はじめての条幅

 条幅を書いた。はじめての条幅。小学生の時に条幅らしいものを書かされたことがあったが、今回はそれとは大きく違う。とにかくはじめての条幅は、意外な思いで過ぎた。

 書き始める前は、いつもの半紙とは比べ物にならない大きさと文字数におそれおののいて、手を出すことさえ気詰まりだった。書きたくない、というわけではないのに、書こうという日が近づくに連れて書けなくなってくる。書くまでに至らず、筆を持つのも心苦しくなるほどだった。

 思いすぎ、気負いすぎていただけだったのだが、なにぶん条幅を書いたことのない人間としては、致し方ない。どれほどに苛烈な集中力を要求し、身体すらも疲弊させるのではないかと思っていた。

 条幅に取りかかる今日を見越して、月曜日から睡眠をきちんととって体調を調えるつもりだった。明澄な意識でもって取り組みたいと思ったのだが、昨夜、遠方より朋来るあり、夜遅くまで話し込んでしまい、結局睡眠不足でやっつける羽目になってしまった。

 だが、怖れはなにも必要なかったのだ。条幅を前に書き始めると、いつもよりも鷹揚に、伸びやかに筆は運び、気負いも重荷も何もなく、楽しく書くことが出来た。書くほどに精神は高揚し、自ずと集中力も高まっていく。実に楽しい体験だった。

 とはいえ、それなりにまずい書ができあがるのは悲しい話で、書くごとにまずい字、まずい点画が心残りに、出来てくる。それこそ、グレン・グールド主義者の僕としては、ノン・テイク・ツーネス――やり直しのきかない一発勝負は望むところではなく、テイクツー、テイクスリーを要求したいし、それぞれのテイクのうまく書けた書字、点画を、創造的不誠実に基づいて編集、再構成し、もっとも望ましい書にしたいなぞと夢想してしまうのだった。

 だけれども、そううまくいかないところも面白い。何度書いても満足はなく、そのせいで次こそはうまく書こう、次こそはと、終わりのない永久運動に参加する心持ちで、書に取り組んでしまう。やめさせるのに一苦労するほどに、のめり込んでしまいかねない。

 それほどに書というものは面白い。


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公開日:2000.12.20
最終更新日:2001.09.02
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