段がなかったのだ。高所をわたる風が、少年を樹から引き離そうとし、少年は後悔とともにふるえるばかりだった。
少年は独り、自分の望んだ世界で、途方に暮れるより他はなかった。