この問いかけをする前に、立派なスポーツマンとは一体どういうものなのかという問題があることは承知していますが、彼は本当にスポーツマンとして立派だったといえるのだろうかという疑問が生じてしまいました。これは、彼によって、それはちょっとあかんやろ、という発言がされたことをうけてのことです。
その発言を取り上げた記事、「柔道のドイエ、山下監督を「横暴」と非難(http://www.asahi.com/0927/news/sports27035.html)」によると、ドゥイエは以下の趣旨のことをいったそうです。
日本の山下泰裕監督があの判定に執拗に食い下がったのは山下自身の優越的立場を守るためである。「疑いようのない」判定を批判したことについては「横暴」である、とのことです。
さらには、今回の判定によって日本が世界の柔道審判に圧力をかけることを危惧しているとのことで、正直言って開いた口がふさがりません。
というのも、彼の勝ちはやはり誤審によってもたらされたもので、あくまでも彼があの試合において優位であったとは思えない、からです。篠原の内股すかしを、真意は不明ですが、審判が見逃したことが、ドゥイエの金メダルにつながっているわけですから。
逆に言えば、ドゥイエは自分の負けを認めていない。あくまでも自分は投げられていない、と主張しているともいえるわけで、正直あの試合内容でここまで言い切れる彼のタフさに敬服します。
立派なスポーツマンの条件というのを、結果よりも内容に重きを置き、卑屈であったり内容に劣るものは勝ちとみないような、高潔さと考えれば、ドゥイエは立派なスポーツマンではないといえるでしょう。ですが、この考え方は多分にロマン主義的で自己陶酔的な傾向を持つことも事実です。
また、何よりも結果を出すことを重視し、勝利をもって価値を見出すという立場からみれば、ドゥイエは金メダルという結果、栄誉を勝ち取った、立派なスポーツマンであるといえるでしょう。
ですが、多分にロマン主義的である僕は、彼を立派なスポーツマンとは思えなくなりました。以前に僕はドゥイエを評して、けがから復帰しベストを尽くした立派な選手であるといいましたが、ベストを尽くしたとはいえあの内容でもって、あくまでもグレーゾーンで受け取ったメダルを守るために、自身の誇りにかけて懸命に抗議をした山下を「横暴」と非難するような人品を、僕は立派であるとは、露ほども、思いません。
山下を優位的立場を守ろうとする「横暴」漢と断ずる彼こそが、メダルという、かたちだけの栄光に固執しこれを守ろうと無理矢理な批判を展開する、横暴にすぎる人間性を暴露してしまいました。
以前紹介しました、ドゥイエに関するアンケートがあるページ、Actualite du Judo en direct sur France.sports.com、での十月一日午前零時半時点での結果は、3051投票で1.5%がOui、Nonは98.3%と、彼を偉大な柔道家であると思っていない票が多数を占めています。
ちなみにいいますと、以前僕がこのサイトを紹介したときは、Ouiに投票していました。以前いったとおりの理由によっています。
今回はもちろん、Nonで投票しました。
彼には「恥知らず」或いは「盗っ人猛々しい」、との言葉を贈りたいと思います。