誰しもが、自分の裡に原型ともいえる理想像を抱いている。それはふととあるごとに顔を出しては、われわれの生きる今の現実を色褪せさせ、よりよいなにかを目指して生きることを余儀なくさせる。例えばそれはいつか暮らしたと思う楽園のイメージであり、また夢に現れる、会ったことがないにも関わらず、誰よりも近しく感じられるひとりの女性である。そして、僕はその女性に出会った。
それは九十年代初頭のこと。自分の出る演奏会を近く控えたある夜。彼女は夢にたった。
自分は舞台袖にいて、客入りのまばらな客席を眺めていた時。客席の一隅、扉が開いて彼女が入ってきたことを僕はひとりでに察知して、駆け出していた。舞台から飛び降り、彼女の元に駆け寄って、ずっと前からの親しい知り合いであるかのように、挨拶をし、二言三言をかわし、手を差し伸べた。彼女と会ったのははじめてのことで、それは彼女にとっても同じだったはずだ。だのに、彼女と会ったことでいつにない安心を得、安らぎのもとに彼女の手を取って、彼女の身を起こさせ、席へといざなった。眼鏡越しに彼女はこちらを見上げて、礼をいい、僕は彼女の言葉の温度と触れた手の重さを忘れないようにいようと思った。
彼女こそが、僕の原像であろうと思う。過去に会ったことは一度となく、それは確かに間違いない。車椅子に乗った知人をかつて一度も持ったことがないことがその証拠であり、そう、彼女は車椅子に乗っていたのだった。
彼女の幻像は奥深く息づいてしまった。今まで出会った多くの人を、知らず彼女と比べ、現実を退け続けてきた。あの、素直そうな目で寂しげに笑う彼女の名前も知らないまま、ちょうどチャップリンの映画に出てくるエドナ・パヴィアンスに、まったく似てもいないというのに敷き写して。夢にはじめて出てその存在を確信させた彼女が、必ずこの現世のどこかに生きていると信じて、それ以来、僕は彼女を探し続けている。