ああ、祭りが終わってしまった

 オリンピックが終わってしまいました。

 オリンピック期間中は観戦に忙しくて、勉強が全然進まなかったのですが、それでも僕はオリンピックは面白かった、良かった。

 だから終わってしまうのは日常を取り戻せていいことなんだけれど、でも非日常から日常への移行というのは安心とともに寂しさがつきまとう。

 開会式が始まったとき、それほど僕は乗り気じゃなかった。開会式の主役のあの子、ニッキー・ウェブスターを見て、フルハウスのステファニーみたいでかわいいなあ、とか思ってたくらいだったのだけれど、実際に祭りが進行して、各国選手の入場、韓国と北朝鮮の同時入場、統一旗、東ティモールからの個人参加選手。

 これはなにかすごいぞと思わせるものだった。そして、僕は非日常に入っていたのだった。

 今年のオリンピックは、思わず柔道や体操にいれこんでみたり、常勝と思われていたカレリンが金を逃したり、意外なこともあって、その中には何度もこのサイト中でいってきたように、痛ましい事例もあったりなんかして、でも楽しかったんだと思う、その痛ましいこともみんな含めて。

 今までは蚊帳の外から眺めているだけだった、いや今回も結局蚊帳の外なんだけれども、公式サイトに行ってファンメールを出してみたり、抗議のメールも出してみたり、自分としては非常に積極的に参加したんだ。今までだったら考えられないくらい。

 ロシアの体操選手、エカテリーナ・ロバズニャク。個人種目別の跳馬で銅、平均台で銀。かわいかったなあ。もちろんそれだけが理由じゃないけど、彼女がまず目にとまらなかったら、ここまで体操に興味は持たなかったと思う。ということは、ホルキナの段違い平行棒も観なかったろうし、ラドゥカンの件についてもあんなには思わなかった。

 ロバズニャクにはオリンピックサイトからファンメールを一通、ラドゥカンにはお誕生日おめでとうメールも含めて、都合三通出してしまった。彼女は体操やめないっていってたしよかった。

 きっと僕のメールなんか読んでくれちゃいないだろうけどさ、そんなことはどうでもよくて、次にまた彼女らが頑張ってくれるとうれしい、とそう思う。

 次? アテネ大会じゃなくて。

 競技を楽しむには、まず選手を覚えることから。これから、体操の選手権等、アンテナをはろうと思っている。こう思うようになったのは、本当にこのオリンピックのおかげだった。少し世界を広くしてくれたんだ。

 ああ、今回のオリンピックは面白かった。けれど、テレビという機械の前で、遥かなはてより見ている自分が、少し寂しい気もしたりして、人というものは、いつまでも人を求めながら、寂しいものだと、思っちゃったりしたりして。

 僕の人生には、一度もスポーツ選手を目指すという選択肢が、でなかったんだ。

 ああいう場に、どんなかたちでもいいから参加してみたい。混ざってみたいと思う。もし八年後にオリンピックが大阪に来るようなことがあったら、ボランティアとして参加できるものならしてみたい。本当にそう思う。

 閉会式を観ていて、形式張ったセレモニーから、歌あり踊りありのお祭り騒ぎに移って、テレビの前から選手達をうらやましく見ていた。

 やっぱり、オリンピックというものは、選手としてでもスタッフとしてでも、参加することに意義があるのじゃないかと思う。そして、それは多分、オリンピックにかぎらず、すべての社会に、ものごとに、世界にも同じくいえることだろうと思う。

 そんなふうに思ってしまうのは、やっぱりこのオリンピックが良かったからだろうと思う。

 オリンピックはやっぱりお祭りで、ここで実現された人々の融和や紛争のない世界というのは、やっぱり現実では理想や幻想だったりして、でもそれでもそういうものがこの世の中にあるのかもしれないと思わせてくれたオリンピックはよかった。

 閉会式は妙に楽しくて、変な湿っぽさがなくてよかった。ただ、この二週間つけっぱなしだったBSチューナーの電源を切ったとき、不意に寂しさに襲われたりして。

 ああ、祭りが終わってしまった。そう思うほどに楽しかった。


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公開日:2000.10.01
最終更新日:2001.09.02
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